私は印刷デザインの本業を営む傍ら、とある月刊紙の編集にも携はつてをります。
扱ふ内容は社会時評や比較文化が主だつたもので、その中に現代の教育現場からの報告も時々ございます。題材を提供してくださるのは、東大阪市で現役中学校教師をされてゐるHさんといふ方です。
Hさんは、実は20年余り以前に、新聞紙面を大きく飾られたご経験がございます。当時私が伊丹の自宅で購読してゐたのは読売新聞でしたが、或る朝、社会面に「軍歌流れる教室」「太平洋戦争を賛美」といふ扇情的な見出しが大きく出てをりました。
記事内容は、一人の中学校教師が「先の大戦(第二次大戦)で確かにわが国は敗戦し、戦勝国から責任を押し付けられたが、日本は全面的に悪かつた訳ではない。当時の軍の指揮官や兵たちが、戦時下いかに崇高な使命感を持つてゐたかを知つて欲しい」といふ目的で、自分が担任をしてゐるホームルームの時間を利用して、テレビ漫画の一部をビデオ放映し生徒に鑑賞させたといふ、ただそれだけの「事件」だつたのです。
そのテレビ漫画とは「決断」です。
読売新聞によると、当該中学校長の話は「とても真面目な先生だつたのに」といふ、まるで昨今のロリコン教師や暴力教師に用ひるやうな批判的な内容でございました。教育委員会のコメントも「戦争を賛美するやうな教師が居て残念だ」といふニュアンスです。
当時、小中学校の教育現場は日本教職員組合といふ労働組合が支配してをりました。「教へ子を二度と戦場に送るな」といふ合言葉で、過去の日本の歴史を唯物史観で解釈、明治以後の戦争はすべて日本の侵略によるものだといふ、とても偏向した社会科教育を施してゐたのです。
教科書採択の面妖さを見る限り、現在も似たやうな教育がなされてゐるのではございますが、当時ほど露骨に校長をいじめたり、反対派教師を村八分にしたりすることは無いのでは… いや、あるのかも知れません。
ともあれ、そのやうな風潮が漂ふ中、Hさんは孤軍奮闘されてゐたのでございます。
Hさんは、それで解雇されることはありませんでしたが、担任学級を受け持つことは出来なくなりました。
大学を卒業されるまでスポーツの経験も無い方でしたが、赴任先の中学で柔道部の顧問を頼まれてからは、自ら生まれて初めて柔道場に通ひ、部員の生徒たちと共に汗を流して稽古に励むといふ、今どき珍しい熱中教師でございました。ところがその顧問も降ろされました。
教育委員会の申し送りがあるのでせうか、その処分はHさんが定年間近の今も継続してをります。クラブ活動の顧問に委嘱されることもなく、自分の専攻学科のみをクラス別々に教へてをられる毎日です。その中で、形を替へて今も「誇るべき日本人」教育をしてをられます。
私の編集する月刊紙には、今月も映画「海難1890」を使つて日本とトルコの友情を、またテレビ番組「世界ナゼそこに日本人」を見せて現地で活躍する名も無い日本人の努力などを生徒らに紹介して、より良い社会人になるやう… といふHさんの努力を、つつましく掲載致しをります。細く長く、でも気高い志を持続されてゐるHさんでございます。
次回は、そんなHさんらしいエピソードを、もう一つお話し致すつもりです。
(つづく)