過日、お互ひに読者登録をさせて頂きました「eteko 屋スタジオ」様が、拙ブログを此処2度に亘り、リブログして下さいました。ありがたうございます。同年代の方は、時代背景を共有してをりますので話が通じるのも早く、若い方々にお話しするのとはまた別の楽しみがございます。
その「eteko 屋スタジオ様」が大学サークルOBの結婚披露宴に関する話題を書いてをられました。それを切つ掛けに、私の記憶の抽出から甦つたことがございますので、今日はそれをお話しします。
大学サークル活動は、私は應援團を4年間やつてをりました。たいそう濃厚な経験でありまして、60年の中の僅か4年といふ短い期間であるにも拘はらづ、爾後の人生に少なからぬ影響を及ぼしました。OB同士の繋がりが重要な位置を占める所為でもございます。
卒業して3年ほど経過しますと、早い同期生は結婚にゴールイン致します。私は現役学生の頃、大学祭関連などで司会を務める機会が多く、その印象が強かつたのでせうか、次々に結婚披露宴の司会を頼まれることとなりました。
披露宴の初めての司会といふものは、実に緊張致します。新郎が團の同期生でした。式の数ヶ月前から新郎新婦を交へて打ち合はせをし、会場に足を運び、宴会担当者とのやりとりもございます。会場は当時まだ新しい神戸ポートピアホテル最上階で、出席者は100人を超ゑる大規模なものでした。
当日は「初めてにしてはキツイなぁ」と大きなプレッシャーを感じましたが「当たつて砕けろ」です。「何事も経験」といふ私のモットーを肚に飲み込んだのですが、何しろ生まれて初めて経験する種の緊張感です。
応援会場などで大勢の人々の前で応援歌や乱舞を演じるのとは異なり、披露宴会場に居る人々、来賓からウェイターさんまでが、私の台詞ひとつで動く場面が多々あります。司会者といふ役は実に責任重大なものだつたのです。
この日の結果は、決して芳しいものではございませんでした。
友人で招待を受けたのが、應援團の同期生のみならず、空手道部、少林寺拳法部、野球部といつた体育会系の猛者ばかり。いづれも未だ25、6歳で人生経験も皆無に近い上、新郎を筆頭に酒豪ばかりが総勢20人余り…。披露宴に呼ばれた経験も殆ど無い者ばかりなので、「友人席」の2テーブルは、もう新入生歓迎コンパ並みの大騒ぎとなつてしまひました。
後半には既に、司会者独りだけでは、どうにも抑ゑが利かない状況になつてをりました。
終盤になると、来賓の恩師(大学教授)が、教へ子らの無軌道ぶりに、いたたまれなくなつたのか帰つてしまひます。
宴がおひらきとなり、出口には仲人、新郎新婦のご両親、新郎新婦…と言つても新郎はもうまつすぐ立てる状況ではございませんが…。その中で、新郎のお母上が無言で私の顔を鬼の形相で睨みつけたのでございました。
まさに「当たつて砕け」てしまつた…と言へるやもしれません。
爾後四半世紀に亘つて、友人、先輩、後輩、親族の結婚披露宴の司会を10数度経験致すことになりましたが、何とか平穏の裡に宴を乗り切れるやうになつたのも、この初回の苦い経験を繰り返すまじ…と反省、工夫した事が大きいのだと思ひます。