女子プロレスのむかしむかし | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

還暦を過ぎたトリトンのブログ

団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 何を隠さう、私はプロレスリングのオールドファンであります。
 中学生の頃、ドリー・ファンクJRにはまりました。彼がハーリィ・レイスに敗れNWA世界チャンピオンから転落したのが私の高校生時代。その後ドリーさんがジャイアント馬場率いる全日本プロレスの鶴田選手をテキサスのアマリロで鍛え上げ、間もなくジャンボ鶴田は名実共に馬場さんの後継者となりました…それが私の大学生時代でした。
 この頃から学生生活、就職、転職…と人生の転機が次々と訪れ、プロレス観戦から25年ほど遠ざかりました。

 十数年前、自宅マンションでケーブルTVを敷設してすぐに、JスポーツでWWEが放映されてゐることを知り、飛びつくやうにして観戦するやうになつたのは言ふまでもありません。

 さて、女子プロレスに関する想ひ出を今日は語りたいと存じます。アメブロでmikalukaさんの「女子プロレス情報ブログ」を毎日楽しく拝見させて頂いてをります。mikalukaさん、ありがたうございます。このあいだASUKA選手がNXT(WWE)の女子世界王者となり、俄然世界中で我が国の女子プロレスが注目されてをり、ファンとしても嬉しい限りです。
 私が小学生時代(昭和30年代~40年代初頭)には週に1度、午後11時から女子プロレスが30分間TV放映されてをりました。当時の日本のエースは小畑千代といふ人でした。先年亡くなつたファビュラス・ムーラが世界チャンピオンとして、小畑選手と激闘を繰り返してゐたやうに記憶してをります。「全女」といふ名前だつたかだうかは記憶にございませんが、タイトル名がWWWAといふ名前だつたやうな覚へがあります。おそらく全女のさきがけだつたのかも知れません。
 私が大阪府立体育会館へ足を運んで「全女」を観戦するやうになつたのは、高校時代だと思ひます。当時の女性エースは星野美代子選手でした。WWWA世界チャンピオンとして、マリー・バグノン、プリンセス・ウォースターといつた外人選手を相手に防衛戦を繰り返してをりました。他に赤城マリ子、ジャンボ宮本選手が居り、後年アイドルから転身するミミ萩原選手、山口百恵さんとスター誕生の決勝を争つたマッハ文朱選手が出て参りました。「女子プロレス情報ブログ」をご覧の世代の方々は全くご存知ないでせうね。
 話題が尽きないので、また近々語りたいと思ひます。