カミングアウト… ではありません | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 

 これは私が大学4回生、ひと夏の体験談です。

 

 私は1回生の頃から部活に没頭してゐた割には、勉学の方もそつなくこなしてをりました。そのお陰で、4回生時にはゼミ1科目を残して、すべての卒業単位を揃へてゐたのでございます。つまり、残りの1年間は就職活動を除けば、あとはアルバイトも含め青春を謳歌するのみだつたのです。

 

 それでも私は、特に出席が求められるやうな授業も無いのに講義に出席し、昼間は部活の練習に顔を出して後輩をしごき、夕方からは帰路に点在する居酒屋・スナックで飲み歩くといふ、自由な生活を楽しんでをりました。

 そのうちの一軒の居酒屋「味の里」で、白人で長身の若者(20代後半くらひ)とよく出喰はすことから仲良くなりました。彼は、或る海外の企業から日本へ市場リサーチの為に赴任してきたとのこと。日本文化に興味を抱く彼の真面目さが嬉しく、たどたどしい日本語は好感が持てました。もう40年も昔のことですから構はないでせう、名前はジョニー・ウォーカー君といひました。その為、飲み屋仲間からは「ウイスキー」と呼ばれてをりました。

 

 初夏が訪れた或る日、ジョニー君から電話で「私ノ家ニ、遊ビニ来テクダサイ」と誘はれた私は、お土産に下駄を買つて「味の里」で待ち合はせ、夕食を済ませた後、西岡本に在つた彼のアパートに参りました。

 

 最初は畳の部屋でくつろいでをりました。すると彼は、昼間の練習で凝つてゐた私の肩を、実に巧みな整骨の技術でほぐしてくれるのです。最初は「アメリカ人はスキンシップが多いからかな」と思つてをりました。すると次は、私を腹這ひにさせ、シャツを脱がせ、ズボンを降ろすのです。私の背中にツボを見つけ「此処ガ、ムスビメ」と言ひ、巧みなマッサージを繰り返しますと、今度はパンツを降ろされました。私は緊張しましたが、マッサージとはこんなものかな… と、逃げ腰ながらも自分に言ひ聞かせるのでした。

 

 因みに当時はまだ「ゲイ」といふ言葉すら無く、その方面の芸能人と言つてもカルーセル麻紀さん、ピーターさんくらひしか知られてゐなかつた時代ですので、なにぶんにも私の知識が乏しうございました。知的無防備だつたのです。

 

 終電は既に去り、帰れなくなつた私は彼の家に泊めてもらふことになりました。

 何しろ安アパートのせいかクーラーは無く、二人ともパンツ一枚で眠つてをりました。

 深夜、まさかと思ふてをつたのですが、彼は接近して参りました。それでも、最後の一線は許すまいと(一体何が最後の一線かも知りませんでしたが…)私はパンツのゴムを引つ張り、眠るふりをして抵抗致しをりました。

 彼は、散々私の体をいぢくりまわした挙句「オヤスミ」と言つて眠つてしまひましたが、私は朝まで眠ることが出来ませんでした。別に体が燃え上がつたからではなく、単に操の危険を感じたからです。

 

 朝になり、私は風呂場で湯をかぶつてをりますと、これまた全裸の彼が入室して参りました。此の度だけは私も「NO」と言つて断りました。

 

 

 事実関係は以上です。ジョニー君とは其の後も付き合ひが続きましたが、宿泊だけは固辞致しました。追ひ追ひ判つたことは、彼は泊まりに来た人が誰でも、男性なら同じことをしてゐたさうでした。大勢が泊まりに来ると、隣に寝てゐた男性が同じ目に遇つたと言ふことなので、まあ相手は誰でも良く、単にスキンシップが好きだつたのやもしれません。

 え? いや別に私は、がつかりしませんよ。

 

 芸能人のカミングアウトがよく持て囃されます。自分の病気を告白する際や、鬘(かつら)使用の白状に対しても「カミングアウト」といふ言葉が使はれますが、元々はゲイ問題で使用された言葉ださうです。

 桑港(サンフランシスコ)で立候補したゲイの活動家が、

 ”Come out from the closet !” 

 (クローゼットから出よう)

 をキャッチフレーズにしたのが最初ださうですので、仮に今、私がその方面に走つてゐたとすれば、今日のお話は「カミングアウト」に当たることでせう。

 

 ですから、今回は「カミングアウト」ではございません。悪しからづご了解下さいませ。

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