蔵の在る家〈10〉 | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 

 「蔵の在る家」シリーズに長らくお付き合ひ頂きましたが、何ぶんそれがしの記憶にも限りがございます。ひとまず質屋の話題は今回を以つて最終回と致し、後日思ひ出しました際に改めてお話し申し上げることと致します。

 

 質屋は「しち」つまり「七」の付く日が休業日といふ習はしが一般的でございます。毎月7日、17日、27日の3回がお休みで、それに当たらない限り日曜日でも開店してゐるのです。

 しかし「出物腫れ物、処嫌はず」…ん、一寸違ふかな。英語では “Necessity has no law”(必要の前に法律は無い)と言ひますやうに、人が金を必要とする時はそのシチュエーションを選びませんし、「7」が付く日が休みといふことを忘れる場合もございます。加へて、父は自宅で営業してをりましたので、仮令「7」が付く日でも、或は夜中でも玄関をドンドンと叩くお客が居りました。

 

 父は、無視して戸を開かなかつたり、お客に対して余り邪険にして憾まれても今後差し支へが出るため、しぶしぶ閂を外して接客してをつたものです。家に火をつけられても困るし、妻や子(母や私ども)の身の安全も考へてゐたのでせう。今思へば頭が下がります。

 

 さて、質屋が一年で最も忙しい日はいつでせう? 考ゑてみて下さい。

 

 ヒントは、かつて「季節の変はり目に、着ない服を預ける…」といふ話をしましたね。

 

 はい、難しさうなので答ゑを申し上げます。それは大晦日(12月31日)なのです。

 

 

 いにしへよりお正月には、着物に羽織で初詣やお年始に家族で出かけることが多うございます。そのため、日頃は滅多に身に着けない一張羅の服装や革ジャン、毛皮のコート、腕時計、装飾品、カメラなどを、質屋から引き出す訳でございます。お客は当然、纏まつたお金を持つて来られ、借りた金額に利子をつけて支払ひ、めいめい必要な物を受け取つて、師走の街を急ぎ足で帰つてゆかれます。これが開店から閉店までひつきりなしに続きますため、質屋では家族は勿論のこと、親戚の若者まで動員して、その対応に当たります。

 

 「小僧」役の私どもはお客の質札を持つて、蔵へ直行、指定の質草を探し出して店頭へ持つて走る。その間、父は元金に利子を加へ総額を計算してお客から受け取る…といふ役割分担で仕事に専念致します。子どもながら兄も私も、また親戚の叔父も、この日が楽しみで仕方ありませんでした。

 この大晦日の忙しさは、概ね午後9時の「紅白歌合戦」が始まる頃まで続きます。

 

 この一日が終はると、父の机の抽出しに入りきらぬほどの札束が犇めいてをつたものです。但し千円札が殆どでしたが…。

 夜半、その札束を、父をはじめ男衆が夜間金庫へ持つてゆくのもまた、子ども心にスリルを感じる瞬間でした。

 

 翌日はお正月。我が家の場合、年末のお手伝ひは、お年玉の額に何ら影響を及ぼすものではありませんでしたが、家族が一体となつた安堵感には一入のものがございました。

 

 現代社会の過剰な便利さは、人から精神面の充足感を奪ふといふ副作用があるやうですが、この頃の正月には「神」が確かに感じられたのです。

              〈完〉

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