蔵の在る家〈2〉ーー質流れ | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 

 前回は、蔵に保管されてゐる「質草」(しちぐさ/お金を借りるための物品つまり担保)についてお話しましたね。衣類が大変多いといふのは、我が国の四季即ち寒暖がはつきりしてゐることに起因して参ります。

 四季に拘はりなく、年中預けられるものとして腕時計、宝石、カメラ、ラジオ、テレビが衣類に続いて多かつたやうに記憶してをります。

 

 コメントを頂いた “蜜柑” 様の想ひ出話から、お父上様がフィルムが入つたままのカメラを質入れされたといふ行(くだり)を承りました。貴重な歴史的証言に対し、この場をお借りしまして御礼申し上げます。

 

 

 かういつた例は大層多く、テープレコーダ(後にカセットレコーダ→CDラジカセへと発展)には録音テープやカセットテープが入つたままといふことが日常茶飯事でした。音楽のみならずラジオの野球中継、微笑ましいのは子どもら家族の声が録音されてゐることもありました。戸惑つたのは、恋人への告白が録音されてをつたこともございます(汗)。ビデオカメラは未だ当時は普及してをりませんでしたが、もし預かればさぞ色々な映像が埋蔵されてをつたことでせう。

 

 これらの質草が、3箇月の間利子を払はずに預けられますと「質流れ」と言つて、所有権が質屋のものに移動します。払ふ利子が高いからと、高価な物を預けて1,000円しか借りなくても、或は預けた事実を失念してしまつても例外なく流れて所有権がなくなつてしまふので、お客様の中には口惜しい思ひをされる方もあります。そのため父は自主的に「これはきつと忘れてゐる」とか「何らかの事情がある」と察した場合、ご本人宛てに私信を郵送することもありました。良心もあるでせうし、余計な憾みを買はぬ為に…と考へたのでせうね。

 

 「質流品」に関しては、有名デパートでバーゲンセールが行なはれる様子が毎年報道されますので、読者の皆様はよくご存知でせう。質といふ商売は、金を貸す際に利子で儲け、更に質草が流れるとそれを売つてまた儲けるといふ、なかなか効率の良い業態だつたのです。

 

 思へばこの質流品のお陰で、我が家にはかなり早期から様々な電化製品が有りました。昭和30年代半ば、テレビが有る家はまだ少なかつたので、以前にもお話したやうに、力道山のプロレス中継を観る為、さして親しくもないのに我が家へ午後8時になると訪ねてくる親類も居りました。ローラーで水を絞る方式の洗濯機も有りました。大型のステレオで、白鳥の湖やモルダウやボレロを聴くやうな恵まれた環境で少年時代を過ごしたのは幸運だつたと、今は感謝致しをります。

 

 

 分不相応な「ヒグマの敷物」などもありましたが、これは愛犬ヒトミによつてズタズタに噛み破られてしまひ、勿体ないことをしました。熊は犬の天敵だつたのでせうねー。厚さ20㎝もある桜木製の碁盤、つやつやの貝殻で造られた碁石を使つて「五目並べ」をして遊びました。また手彫りの豪華な駒を使つて、将棋倒しや山崩しをして遊んでをりました。あの頃、将棋に興味を覚ゑて修行してをれば、藤井聡太君のやうになれた…訳はありませんが、値打ちの解らぬ子どもだつたので、致し方ありません(笑)。

 

 かく申しますれば質屋といふのは「濡れ手に粟」だと羨む方も居られませうが、実際はなかなか厳しいものです。まず、品物に対する「目利き」が出来ないと話になりません。現代のやうに続々とコピーが出て参りますと、それを立ちどころに見破るべく弛まぬ努力が必要です。預ける客の側にいくら悪意があつても、金を貸したのは本物と誤解した質屋の責任となり、客は罪に問はれにくいからです。

 

 次回は、そのやうな父の商道修行途中の失敗に就きまして、「息子は視てゐた」風の話題を探してみませう。

                 (まだまだ続く予感)

 

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追伸

 22日(土)、23日(日) は、自宅マンション自治会で市民祭りに参加し、出店を担当します関係で、なかなかペタ、いいね返しを致す時間がないかと存じます。すみません。合掌