【タクシとお別れ】
チェックアウトは9:00。ビジネスマン用のホテルだけあって、他のホテルに比べるとかなり早い。
しかし、「早起きは三文の徳」と言う。私たちは9時ちょうどにShipを出た。
しばらく同じ方向に向かって歩いていたが、一緒にムンバイまで来たタクシと私は、それぞれ新しい宿を探すため、ここで別れることにした。固い握手を交わし、日本での再開を約し合いながら。
この旅で初めて一人になった私は、インドの旅にもかなり慣れ、「自由」の空気を吸っていた。
いや、しかし、私はずっと「一人」だったのだろう。私は今回の旅でも、いつもそうであるように、良き出会いに恵まれて多くの道をその場で知り合った仲間と共にしてきた。
だが、それは、それぞれが「独立」し、お互いに「協力」することはあっても「頼る」ことはしないという関係が前提にある。
やはり、旅は「一人」に限る。
確かに一人旅は大変なことも多い。しかし一人であるからこそ、旅はにぎやかなのであり、一人であるからこそ、多くのことが「経験」となるのである。
【「旅」と「旅行」について】
※インドの話と関係ないので、興味のない人はここを飛ばして読んでください。
少し話が脱線してしまうが、「旅」と「旅行」について、要するに私自身の「旅についての所感」を記しておこう。
「旅は道連れ」とはよく言うが、私は旅の途上でこの言葉を思い起こすたびに、よくも「旅の心」を絶妙に表現したものだと感心する。
しかし、今の時代「道連れ」にできる人間はとても少ない。特に日本では世界的にみてかなり少ない方だと思う。
言葉を変えると、「旅」ではなく、単なる「旅行」に来ている人が多すぎる。そういう人たちはこちらが人懐っこく話しかけても、不審そうな顔をして、こちらをまるで犯罪者でも眺めるかのような目で見てくる。(まぁ、実際怪しそうに見えるという事情もあるのだろうが・・・)
日本人は本当の「旅」を求めて家を出る人よりも、レジャーとしての「旅行」を楽しもうと、旅行会社のカモとなって出かける人があまりに多い。
私から見ると、なんとつまらないことか、と率直に思ってしまう。
私は「旅」と「旅行」とを分けて考えるようにしている。
もちろん一つの遠出を、「旅」か、「旅行」か、と単純に割り切れるものではないが、少なくともどちらの要素が強いか、ということは言えると思う。
つまり、「旅」寄りの遠出か、「旅行」寄りの遠出かは明確に違う。
しかし、どう違うかと言えば、答えは単純ではない。
まず、「旅行」寄りとはどういうことか、考えてみる。
目的地とそこでの目的とする体験・行動(多くの場合、観光)を第一義とするのは非常に「旅行」的であり、まさに典型的なのが修学旅行の類である。
学校に集まってバスに乗り込み、直行で宿舎へ到着し、その周辺の観光地を次々に回って「勉強だ」などとぬかしている。私は「集団行動が苦手」だという別な理由もあるが、こういった画一的でマンネリ化した「旅行」は頼まれても行く気がしない。
一方、「旅」寄りとはどういうことか。
簡単に言ってしまえば、目的地に行って帰ってくるその間の「過程」を大事にするというのが「旅」の特徴だ。
この「旅」は、若いうちの人格形成にも、大人になってからの人生経験にも非常に有益だと思う。
この「旅」の心を言葉できちんと説明するのは、私のような無能な人間には大変難しいので、三木清の「旅について」という有名な随想の、有名なくだり(カッコ1~カッコ9)を拝借しつつ、以下に詳しく述べることとしよう。
(1)「どのような理由から旅に出るにしても、すべての旅には旅としての共通の感情がある。一泊の旅に出る者にも、一年の旅に出る者にも、旅には相似た感懐がある。恰(あたか)も、人生はさまざまであるにしても、短い一生の者にも、長い一生の者にも、すべての人生には人生としての共通の感情があるように。」
まず、ここでは「旅」は「物理的な時間の長さ」とは無縁のものであるということ。
長いから「旅」、短いから「旅行」というものではない。
(2)「旅におけるかような解放ないし脱出の感情にはつねに或る他の感情が伴っている。即ち旅はすべての人に多かれ少なかれ漂白の感情を抱かせるのである。解放も漂泊であり、脱出も漂泊である。そこに旅の感傷がある。」
(3)「旅の心は遙かであり、この遙(はる)けさが旅を旅にするのである。それだから旅において我々はつねに多かれ少なかれ浪漫的になる。」
「旅」にはある特殊な感情が伴うものだ、ということ。
(4)「ただ目的地に着くことをのみ問題にして、途中を味わうことができない者は、旅の真の面白さを知らぬものといわれるのである。」
↑名言過ぎ!(説明不要)
(5)「平生(へいぜい)の実践的生活から抜け出して純粋に観想的(かんそうてき)になり得るということが旅の特色である。旅が人生に対して有する意義もそこから考えることができるであろう。」
(6)「途中に注意している者は必ず何か新しいこと、思い設けぬことに出会うものである。旅は習慣的になった生活形式から抜け出ることであり、かようにして我々は多かれ少なかれ新しくなった眼をもって物を見ることができるようになっており、そのためにまた我々は物において多かれ少なかれ新しいものを発見することができるようになっている。」
「非日常」こそ「旅」の特徴であるということ。
「友達と一緒に」あるいは「家族と一緒に」というのはそもそも「日常」の延長と言わざるをえない・・・。
この「日常の延長線上にあるもの」を私は「旅行」と呼んでいる。
(6)「旅の利益は単に全く見たことのない物を初めて見ることにあるのでなく、――全く新しいといい得るものが世の中にあるであろうか――むしろ平易自明のもの、既知のもののように考えていたものに驚異を感じ、新たに見直すところにある。 (中略) 旅が経験であり、教育であるのも、これに依るのである」
全くその通りだと思う。これも名言だ。
私のインドでの「旅」の経験は私に、「インドが驚異の国だったこと」よりもむしろ、「日本が驚異の国であること」を教えてくれるだろう。
(7)「何処から何処へ、ということは、人生の根本問題である。我々は何処から来たのであるか、そして何処へ行くのであるか。これがつねに人生の根本的な謎である。そうである限り、人生が旅のごとく感じられることは我々の人生感情として変わることがないであろう。」
(8)「旅は我々に人生を味(あじわ)わせる。あの遠さの感情も、あの近さの感情も、あの運動の感情も、私はそれらが客観的な遠さや近さや運動に関係するものでないことを述べてきた。旅において出会うのはつねに自己自身である。自然の中を行く旅においても我々は絶えず自己自身に出会うのである。旅は人生のほかにあるのでなく、むしろ人生そのものの姿である。」
ここで三木清は「旅=人生」という方程式を言い表している。
読む人によっては極端だと思われるかも知れないが、やはり旅の特徴の一つは「人生のようなものである」ということだ。逆に「人生が『旅』のようだ」、と考えてみるとうなづけるのではないだろうか。
「旅において出会うのはつねに自己自身である。」←名言過ぎ!その二。
そう、私たちは「旅」に出ると、とりわけ「一人旅」に出ると、なぜか「自分と対話する」ことが多くなる。
仕事で悩んでいる時や、恋人にふられた時に「旅」に出たくなるのも、「旅」にはそういう効果があるからかも知れない。
(9)「真に旅を味(あじわ)い得る人は真に自由な人である。旅することによって、賢いものはますます賢くなり、愚かな者はますます愚かになる。日常交際している者が如何なる人間であるかは、一緒に旅してみるとよく分るものである。人はその人それぞれの旅をする。旅において真に自由な人は人生において真に自由な人である。人生そのものが実に旅なのである。」
「旅することによって、賢いものはますます賢くなり、愚かな者はますます愚かになる。」
これを読んでドキッとした人は私だけではないだろう。
でも、これは三木清が極端な言い回しをしただけだ、と私は勝手に解釈している。
「旅」は人間を賢くするし、成長させる。なぜなら「旅=人生」だから。
「旅」に出ることで、「小さな自分の人生」と向き合うことができる。その後の人生に、「旅」の経験を役立たせることができる。
だから、人は「旅」に出るのである。
※ココからインドに戻ります・・・。
【ムンバイ一人歩き】
さて、私はとりあえず、安宿街になっているインド門やタージマハル・ホテルの周辺を歩いて、『地球の歩き方』に載っているホテルをいくつかチェックしてまわった。
そうやって歩いていると、これまた親切にも、いつものごとくインド人のおっさんが付きまとってくる。
そして「チープ・ホテル?バス・チケット?」と何度も聞いてくる。
金欲しさに案内を買って出てきているようなので、「金は払わないよ」と言った上で、一応おっさんの勧めるホテルも見てみた。
すると、ここが思ったより安くて綺麗だったので、ここに泊まることにした。
ドミトリー(集団部屋)が150Rsだから、インドのホテルとしては決して安くないのだが、ここムンバイ(旧ボンベイ)は本当に物価が高いようで、それなりに質を保っているならこの価格でよしとするしかない。ムンバイの物価は地方に比べて2~3倍は高いように感じた。
チェックインを済ませた後も、そのおっさんは私に付きまとってきて、私から離れようとしない。
仕方ないので、彼の勧める両替所でT/C(トラベラーズ・チェック)をルピーに換え、さらに明日のゴア行きの長距離バスも予約を取ってしまった。
Non-A/CのSleeperで690Rs。「地球の歩き方」の相場とほぼ一致していたので、つい値切るのを忘れてしまっていたが、後で人に聞くと実際は400Rsくらいで取れるみたいだ。これは失敗。
まったくこういうことばかりが続くから、インド人が信用できなくなってしまうのだ。
彼らはツーリストから金を巻き上げることしか考えていないようにしか見えない。しかも、ツーリストを騙したり、惑わしたりすることが、全く悪いことだと思っておらず、その上非常にしつこいのでたちが悪い。
これがインドを旅する上での最大の厳しさと言えるのだ。
予想通り、最後にそのおっさんはチップを要求してきた。
私が「気持ち」として20Rsを渡すと、「これだけたくさん世話してやって、たったの20Rsだけか!?」と、不機嫌そうにわめきたてるから、私は心の中で「バカヤロウ!!」と叫びながらその場を立ち去った。
ようやくおっさんから解放され、一人で街を歩き始めた。少し歩いていると日本人らしきツーリストの姿が見えたので声をかける。すると、ゴアの方からムンバイに来たところらしく、夕方まで暇みたいなので一緒にお茶することにした。
ゴアの話などをいろいろ聞かせてもらいながら、北インドの経験を私が彼に伝え、お互いに情報交換をする。
さらにその後、ムンバイの政府観光局(今度はちゃんとしたところ)や、ボンベイ・ストアー(有名なショッピングセンター)、マクドナルドなどへも共にして、仲良くなった。
立命館大学に通う彼は、ロバートというミドルネームを持つ、イギリス人と日本人のハーフだ。私と同じく、大学の春休みを使って気ままな旅をしているようだ。
ところで、インドのマクドナルドには、ぜひ一度行こうと思っていた。
日本人にとってとても馴染みがあり、かつ全世界に店舗を持つマクドナルドは、各国文化の比較対象として興味深いものがある。全世界で基本的に「同じ味」、「同じサービス」を展開するマクドナルドが、「あえてその国に合わせているところ」は、裏を返せば「その国では絶対にそうしなければいけないところ」なのである。
ちなみに私はオーストラリアのマクドナルドにも行ったことがあるが、日本とほとんど全く変わらなかった。
私は、日本で言う「ビックマック」に当たると思われる、「マハラジャマック」のセットを頼んだ。「マハラジャ」とは「王様」という意味である。105Rsなので、値段は日本の三分の一くらい。こちらの物価を考慮すると一食の値段にしては少々お高い。
食べてみるとバーガーの味はやはりインド風というか、ツンとするスパイスが入っていて、食べたことのない味がしたが、それなりに美味い。ポテトの方は見た目も味も日本と全く変わらなかった。
インドのマクドナルドは他の国と決定的に違うところがある。それは、ハンバーガーの命とも言うべき「牛肉」を一切使用していないのだ。
人口の約8割が、牛を神聖な生き物とするヒンズー教徒であるので、それはある意味で当然だとは思うのだが、「牛肉のないハンバーガー屋さん」はマクドナルドにとってインドが初らしい・・・。
「マハラジャマック」も、牛肉に似せた味付けにはなっているが、中身は鶏肉や子羊の肉だという。また、野菜だけでできているハンバーガーのメニューもあった。
インドのマクドナルド 「マハラジャマック」
さて、ロバートと歩いていた途中、妙なことに遭遇した。
簡単に言うと、パキスタンのツーリストと名乗る男が、「サイフ以外の荷物を全部盗まれてしまったので、これからデリーに行かなければいけないのを助けてくれないか」と、困り果てた感じで話しかけてきたのだ。
10分ほど話を聞いてやって、アドバイスをしてみたが、とても助けてあげられそうにないので、お気の毒にと思いながらその場を立ち去った。が、しかし、やはり話がキレイすぎる・・・。
この先をどう展開するのか分からないが、これもたぶん詐欺の一つなのだろう、と私たちは二人で話しながら、すぐにそのことを忘れた。
午後3時をまわった頃にロバートと別れ、私は広いムンバイの街を再び一人で歩き始めた。地図を確認しながらMarineLine駅まで行き、明日乗るバスの発着点を確認。
その駅で切符の買い方が全く分からなかったので、切符なしで電車に飛び乗り、2駅目のGrantRoad駅で下車。
切符なしで乗れてしまうところもある意味すごいところだが、切符が必要だったのかどうなのかは不明である。
私はそこから歩いて「マニ・バヴァン」を訪れた。
ここは若かりし頃のマハトマ・ガンディーがしばらく住んでいたという家で、中にはガンディーにまつわる様々な展示品が置いてある。要するに小さな「ガンディー博物館」といったところだ。
マニ・バヴァンは大変見つけにくい所にあり、一度通り過ぎてから道行く人に尋ねてようやく発見した。
見てみると、なんと大掛かりな改装工事中であった。
しかし、マニ・バヴァンは当然のごとく開館していた。中で工事している若い兄さんたちは、「いらっしゃい」とでも言うかのごとく「上だよ」と案内してくれる。
こういうところがとても「インドらしさ」を感じる瞬間である。日本なら間違いなく「只今、改装工事中につき休館」と張り紙をだしてあるに違いない。また仮に工事中に開館していても、作業員の人は、案内はおろか、来館する客と目も合わせないだろう。
一通り中の展示品を見たり、カメラに収めたりしてから、好奇心で屋上に上ってみると(屋上に上れるということ自体がやはり日本ではありえないが・・・)、改装工事用の工具やペンキなどで一杯になっていた・・・。
マニ・バヴァンの次は、マリン・ドライブの最北端近くの小高い丘にある公園に登り、ムンバイが一望できる景色を楽しんだ。
その後、夕日を右手に眺めながら、マリン・ドライブをひたすらホテルに向かって歩き続ける。何キロあるだろうか。通常は「歩く」距離ではない。しかし、夕日が沈むのを眺めていたかったし、「歩くこと」で土地勘がつくということを経験から知っていたので、私はくたくたになりながらインド門まで歩いて帰ってきた。
やれやれ、これでホテルに戻ってやっとベッドで休めると思っていると、何やらインド門の辺りが真っ暗なのにたくさんの人でにぎわっている。これからライトアップでもするのかと少しその様子を見ていると、テレビ局っぽい感じのカメラマンとアナウンサーが待機しているのが分かった。
私は近寄ってそのアナウンサーに英語で話を聞いてみると、彼は「ANI(Asian News International)」という大きなテレビ局の記者で、どうやらインド政府が節電政策を打ち出したことについて街行く人にインタビューをしようとしていたところのようだ。
彼は私の英語を上手いと褒めながら、私に興味を持ってくれているようだった。
実際に間近で2組の家族にインタビューするのを見ていると、その記者は突然私に向かって「君もインタビューに応じてくれないか?」と言ってきた。
あまりに予想外だったので、私は「いや、自分はただのツーリストなので・・・」と、その申し出を断ってしまった。
私は自分が「引っ込み思案な日本人」の一人であることを思い知らされたようで、なんだか決まりが悪い。「もう少し心の準備をしておけば・・・」と後悔しつつも、私はその記者の人と握手をし笑顔で別れた。
さて、ホテルに戻り地図を確認してみると、なんと今日一日で軽く10km以上歩き回ったことになる。我ながらよくやるもんだ、と感心。
【「地獄に仏」】
ホテルで改めてドミトリーの中を見渡してみると、ある異変に気づいた。
「ん?ここはアフリカか?」と思ってしまうほど、黒人が多い・・・。
ロビーで夕食をとりながら何人かの人と話していると、どうやらナイジェリアからの旅行者が多いみたいだ。
それにしてもドミトリーに長いこと住みついているような黒人が多く、さらに話を聞くと世界中で麻薬のディーラーをしている人たちだということが分かった・・・。
目の前で見ていると本当に黒人は強そうだ。皆体格がよく、体脂肪率が極端に低そうな筋肉ムキムキの体つきをしている。「コイツらと揉め事になったら一溜まりもない」と思って、私はシャワーの後、大人しく日記を書いたりしていた。
すると、「地獄に仏」とはこのことか!なんと斜め向かいのベッドに日本人らしきバックパッカーがいるではないか。
彼は私を見つけると近づいてきて、私たちはその場でいろいろと旅の話などをし始めた。
彼の名前はわっちー。バンコクから入って、トルコを目指し、長期の旅をしている途上だと言う。
わっちーは明日、インドの友人とムンバイのスラム街を見に行くらしいので、私が「ぜひ連れて行って欲しい」と頼むと、「うまくいくか分からないけど、話してみる」と約束してくれた。
私たちはまた明日会うことにし、ベッドに寝転んだ。












