愛される国民食 ライスカレー | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 

 以前、某番組で「カレーライスライスカレーは違ふ」といふ噂を検証してゐるのを見たことがございます。

 それによりますと、ご飯皿とは別の容器にカレーが出てくる、即ちホテルのレストラン等で出されるやうなものを「カレーライス」と言ふさうで、確かにこれは上品なイメージが伴ひますね。近年、続々と増ゑるインド料理店(ネパールも含む)の定食も、ナンやご飯と別に円筒型の容器に数種のカレールーが出て参りますので、これも「カレーライス」といふことになります。

 そして、大衆食堂や家庭で食するやうな、ご飯の上にカレーをかけて出されるものを「ライスカレー」と呼ぶ… それが結論だつたと記憶します。

 何のことはない、大衆的か、よそ行きかといふだけの違ひなのでございます。

 

 さう言へば、私の幼い頃、もう50年以上昔になりますが、滋賀県琵琶湖畔に住む父の実家へ夏休みに帰省しますと、祖父が私ども孫たちに「今夜は特別に『ライスカレー』を作つてやる」と言つては、毎晩(汗)自分の手でカレーを作つてくれたものです。夏休み明けに自宅に戻つてみれば、兄も私も日焼けで顔が茶色になつてをりましたが、これには恐らく連日のカレー食も原因の一つではあるまいかと推量されるのでございます。

 

 

 当時一般家庭で作るカレーは、小麦粉を鍋で炒めて水を加へ、S&Bが発売してゐるカレー粉(赤い缶または黄色い缶)を溶き、味付けは基本的に塩で調節してをつたと記憶致しをります。

 水の量が多いとサラサラになつてしまひ、ご飯に掛けた際にカレーが流れてご飯が露出してしまひ、至つて貧相な仕上がりになり果てます。それを避けやうと、途中で小麦粉を足すと、今度は粉臭いカレーが出来てしまひます。それが嫌で片栗粉を混ぜますと、今度は鹿の糞みたひなカレーが出来上がつてしまつたものです。事ほど左様に、当時のカレーは料理に慣れた者でなければ上手に仕上がるものではありませんでした。

 

 もう一つ現在と異なるのは、いざ完成したライスカレーではありますが、ウスターソースをかけて食するのが一般的でした。直截な言い方をすれば、ソースをかけねば味が締まらないのです。これは、家庭で作るカレーが不味いゆへのみではございません。一般食堂に行つてもライスカレーには必ずウスターソースが並べて出されてゐたのであります。

 

 それに引きかへ、現代人は恵まれてゐるとつくづく想ひます。食品各社から売り出されるカレーは、箱に記載された通りに調理すれば、子どもが作つても必ず美味いカレーが出来上がるのを見れば、この方面の技術の特化には刮目すべきものがあるやうです。

 

 

 レトルトカレーの元祖ボンカレー(大塚食品)が昭和39年に発売されたのは私が小学校3年の時でした。時代劇「琴姫七変化」で有名な松山容子さんのテレビコマーシャルで大ヒット商品となりました。「ボンカレーは私のアイデアです」といふメッセージ入りの宣伝でした。昨年、50周年といふことで、松山さんの写真が入つたオリジナルのパッケージで発売され、感無量でございます。

 松山容子さんと言へばテレビ番組「旅がらすくれないお仙」も有名ですが、この時代劇の相棒役で何故か豹柄ビキニで登場する大信田礼子さんには度肝を抜かれたものでございます。

 をつと、このお話はライスカレーとは無関係ゆへ、後日に譲りませう。

 

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