ザリガニの母が哭いた〈2〉 | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 

 ザリガニは一体、何を食するのだらう。私どもには何の知識もございませんでした。

 

 私は取り敢へづ再度ペットショップへ走りました。店員さんに相談し、藻と餌を準備することになりました。勧められた餌は仁丹くらひの顆粒でした。

 帰宅して、その粒を水槽へ投入しますと、何百といふ小エビたちが我先に、その粒を両手(両ハサミ)で抱きしめるやうに齧りつくのでした。ゴムまりを手にした幼児のやうな恰好で水中を浮遊する、体長3ミリの小エビたちの姿は、それはそれは可憐なものでございました。

 更に、食餌を終へた小エビが銘々、藻の葉に乗つて休む様子もまた微笑ましうございます。読者の皆様にも見せてあげたかつたです。写真に収めるのを思ひつかなかつたのは、誠に迂闊だつたと今では後悔致しをります。

 

 それからは1日2度、時間を決めて餌をばらまき、私ども家族が額を寄せ合ひ、癒しの時間を過ごすのでございました。

 

 

 4、5日経過し、小エビたちの姿が次第に減つてゆくのに気付きました。

 観察致しをりますと、何と、母ザリガニが我が子を餌に致してをるのでございます。

 これはしたり! 私は即座に母親を元の狭いプラスチック虫籠に戻し、藻と餌を与えて、大きな水槽(と言つても、横40×縦25×深25cmくらひのものですが)は小エビたちだけを収容することに致しました。

 

 母親にも餌を充分与へたつもりですが、産後の肥立ちが悪かつたのでせう(ほんまかいな)、目に見ゑて衰弱して参りました。もうあの哭き声を出す元気もありません。そして我が家に迎へて1箇月ほど後に、還らぬザリガニとなつてしまひます。可哀想なことを致しました。亡骸は、息子とドライブの際に芦屋川へ降りて流しました。

 

 扨て、この時点で5、60匹程生き残つてゐた小エビには闊達な者も居れば、鈍重な者も居ります。何と今度は、小エビたちの間で生存競争が始まるのでございました。有り体に申しますと「共喰ひ」です。餌は充分に与へられてゐるのに悲しいことです。闊達な者は当然生き残り、鈍重な者は姿を消してゆきました。1匹1匹を別の水槽に入れれば良いのでせうが、それではトリトン家が破産してしまひます。

 

 かうして、3箇月ほど経ちますと体長(体を伸ばした状態)3cmを超える程になり、数も4匹くらひが生き残るばかりでした。今、思へば、この時に水槽を四つに仕切るべきだつたのです。

 ザリガニは「脱皮」して大きくなる事も知りました。とうとう4匹になつてしまつたものが、或る日6匹になつてをり、驚いてよくよく見れば「抜け殻」が2個転がつてをるといふこともございました。

 

 水槽は玄関に置いてありました。たまに件(くだん)の掃除のおばさんがやつて来ては、「よく此処まで育てたねー」と感心したり、目を丸くして喜んでをりました。

 

 半年程経過した或る夜、玄関でサクサクといふ音が聞こゑます。電気をつけて見ると、1匹のザリガニ(もう既に小さなザリガニの形を致しをります。色は薄いですが)が、もう1匹の腹に噛みついて貪つてをるのです。喰はれる方もまだ触覚が動いてをりましたが、既に横たはり虫の息ならぬザリガニの息でございます。深夜の大惨事のおぞましさに、私も背筋を寒く致しました。

 

 斯くて、あの200匹程居た小エビも最後の1匹となりましたが、闘争本能の捌け口を喪失した体長5cmのザリガニは、目に見ゑて衰弱してゆき、結局8箇月にして全滅といふ結果に終はつたのでございます。亡骸は箱に入れ、駄六川に流しました。

 

 今思ひますことは、生き物の命は悲喜交々(ひきこもごも)といふ無常観です。

 

 余談ではございますが、此の度の経験以降、寿司屋(無論、回転式)へ参りましても未だエビ、とりわけ甘エビは我が脳裏にリアル過ぎて、とても口にすることが出来ず、今日に至つてゐる私です。

 

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