「経済的」な私といふ人間 | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

新年明けましておめでたうございます。

 

 「ケチ」と「もつたいない」とは異なる…と、私は固く信じてをります。しかし、両者は隣り合はせに在ると言はれると、あながち否定は出来ませんが…。


 父親が近江商人の系統に在るせいか、我が家はそれがしの幼少より、物を大事にする、長持ちさせる、可能なら故障しても修理して使用する…といふ家訓が、それとなく存在してをつたやうに思ひますし、その傾向は現在でも引き継がれてをります。


 一方、我が妻は父親が転勤族でありましたため、ほとんど毎年引つ越しをしてゐたせいか、物を長く持ち続ける習慣がなかつたのでせう。用が済めば捨てる…といふことに馴れてをりますことから、生活の中でも相互に誤解が生ずることがよくございます。もつとも、これは本日の課題ではありませんので措くことにします。

 

 さて、「もつたいない」精神は、だうやら肉体にまで影響を及ぼすやうです。衣食住の中でも、元々「衣」に全く拘りの無い私には、とても便利な肉体と環境が今だに揃つてをることに気付きます。


 私どもトリトン一族は中肉中背、体形は父兄とも似たり依つたりで、特に大食漢でもないため太ることもありませんでした。
 その結果、少年時代より私は兄のお古を着こなすことで乗り切つて参りました。新たな服を買ふ必要が無いわけです。元々服装に無頓着な私は、それを僻むこともございませんでした。その上、太りも痩せもしない私は、未だに学生時代のズボンが履けるし、背広も靴も着用可能なのであります。
 また、冠婚葬祭の際には、父親の礼服が私の身体にジャストフィットで着られるため、別段あつらへる必要もございません。おかげで、60歳の現在に至るまで友人の結婚式や葬儀には父の礼服を着用して参りました。

 

 そのやうな中、来週成人式を迎へる息子だけがトリトン家の伝統を覆し、身長176㎝を越へてしまひました。今後、息子はすべて自前の服装を誂へたり買ひ求めたりしなければなりません。


 ところが、こと私にとつてはよく出来たものです。今の時代の若い人は丈の短い上着を好む傾向があります。

 先日、息子が着るのに飽きたジャケットを私が着てみましたところ、これがぴつたり!さらに、ジーンズの腹周りサイズが同じであることが判明し、丈は縮める必要があるものの、ジーンズまで私にぴつたりなのでございます。

 

 これまで身内や友人のプレゼントで衣料品を頂くことは度々ございましたものの、それは別として結局、この私めは下着以外の衣類をほとんど買ふ必要なく、これまでの半生を過ごして参ることが出来たのです。


 過ぎた始末家とののしられる嫌ひもありますが、まさに「経済的」な人間とは私の事と、日々天命に感謝するのでございます。合掌