T氏 兄貴、顔色が良うないやおまへんか
兄貴 さうなんや、実は女房が近頃になって、ワシに『極道やめー』言い出しよったんや
T氏 ほほー、姐はんがでっか、一体どういふ訳で…
兄貴 倅(せがれ)の将来の為やて言ひよんね
T氏 せやけど、兄貴が極道やと分かってて一緒にならはったんでっしゃろ?
兄貴 まーそれはさうなんやけど、こないだから倅に勉強教へに来とる家庭教師がおんねん。それに感化されよったみたひで…
T氏 ほー、家庭教師ねー。兄貴とこは教育熱心でんねんな
兄貴 その家庭教師がやなー、見た目は大人しさうな好青年やねん。ところがこないだ勉強のあと、わしら夫婦を部屋に呼んで『話がある』… つうわけや
T氏 家庭教師が何か言ひよったんでっか?
兄貴 倅がまづ、礼儀、学習態度がなってない。目上のもんに対する口の利き方やない… ちゅうんや
T氏 そらまあ、兄貴のお子ですからなあ
兄貴 冗談やろ(笑)。その好青年『言葉が悪いと、人心が悪うなる、家庭で徹底して治さなあかん』言ふわけや。それには先づ、親が気持ちを正して子に向かはなあかんっちゅうんや。めっちゃ厳しいこと言ひよんね
T氏 !!!
兄貴 そこからやなー、人間の生命がどうとか、日本の心とか、女房がすっかり感心してもてやなー…
T氏 兄貴、ちよっとお尋ねしまっけど、お宅どこでしたっけ
兄貴 東大阪○○町やけど
T氏 兄貴、ひょっとしてその先生「H」っちゅう苗字とちゃいまっか?
兄貴 何や、お前。何で知ってんねん?
これは20数年ほど昔、本当にT氏から聞いた話です。
T氏は現在でも任侠の世界で活躍してをられる私の友人で、元は自衛隊で戦車に乗つてゐた方で、愛国者でもございます。去る平成8年(1996)在ペルー日本大使公邸人質事件の際「ペルー共産ゲリラに報復を」といふ(可能かどうかは別として)勇ましい声明文を新聞社に出した方でもございます。
そのT氏にHさんを引き合はせたのは、確かに外ならぬ私でございます。伊丹市で開催された或る勉強会の席でした。しかし、T氏の兄貴分殿がHさんを家庭教師に雇ふことになつたのは、どういふ経緯かは存じませんが単なる偶然です。縁とは不思議なものでございます。
残念乍ら、この出来事のあと、兄貴分殿が極道を引退されたかどうかは存じません。でも、一般に恐れられてゐる極道に生きる人々の中にも、家庭があり、我が子を良き道にといふ愛情があることを間近に知り、救はれるものを感じたそれがしでございました。
そして、それを兄貴分殿の家庭から見事に抽出し、少なくとも姐さんの「やまとごころ」を掘り起こしたといふHさんの心の純粋さに、ほのぼのとしたものを覚へるのでございます。