今日は料理番組の日… だつたのですか | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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好きな料理番組は?

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 好きな料理番組と言ふより、好むと好まざるとに拘はらづ、いつも就寝前に見てゐたのは「くひしん坊 万歳」でせう。現在は松岡修造さんがレポーターをされ、且つ昼間の番組になつてをりますが、昔は夜遅く放映されてをりました。

 個人的に印象に残るのは、オペラ歌手の友竹正則さん。大きな目を更に大きく開いて、誰よりも美味しさうに召し上がつてをられたのが記憶にございます。

 この番組のレポーターは、偶然でせうが「青春ドラマ」シリーズの主演だつた方が多ふございます。川津祐介さん、村野武範さん、山下真司さんと、皆さん日曜日の午後8時から問題児クラスでラグビーを教へてをられたやうに思ひます。

 

 さて、実はそれがし、昭和58(1983)年に結婚した頃には、ご飯も味噌汁も炊けない人だつたのです。大卒後の職業は、最初は神戸の菓子メーカーで百貨店勤務、その次は印刷会社、その会社が不渡りを食つた頃、知り合ひの製麺会社専務に拾つてもらひ、昭和62(1987)年に大阪の姫島といふ町で何と「饂飩(うどん)・丼物店」のオープン店長を拝命致しました。右も左も判らぬ外食業界で、いきなり8人程の若いアルバイト店員を使ふ、雇はれ店長でございます。まさに大転身でございます。

 

 開店の1箇月前に入社。毎日、朝7時から工場長の指導のもと、製麺工場で饂飩を作り、10時からは鰹と鯖節で饂飩だしを作りました。そして本店で11時から午後1時まで店舗ホールに立ち注文を聞いたり食器を洗つたり。賄ひ昼食は毎日饂飩です。食事が済むと、午後3時から丼物の作り方や、様々な饂飩メニューを実地で習ひ、午後6時からは本店で再び接客です。

 

 

 斯くして1箇月でひと通りの仕事が出来るやうになると、遂に新規オープン店の店長として本番を迎へました。何よりも外食産業はまづ体力が必要で、しかも顧客に対する礼儀と責任を負ふ大変な仕事でございました。

 この頃の出来事はまた機会を改めてお話し申し上げませう。

 

 といふ訳で、米の洗い方、炊き方も知らなかつた私は、たつた1、2箇月で、限られたメニューではございますが様々な料理を家でも作るやうになつたのでした。

 現在では、休日はすべて私が食事を担当するやうになつてをります。妻も楽ができて喜んでをることでせう。

 一昨日、息子が言ふには、親子丼とお好み焼きは、決して外で食べないさうです。お世辞が含まれるでせうが、私が作る方が美味いといふ嬉しい高評価を頂いてをります。

 

 何よりも旨い酒をこよなく愛する私。土日には夕方から自分の好きなツマミ類を作り始め、台所でちびちびと盗み酒を嗜(たしな)みながら家族4人分の晩飯を調理するのは楽しいものです。息子も二十歳を越へ、遺伝のやうに酒好きゆへ、今後はトリトン家秘伝の肴を制作してゆかむと愚考致しをるのでございます。

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