不運と幸運は、人生の表裏 | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 

 産経新聞によりますと、JR西日本が、この日曜日(18日)に伊丹シティホテルにて、17年前の脱線事故による負傷者や遺族を対象にした非公開の説明会を開きました。事故現場跡に建設された慰霊施設「祈りの杜」において、来年から追悼慰霊祭を開催する方向が決められるやうです。

 

 去る平成17年4月25日午前9時18分にJR宝塚線、尼崎ー塚口間で起きた大きな脱線事故には、全国の皆様もさぞ衝撃を受けられた事と存じます。これは私にとりましても大きな衝撃でございました。何しろ、常日頃であれば、私はその時間帯の電車に乗つて通勤致しをるゆへにございます。

 

 ラッシュアワーを過ぎて、そろそろ空席が出る時間です。パートに出る女性や大学生が多くを占める頃でした。私は早朝アルバイトを終へた後、この時間帯の電車でJR立花に在る本業の職場へ向かふのです。

 ところがこの日は、いつもはおとなしい長女が着せ替えを拒み、むづかつたせいで、家を出るのが10分余り遅くなつたのでございます。それが私の運命を分けたのです。

 

 「人間万事塞翁が馬(じんかん ばんじ さいおうがうま)」といふ支那の故事がございます。

 塞とは国境の砦のことです。言はば要塞ですね。この塞付近に住んでゐた老人の所有する馬が、他国に逃げてしまひます(不運)。周りの人は気の毒がりましたが、その馬が後日たくさんの馬を連れて戻つてきました(幸運)。次に馬に乗つてゐた息子が落馬します(不運)。また周りの人は同情しますが、その時に戦が起こり、怪我人の息子は戦に往かずに済みます(幸運)。斯様な中、いつも老人は常に泰然としてゐたといふ話でございます。

 人生、何が幸か不幸か予測がつかないといふ喩へ話ですね。

 

 

 さて、話は変はりますが。冒頭の伊丹シティホテルにて、私の若い知人が接客のアルバイトを致しをります。折も折、彼はそのJR西日本説明会場に於いて来客をご案内をしたり、水や珈琲をお出しする係となりました。

 いつもはホテルで結婚式など祝ひ事に従事するため、愛想よく笑顔で「いらつしやいませ」「ありがたうございます」を大声を出すのですが、この日だけは異なりました。

 何しろ身内の不幸に関はる事ですので、中には涙をこらへてゐる人も居られます。ホテルの上司からの指示は、まず笑顔を見せるな、「いらつしやいませ」「ありがたうございます」を言ふな、大声を出すな、目立たぬやうに部屋の端に控えてをれといふ指示だつたさうでございます。お客様に対しては、硬い表情で静かに近づき「珈琲をお持ちしませうか?」「お茶は如何ですか」と問ふくらひの仕事内容でしたが、周囲の雰囲気からいつも明るい彼も意気消沈致しをつたのが印象に残りをります。

 

 私は40年ほど昔、大学卒業後、神戸そごう百貨店に於いて、進物用菓子売り場で働きをりました。大きな声でイケイケの店員だつた私でしたが、忘れ得ぬ失敗がございます。

 

 店頭において、お葬式の際にお渡しする粗供養の大量注文を受けた私は、意気揚々として熨斗(のし)がけや包装を済ませ、お客さまに沢山の荷物をお渡しして、金子を頂戴する… そこまでは良かつたのです。

 そのお客様が店をあとにされる時、つひ私はマニュアル通り「またのご来店をお待ちいたしてをります」と大声で申し上げたのでした。

 葬儀関係は「またのご来店」があつてはならないのですねー。それを忘れてゐた私が、店舗の上司と、百貨店の幹部社員からこつぴどく叱られたのは言ふまでもございません。

 

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