当ブログの1、2月にかけて「あの日に帰りたくない」と題して、不肖の中学・高校時代のお話をさせて頂きましたが、今思ひ起こせば、決して悪い思ひ出ばかりではなく、むしろ結構楽しいことも数々ありました。
中・高時代の私は言はば「プロレスおたく」でした。部活をしない「帰宅部」の私は、学校から真直ぐ家に帰りますと、さつさと宿題を済ませ、月刊「ゴング」「プロレス&ボクシング」を読み耽り、古書店を巡つて古い資料を探すこともありました。日本の選手よりも外人選手に興味があつた私は、アメリカの専門誌「レスリングレビュー」「ザ・レスラー」「インサイドレスリング」なども、英語が読めないくせに写真見たさに、外書を扱ふ書店を巡ることも多かつたのです。
高校2年生の或る日、さうした外書を扱ふ梅田・紀伊国屋書店のある阪急三番街を歩いてをりました。すると、何と目の前に著名なレフェリーのレッドシューズ・ドゥーガンさんが、一人の選手(名を失念しました)と二人で歩いてゐるではありませんか。
私は映画ファンの兄から教ゑてもらつた、有名スタアにサインをもらふ時の言葉を、心の中で復唱致します。
Give me your sign. では駄目なんだ…と、常に兄から言はれてをりました。
持ち歩いてゐた黒マジックを取り出し、ドゥーガンさんの後を追ひかけ、前へ走り込んだ私は震える声で尋ねます。
Excuse me, are you Red Shoes Dugan ?
紺の学生服に制帽姿の私を見て、ドゥーガンさんは、小さなお巡りさんだ…と誤解されたかも知れません。
Yes. ….?
訝しげな感じで立ち止まる氏に、重ねて尋ねました。
May I have your autograph, please ?
ドゥーガンさんは安心したやうに、私からマジックを受け取り、差し出したマジソンスクエアガーデンバッグ(!!)の側面に、すらすらとサインを下さいました。一緒に居た選手の方のサインは実は要らなかつたのですが、それでは気を悪くすると思ふので、Please とか何とか言つて同時に頂きました。
Thank you very much !
勿論、握手もして頂きました。
心臓はドキドキでしたが、何とか思ひを達した私は頬を染めて帰宅します。
翌日そのバッグを抱へた私は、学級で周囲の友人らにその話をしました。
折しも英語の授業で、鷲見先生といふこれまたプロレスの大好きな生徒課の先生に向かつて、級友等が
「先生、昨日トリトンが外人と英語でしやべつたらしいですよ!」
鷲見先生、莞爾と微笑んで教壇を空け、
「トリトン、その話、聞かせてみー」
私は昨日の話を適当に脚色して10分ほどスピーチし、最後に、今日はこの言葉を覚ゑて帰りませう…と言つて、黒板に「どや顔」で
May I have your autograph, please ?
とチョークで書き込み、皆に復唱させるといふ、英語の授業らしい締めくくりをしたのでありました。
めでたし、めでたし…
写真上;1969年11月、ドリー・ファンク・ジュニア選手の試合を裁く、レッドシューズ・ドゥーガンさん(中央)。月刊ゴング「ミル・マスカラスの華麗なる世界」よりお借りしました。
写真下;「マジソンスクエアガーデンバッグ」は不思議な事に日本でしか発売されてゐないさうです。