結婚披露宴の司会者を経験〈2〉 | 古稀を過ぎたトリトンのブログ

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 先週は披露宴司会の失敗談をお話し致しました。

 結婚披露宴の司会には、しつかりとしたマニュアルがあり、それに従つて進行すれば、そこそこ及第点が採れるやうになつてをります。禁句として「切れる」「戻る」「終了する」といふやうな言葉が指摘されてはをりますが、こちらはプロではなく素人の新郎友人ですし、況して宴ではアルコールも出回つてをり、そのやうな些細な言葉尻を捉へて叱られるやうな事は先づございません。

 

 ホテルや冠婚葬祭業の式場では、経験豊富な担当責任者が宴ごとに就いてくれます。例へば、新婦がお色直しに手間取つてあと10分程時間が必要だとか、時間が押し詰まつてゐるので余興の時間を削つて欲しいなどといふ要望を、その担当者が司会者に耳打ちして下さいます。親切ですね。

 因みに「玉姫殿」などでは、式そのものにプロの司会者がパックで組み込まれてをります。余談ですが、そこへ新郎側の要望で何と素人の私が、メインの司会として入る事態となつたこともありました。つまり私の横にプロの司会者が付いてゐた訳で、「この下手糞が…」と思はれてゐるのは明らかで、寿命が縮む思ひを致しました。

 

 今、つらつらと過去の司会経験を振り返つてみますると、最も苦心し且つ心血を注ぎましたのは「レストランウェディング」といふものです。

 時は20世紀も終はりの頃です。所は「カーサコロニカ」といふ広くて粋なイタリアンレストランで、滋賀県守山市に当時は在りました。この新しいレストラン自身にとつても結婚披露宴は初めての経験、私もレストランウェディングの司会進行は初めて、新郎新婦も結婚が初めて… といふ初めて尽くしのもので、三者共々、心細い中にも静かな気合ひを秘めて企画致しました。

 

 

 車が無くては来られない鄙びた立地条件でしたのと、素人ばかりの手作り的な「人前結婚」といふことで、細部に手が回らないのは致し方ございません。

 ところが少し気が短く意地の悪い来賓(新婦の勤め先上司)は、来場当初から司会進行の私に喰つてかかつて参りました。「何処で待たせるんや!?」「俺の出番は何時頃や!?」挙げ句の果ては「段取り悪いのぅ」と自社の部下まで煽つて皆で嘲笑を浴びせるやうな輩でした。新婦は結婚退職して正解だつたと思ひます。

 私も腸が煮へ繰り返る思ひでしたが、神戸の百貨店で鍛へた低姿勢と(凍り付いた)偽笑顔で、愚かな田舎者の挑発に乗らずに自然体を貫くことに成功致しました。

 

 この時にふと考へついたのは、披露宴開始の際にマイクでこの日の進行と時間を、列席者にざつと説明すること。

 加へて、スピーチや余興をして頂く人を探し出して「○◯さん、貴方は、この次の次ですよ」といふ具合に知らせに走ること。この二つを徹底して励行することに致しました。

 

 宴には新郎が独自にこの日の為に雇ひ入れた楽団(カルテット)により、イタリア料理に相応しく、巨匠エンニオ・モリコーネの映画音楽をメドレーで終始演奏していただきました。これは周囲を緑に包まれたこのレストランに格調の高い雰囲気を醸し出すのに成功しました。

 

 レストランのスタッフも、楽団も、すべて司会者の指示ひとつといふ事態は未体験で、将に「孤軍奮闘」ではございましたが、最後まで品位を保ち且つ笑顔の波を拡げることが出来ましたことは、今後の自信にも繋がることでありました。

 自慢話のやうになりましたが「何事もまず経験」を旨と致しをるトリトンならではとご笑諾下さいませ。〈完〉

 

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