蔵の在る家〈9〉ーー非日常的な出来事 その3 | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 本シリーズ〈7〉で取り上げましたやうな、幼い子どもを使つた知能犯的な盗みは、さすがに滅多に起きるものではありません。しかし、もつと単純な強窃盗ならば、数年に一度はございました。

 

 昭和30年代、我が店(兼自宅)は国鉄(現在のJR神戸線)立花駅線路沿ひに在りましたので、向かひに人家が無いため、人目を避けてこつそり金を借りるには好都合ではあるものの、賊に遭つても目撃者が少ないといふ欠点があることから、時々ターゲットにされました。

 

 或る日、家族が揃つて夕餉についてをりますと、店の方で〝ドーン〟といふ大きな破壊音が致します。「やられた!」と父が叫んで店に駆けつけると、陳列ショーケースのガラスが大破、拳大の石が店内に転がつてをりました。バラバラに散つたガラスの中に売り物の質流品や貴金属が見ゑます。兄は外へ飛び出して怪しい人物を捜しに行きました。父は直ちに所轄の尼崎西警察署に被害の電話、パトカーが出動します。1時間後、ラドーの腕時計と、ダイヤをちりばめたルビーの指輪など数点を盗まれたことが判りました。

 幸ひ、この事件はその日のうちに、町内を警邏してゐた警官の職務質問で、値札が付いたままの商品を持つ男が浮かび、首尾よく事件は解決しました。

 

 

 数ヶ月後、今度は真つ昼間に〝ドーン〟といふ破壊音。今回は父が仕事机に向かつてをりました。投石した賊が陳列台に駆け寄つて来た所を、父が扉をガラリと空けたため、真正面から父と賊が「ご対面〜」といふ事態となり、慌てて賊は逃げてゆきました。すぐにお縄にはなりませんでしたが、何でも父が知つた顔だつたらしく、後日同じ男が窃盗で捕まつた際、父に面通しの依頼があり父の証言で余罪の証拠となりました。

 

 上記二つの連続した事件以来、父は余程腹に据えかねたらしく、「次に陳列割られたら、こつちから投げ返したるんや!」と意気込み、自分も石と野球バットを店に用意してをりました。因みにその野球バットは質流品です。

 「ほんなことしたら、うちの商品がこわれるやん」といふ母の反対と、所轄の担当刑事さんの「危ないこと止めて、犯人はうちに任せなはれ」といふ説得を受けて、しぶしぶバットを片付ける父でしたが、以降机の足許に蜜柑大の石が置かれてゐたのを、小学生の私は知つてをりました。

 

 強盗までゆかぬ、取るに足りない悪事なら多々ございます。

 父に質草を「預かれない」と断わられた酔客が、うちの木製の表札を二つに割つて玄関前に叩き付けてゐたこともあります。以後、父は木製表札をやめて名刺を貼り付けるやうになりました。

 或る夜は、勝手口から侵入を図つたらしき賊が、うちの堅固な戸締まりに音を挙げたらしく、乾かしてをいた数本のコウモリ傘を、自棄になつて路地にバラまいて去つたこともありました。

 

 この稼業は地元警察(刑事課)との連携がとても密であることはシリーズ〈3〉でも触れました。父の店にも、警察への協力を讃ゑる感謝状が、うやうやしく額に入れて多数飾られてをつたものですが、これは父のみならず母や兄の協力の賜物でもあつたのです。

 

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