2、3日前、私どもの夕食にはオムレツとオムライスが並びました。皆鶏卵が好きなのです。
食卓を眺めているうちに、私の脳裏にムクムクと半世紀前の記憶が甦つてきたのです。
私が中学生の頃かと存じます。高校は芦屋市の山手にありました。この日は授業が午前で終はつたので、通常ならばJRに向かふのですが、偶々その時は友人等と語らひながら阪急芦屋川駅の方へ歩いてゆきました。折から空腹なので昼餉を済ませて帰らむと、友の一人と、駅前の定食屋さんに入つたのが午後1時頃でした。
午後1時を過ぎれば、食堂もお客がぐんと減つて参ります。私どもは土間の丸椅子に腰掛けて、それぞれ注文を致しました。そこへ時間帯を見計らつたのでせう、鶏卵のパッキンを二個抱へた業者の二人連れが「毎度おおきに~」と威勢良く入つて参りました。
一人は社長らしき年配の人で、もう一人は二十歳そこそこの若者です。爾後、この若者がご用聞きに来るのでよしなにといふ丁寧な挨拶が交わされ、ひととほり納品と伝票交付などが終はりますと、その社長さんは「ここで飯にしよか」と若者に声を掛けました。
奥から頭巾を着けた食堂のおかみさんが出て来て「何にしまひょ」と尋ねますと、社長さんは寸時も措くことなく大声で「親子丼と卵とじ饂飩!」、傍らの若者に向かつて「お前もそれにせいっ!」
なりゆきを見るともなく眺めてをりました私どもは「若い人に好きなもの食べさせてあげたらええのに」と思ひながらも、その社長の押しの強さに呆気にとられました。そして間もなく「さうか、この店に少しでもよけいにタマゴを消費させるためなんや!」と気付きました。二人で四つのタマゴを消費すれば、其のぶん確実に次の納品日が近くなる訳ですから。
私の父は近江商人の流れをくむ人です。商人は辛抱が大事、儲けるときは遠慮なく儲けるけれども「三方よし」で行くのが本道でございます。「三方よし」とはご存知のやうに、売り手よし、買ひ手よし、世間よし…を申します。
今日のお話では、三つ目の「世間よし」は何処にあるのか分かりませんが、一心不乱に飯をほおばる鶏卵屋さん二人を脇目に、私は子ども心に或る種の感銘を受け帰路に就くのでありました。