ある記録によれば、近江商人は、山賊や追ひ剥ぎの出没地点を予め調べた上で、わざと独りでゆつくりと道中して山賊を誘ひ出し、山賊が登場すると、おもむろに親分と交渉するさうです。
「私は近江の商人某々である。毎月ここを通る。商売は江戸と京大阪との往復であり、往きは奈良の蚊帳で帰りは江戸の小間物である。儲けは少ないが、毎月確実に決まつた日に道中する。ここで私の身ぐるみ剥いでも僅かなものであり、加へてもう二度と近江商人はこの道を通らなくなるだらう。そこで相談だが、私を峠を越えて安全な所まで守つてくれるなら、毎月守り料を〝保険〟として支払はむ。他の近江商人にも同様にしてくれるなら、全員が支払ふ。すると貴公らは、護衛をするだけで毎月決まつた収入が保証される」
…と交渉したのだ、と記録されてをります。それが功を奏したことは、以後の近江商人の発展を見れば一目瞭然であります。
「身に寸鉄を帯びず」に山賊の親分と交渉する胆力が無ければ成り立たない話ではありますが、武芸者でもない近江商人が「口先ひとつ」で交渉し、毎月の保険料だけで安全と信用と裏街道のネットワークを手に入れる訳であります。おそらくは他の街道を道中する商人たちも、近江商人に頼んで安全保障を構築したであらうことは、想像に難くありません。これこそが近江商人の真骨頂でありませう。
現代の考ゑ方なれば「街道や峠に出没する山賊を警察が全滅させれば良い」といふ短絡的な発想になるでせうか。これが国家規模の発想になつてゐる代表格がアメリカです。ところが、絶対的独裁国家の北朝鮮でもヤクザ組織が在るのと同じやうに、また時折FBIが大捕物をするアメリカに於いてもギャング組織が消滅しないのと同様、いつの時代、どのやうな地域でも「近江商人の交渉術」は必要不可欠なのです。
当時の近江商人は山賊などの裏街道ネットワークに通じてをり、それらをコントロールすることも可能だつたのやもしれません。
現代の警察国家では否定されるに違ひありませぬが、世の中は「白と黒」だけではなく、圧倒的多数は「白に近い灰色」か「黒に近い灰色」なのです。その「灰色グラデーション」が実社会だといふことが理解出来てゐなければ、「交渉」という意味も薄らいでしまひます。
わが国は今まさに「近江商人」として歩み始めねばならない時期に在ります。政治的外交的な交渉術を、今こそ近江商人の哲学に学ぶ時ではないでせうか。