バレンタインは大忙し | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 

 大学卒業後、就職しましたのは、神戸市中央区に本社を置くHといふ有名菓子メーカーでございました。和洋菓子の双方を製造・販売してをり、工場は今も阪神電鉄沿線に幾つかございます。

 私学の文系で何の特技も無い私は、当然、営業部行きとなります。即ちその第一歩は、百貨店への派遣店員でした。私が着任しましたのは、そごう神戸店地下食料品街でございます。

 

 H社の同期入社は殆どが高卒で、その90%以上が女子であります。そごう神戸店には高卒女子2名と大卒男子2名が配属されました。未だ社会の一年生ですので、百貨店で実際に従事する仕事は高卒も大卒も隔てはありません。勢ひ、荷出しや包装などはむしろ高卒の子らの方が器用で早いのであります。勿論、大卒者はいづれ責任ある店長となり、営業課や企画課へと進んで行くことが求められるのではありますが、それはまだまだ先の話でございます。

 

 さうなりますと当然、大卒男子たるもの、高卒には出来ないことを… といふ気負ひが生じます。熱し易かつた私は、店舗でイベント行事がありますと率先して「私がやります!」と手を挙げるのでありました。今思へば健気と申しますか単純ですね。

 

 百貨店の業務は「集客」です。店内に在る店舗はその殆どがテナントであります。

 解り易い例で申しますと、お祭りの露天商を想像して下さい。たこ焼き、野菜カステラ、綿飴などを売るのは一般のテキ屋さんです。それらの露天(派遣店舗)を集め、地割りを行なひ、トラブルを処理し、客足を伸ばして各店を儲けさせ、その上前の何%かを世話賃として取るのが「神農組合」(露天商組合)です。百貨店はこの神農組合に当たります。

 

 百貨店の集客の方法として最大規模は、中元と歳暮。それだけですと年に2、3箇月にしか成りませんので、例へば12月のクリスマス、3月の雛祭り…といふ風に、洋の東西を問はず何でも良いから客足を浮き立たせる為のイベントを年がら年中催します。その中でもかなり大きなものが「バレンタインデー」です。

 

 私は神戸そごう地下特設エリアで行なはれる「バレンタインデーコーナー」にて、チョコレートにバタークリームで文字を入れる実演販売を担当することになりました。

 いつものそごう店に出勤せず、H社の工場に3日ほど通ひ、職長さんにクリームの作り方、ホワイトチョコの溶かし方から教はります。そしてパラフィン紙を三角に丸めてクリーム、或はチョコレートを流し込み、先端を切つて、文字を書くのです。この時は、小学校で書道をやつて居たのが役に立ちました。

 パラフィン紙の中のクリームやチョコが、掌の熱で溶けてしまふよりも早く「好きです!とおるchan ゆきより」とか「愛してる!離さないで!修君へ」とか、赤面するやうな文言をすらすら書けるやうになりますと、愈々2月7日頃からバレンタイン商戦への突入でございます。

 

 

 催し会場は文字通り目が回るやうな忙しさでございました。私は白衣に白頭巾を着けて、透明アクリル板の仕切りの中で、さも何年も工場で慣れてゐるやうな手つきで、チョコサブレや板チョコにお客様がメモされた通りの文言を綴るのでございます。ふと気がつくと、店舗ケースに数十メートルのお客様の列が出来てをり、仰天しました。

 或る日トントンと仕切り板を叩く音に目を上げると、学生時代から知る「楽しいロンドン、愉快なロンドン」のホステスさんらがにつこり笑つて私を見てゐたり、知らぬうちに神戸の夜の街で噂になつてゐる事も知りました。

 

 

 おかげで催事の一週間は昼食もままならず、H社店舗の同僚から差し入れられる稲荷寿司やサンドをエリア内で立ち食ひするやうな有様でした。まだ22歳と若くて疲れ知らずのせいもありましたが、人に喜ばれるのが心底嬉しく、仕事へのやり甲斐を覚ゑたのは今思ひ出しても得難い経験でございます。

 

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