「蚊帳(かや)」を使つて眠つたことがある…といふ経験の持ち主は、今では結構少ないのではないでせうか。
私の子供時代、夏といへば蚊帳無しで眠ることは珍しいくらひでした。部屋全体を虫から守る為には、蚊取り線香では効果が薄く、現代のやうにベープマットも無い時代、蚊帳は安眠のための「安全地帯」として不可欠なものだつたのです。
毎夜8時くらひになると夜具を敷き、ひと抱へもある蚊帳を出してきて、部屋の天井近くの四隅(または六隅)に有るフック(当時はちやんと寝室に取り付けてあつたのですね〜)にそれを引つ掛けますと、安全地帯の出来上がりです。子供らは嬉しくて布団の上を飛んだり跳ねたりして、寝るまでのひと時を過ごしたものです。
蚊帳の中に入るにも作法があり、裾をパタパタと煽つて蚊を追ひ払つたあと、最小限に入り口を開けて颯つと中へ潜り込むといふ、スリリングな入場もまた懐かしい思ひ出です。
さて蚊帳と言へば、インスピレーションで頭に浮かぶのが、何を隠さう「近江商人」なのです。
近江商人が最も活躍したのは、江戸時代の後半です。
滋賀県南部の商人たちが天秤棒一本を持つて、京大阪と江戸を往復しながら商社活動を展開してをりました。
近江商人は、当時の江戸には珍しかつた「蚊帳」を売ることを思ひつき、名産地の奈良で仕入れた蚊帳を天秤棒の両側に結ひつけ、江戸までの道を急ぎます。江戸では奈良の蚊帳は飛ぶやうに売れ、今度はその売上金で江戸の小間物を仕入れ、それをまた天秤棒に結びつけて京大阪で売つたのです。その繰り返しで財を成し、小さな稼ぎを積み重ねることは大きな富に結びつくことを証明したのでありました。
必要とされてゐるものを適正な価格で提供することは、商社の基本です。これを江戸時代に確立したのが近江商人です。そのために必要なものは「商売の勘」と「信用」だと言はれてゐましたが、それ以上に火急に重要なことは「道中の安全」でした。
近江商人の哲学の中に「身に寸鉄を帯びず」といふ言葉があります。いくら急いでも一週間近くかかる江戸への道中に、護身用の小刀ひとつ持つてはならないと決められてをりました。
仕入れのための山越への道中、或は東海道の難所など、有名な山賊追ひ剥ぎの出没地点を通らねばなりません。荷物や懐を狙はれるだけでなく、下手をすると命まで取られた時代のことです。それを一度の災難にも遭遇せずに近江商人が「商社活動」を成功させることが出来た背景には、独特の哲学に裏打ちされた交渉術が有つたのでした。 (次号に続く)