息子の成人式の日に思つたこと | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 先日9日(月)は成人の日。私の息子も下宿先の和歌山から年末に帰省、この日を前に3日ほどは卒業した中学、高校の学年同窓会が催され、思ひつきり懐かしさに浸れる日々だつたやうです。

 

 

 息子は生まれた土地である伊丹の小学校、中学校、高等学校(いづれも公立)を卒業し、それぞれの学校のクラブ活動や、地元のクラブチームでスポーツにいそしみ、男女を問はず、すこぶる顔が広ふございます。ですから、成人式ともなれば会場周辺に屯してをる間から、右を見ても左を見ても幼なじみがそこらじゆうに居る訳ですね。

 

 私自身は尼崎市に居住しながら、小学校は神戸、中学・高校は芦屋市といふやうに少年期を過ごして参りました。そのため、地元尼崎に友人が一人も居りません。成人式は地元市民会館で出席しましたが、周囲に知つた顔が一人も居ず、記念品のアルバムをもらつてすぐ帰宅したことを思ひ出します。20歳の頃は大学の部活で忙しかつたため、別段それを寂しいと感ずることも全く有りませんでした。


 ところが今回、息子の楽しさうな顔を連日見てをりますと、地元で少年、青年期を過ごすといふことの重要性が、手に取るやうに理解できたのです。地元の子供会で神輿を担いだり、同じ公園で遊んだりといふ日常的なふれ合ひは、結構大事なことなのでせう。阪神淡路大震災など天災地変が起きた時には、さういふことで養はれる横の繋がりが力を発揮するのですね。

 

 過日申し上げましたやうに、妻は父親が転勤族だつた為、小学校だけでも6回代はりました。恐らく学校名も、先生の名前も覚へてをらぬことでせう。もはや幼なじみは何処に住んでゐるものやら…といふ感覚です。阪神間で移動しただけの私でさへ孤独感を覚へるのに、その寂しさはいかばかりかと想像します。

 

 但し、小規模な共同体で絶へず顔を突き合はせることが、うとましい場合も多々ございます。狭い場所で見慣れた顔に囲まれて、一生とは言はずとも長く暮らしてゆくといふことに「閉所恐怖症」的な苦痛を感ずる人も、現代社会では多いかと存じます。誰もが品行方正に少年期を過ごすとは限らないのですから。

 

 最近、元不登校、ニートだつた人と知り合ふ機会がありました。その人は現在数多い「フリースクール」に疑問を呈してをられます。登校しやすいやうにとあらゆる規則を緩めて「フリー」にすることは、今後社会に出ても自立できない人間を育てることに繋がる危険性がある…と言ふのです。その人の場合は、わがままの許されない不自由な寮生活の中で、逆に自分の個性に気付いたり、生産的な妥協を学ぶことが多く、個を確立しつつ他人と共存する方法を身につけたと言つてをられました。

 

 勝手なことばかり申し上げましたが、血の通つた懐の広い共同体の再建が、今後の社会に必要不可欠だと感じる一日でした。 合掌