【タクシとお別れ】


チェックアウトは9:00。ビジネスマン用のホテルだけあって、他のホテルに比べるとかなり早い。
しかし、「早起きは三文の徳」と言う。私たちは9時ちょうどにShipを出た。


しばらく同じ方向に向かって歩いていたが、一緒にムンバイまで来たタクシと私は、それぞれ新しい宿を探すため、ここで別れることにした。固い握手を交わし、日本での再開を約し合いながら。


この旅で初めて一人になった私は、インドの旅にもかなり慣れ、「自由」の空気を吸っていた。
いや、しかし、私はずっと「一人」だったのだろう。私は今回の旅でも、いつもそうであるように、良き出会いに恵まれて多くの道をその場で知り合った仲間と共にしてきた。
だが、それは、それぞれが「独立」し、お互いに「協力」することはあっても「頼る」ことはしないという関係が前提にある。
やはり、旅は「一人」に限る。
確かに一人旅は大変なことも多い。しかし一人であるからこそ、旅はにぎやかなのであり、一人であるからこそ、多くのことが「経験」となるのである。



【「旅」と「旅行」について】


  ※インドの話と関係ないので、興味のない人はここを飛ばして読んでください。


少し話が脱線してしまうが、「旅」と「旅行」について、要するに私自身の「旅についての所感」を記しておこう。


「旅は道連れ」とはよく言うが、私は旅の途上でこの言葉を思い起こすたびに、よくも「旅の心」を絶妙に表現したものだと感心する。

しかし、今の時代「道連れ」にできる人間はとても少ない。特に日本では世界的にみてかなり少ない方だと思う。


言葉を変えると、「旅」ではなく、単なる「旅行」に来ている人が多すぎる。そういう人たちはこちらが人懐っこく話しかけても、不審そうな顔をして、こちらをまるで犯罪者でも眺めるかのような目で見てくる。(まぁ、実際怪しそうに見えるという事情もあるのだろうが・・・)

日本人は本当の「旅」を求めて家を出る人よりも、レジャーとしての「旅行」を楽しもうと、旅行会社のカモとなって出かける人があまりに多い。

私から見ると、なんとつまらないことか、と率直に思ってしまう。


私は「旅」と「旅行」とを分けて考えるようにしている。

もちろん一つの遠出を、「旅」か、「旅行」か、と単純に割り切れるものではないが、少なくともどちらの要素が強いか、ということは言えると思う。


つまり、「旅」寄りの遠出か、「旅行」寄りの遠出かは明確に違う。

しかし、どう違うかと言えば、答えは単純ではない。


まず、「旅行」寄りとはどういうことか、考えてみる。

目的地とそこでの目的とする体験・行動(多くの場合、観光)を第一義とするのは非常に「旅行」的であり、まさに典型的なのが修学旅行の類である。

学校に集まってバスに乗り込み、直行で宿舎へ到着し、その周辺の観光地を次々に回って「勉強だ」などとぬかしている。私は「集団行動が苦手」だという別な理由もあるが、こういった画一的でマンネリ化した「旅行」は頼まれても行く気がしない。


一方、「旅」寄りとはどういうことか。

簡単に言ってしまえば、目的地に行って帰ってくるその間の「過程」を大事にするというのが「旅」の特徴だ。

この「旅」は、若いうちの人格形成にも、大人になってからの人生経験にも非常に有益だと思う。

この「旅」の心を言葉できちんと説明するのは、私のような無能な人間には大変難しいので、三木清の「旅について」という有名な随想の、有名なくだり(カッコ1~カッコ9)を拝借しつつ、以下に詳しく述べることとしよう。


(1)「どのような理由から旅に出るにしても、すべての旅には旅としての共通の感情がある。一泊の旅に出る者にも、一年の旅に出る者にも、旅には相似た感懐がある。恰(あたか)も、人生はさまざまであるにしても、短い一生の者にも、長い一生の者にも、すべての人生には人生としての共通の感情があるように。」


まず、ここでは「旅」は「物理的な時間の長さ」とは無縁のものであるということ。

長いから「旅」、短いから「旅行」というものではない。


(2)「旅におけるかような解放ないし脱出の感情にはつねに或る他の感情が伴っている。即ち旅はすべての人に多かれ少なかれ漂白の感情を抱かせるのである。解放も漂泊であり、脱出も漂泊である。そこに旅の感傷がある。」

(3)「旅の心は遙かであり、この遙(はる)けさが旅を旅にするのである。それだから旅において我々はつねに多かれ少なかれ浪漫的になる。」


「旅」にはある特殊な感情が伴うものだ、ということ。


(4)「ただ目的地に着くことをのみ問題にして、途中を味わうことができない者は、旅の真の面白さを知らぬものといわれるのである。」


↑名言過ぎ!(説明不要)


(5)「平生(へいぜい)の実践的生活から抜け出して純粋に観想的(かんそうてき)になり得るということが旅の特色である。旅が人生に対して有する意義もそこから考えることができるであろう。」

(6)「途中に注意している者は必ず何か新しいこと、思い設けぬことに出会うものである。旅は習慣的になった生活形式から抜け出ることであり、かようにして我々は多かれ少なかれ新しくなった眼をもって物を見ることができるようになっており、そのためにまた我々は物において多かれ少なかれ新しいものを発見することができるようになっている。」


「非日常」こそ「旅」の特徴であるということ。

「友達と一緒に」あるいは「家族と一緒に」というのはそもそも「日常」の延長と言わざるをえない・・・。

この「日常の延長線上にあるもの」を私は「旅行」と呼んでいる。


(6)「旅の利益は単に全く見たことのない物を初めて見ることにあるのでなく、――全く新しいといい得るものが世の中にあるであろうか――むしろ平易自明のもの、既知のもののように考えていたものに驚異を感じ、新たに見直すところにある。 (中略) 旅が経験であり、教育であるのも、これに依るのである」


全くその通りだと思う。これも名言だ。

私のインドでの「旅」の経験は私に、「インドが驚異の国だったこと」よりもむしろ、「日本が驚異の国であること」を教えてくれるだろう。


(7)「何処から何処へ、ということは、人生の根本問題である。我々は何処から来たのであるか、そして何処へ行くのであるか。これがつねに人生の根本的な謎である。そうである限り、人生が旅のごとく感じられることは我々の人生感情として変わることがないであろう。」

(8)「旅は我々に人生を味(あじわ)わせる。あの遠さの感情も、あの近さの感情も、あの運動の感情も、私はそれらが客観的な遠さや近さや運動に関係するものでないことを述べてきた。旅において出会うのはつねに自己自身である。自然の中を行く旅においても我々は絶えず自己自身に出会うのである。旅は人生のほかにあるのでなく、むしろ人生そのものの姿である。」


ここで三木清は「旅=人生」という方程式を言い表している。

読む人によっては極端だと思われるかも知れないが、やはり旅の特徴の一つは「人生のようなものである」ということだ。逆に「人生が『旅』のようだ」、と考えてみるとうなづけるのではないだろうか。

「旅において出会うのはつねに自己自身である。」←名言過ぎ!その二。

そう、私たちは「旅」に出ると、とりわけ「一人旅」に出ると、なぜか「自分と対話する」ことが多くなる。

仕事で悩んでいる時や、恋人にふられた時に「旅」に出たくなるのも、「旅」にはそういう効果があるからかも知れない。


(9)「真に旅を味(あじわ)い得る人は真に自由な人である。旅することによって、賢いものはますます賢くなり、愚かな者はますます愚かになる。日常交際している者が如何なる人間であるかは、一緒に旅してみるとよく分るものである。人はその人それぞれの旅をする。旅において真に自由な人は人生において真に自由な人である。人生そのものが実に旅なのである。」


「旅することによって、賢いものはますます賢くなり、愚かな者はますます愚かになる。」

これを読んでドキッとした人は私だけではないだろう。

でも、これは三木清が極端な言い回しをしただけだ、と私は勝手に解釈している。

「旅」は人間を賢くするし、成長させる。なぜなら「旅=人生」だから。

「旅」に出ることで、「小さな自分の人生」と向き合うことができる。その後の人生に、「旅」の経験を役立たせることができる。

だから、人は「旅」に出るのである。


   ※ココからインドに戻ります・・・。



【ムンバイ一人歩き】


さて、私はとりあえず、安宿街になっているインド門やタージマハル・ホテルの周辺を歩いて、『地球の歩き方』に載っているホテルをいくつかチェックしてまわった。


そうやって歩いていると、これまた親切にも、いつものごとくインド人のおっさんが付きまとってくる。
そして「チープ・ホテル?バス・チケット?」と何度も聞いてくる。
金欲しさに案内を買って出てきているようなので、「金は払わないよ」と言った上で、一応おっさんの勧めるホテルも見てみた。

すると、ここが思ったより安くて綺麗だったので、ここに泊まることにした。
ドミトリー(集団部屋)が150Rsだから、インドのホテルとしては決して安くないのだが、ここムンバイ(旧ボンベイ)は本当に物価が高いようで、それなりに質を保っているならこの価格でよしとするしかない。ムンバイの物価は地方に比べて2~3倍は高いように感じた。


チェックインを済ませた後も、そのおっさんは私に付きまとってきて、私から離れようとしない。

仕方ないので、彼の勧める両替所でT/C(トラベラーズ・チェック)をルピーに換え、さらに明日のゴア行きの長距離バスも予約を取ってしまった。
Non-A/CのSleeperで690Rs。「地球の歩き方」の相場とほぼ一致していたので、つい値切るのを忘れてしまっていたが、後で人に聞くと実際は400Rsくらいで取れるみたいだ。これは失敗。

まったくこういうことばかりが続くから、インド人が信用できなくなってしまうのだ。
彼らはツーリストから金を巻き上げることしか考えていないようにしか見えない。しかも、ツーリストを騙したり、惑わしたりすることが、全く悪いことだと思っておらず、その上非常にしつこいのでたちが悪い。
これがインドを旅する上での最大の厳しさと言えるのだ。


予想通り、最後にそのおっさんはチップを要求してきた。

私が「気持ち」として20Rsを渡すと、「これだけたくさん世話してやって、たったの20Rsだけか!?」と、不機嫌そうにわめきたてるから、私は心の中で「バカヤロウ!!」と叫びながらその場を立ち去った。


ようやくおっさんから解放され、一人で街を歩き始めた。少し歩いていると日本人らしきツーリストの姿が見えたので声をかける。すると、ゴアの方からムンバイに来たところらしく、夕方まで暇みたいなので一緒にお茶することにした。
ゴアの話などをいろいろ聞かせてもらいながら、北インドの経験を私が彼に伝え、お互いに情報交換をする。
さらにその後、ムンバイの政府観光局(今度はちゃんとしたところ)や、ボンベイ・ストアー(有名なショッピングセンター)、マクドナルドなどへも共にして、仲良くなった。
立命館大学に通う彼は、ロバートというミドルネームを持つ、イギリス人と日本人のハーフだ。私と同じく、大学の春休みを使って気ままな旅をしているようだ。


ところで、インドのマクドナルドには、ぜひ一度行こうと思っていた。

日本人にとってとても馴染みがあり、かつ全世界に店舗を持つマクドナルドは、各国文化の比較対象として興味深いものがある。全世界で基本的に「同じ味」、「同じサービス」を展開するマクドナルドが、「あえてその国に合わせているところ」は、裏を返せば「その国では絶対にそうしなければいけないところ」なのである。
ちなみに私はオーストラリアのマクドナルドにも行ったことがあるが、日本とほとんど全く変わらなかった。


私は、日本で言う「ビックマック」に当たると思われる、「マハラジャマック」のセットを頼んだ。「マハラジャ」とは「王様」という意味である。105Rsなので、値段は日本の三分の一くらい。こちらの物価を考慮すると一食の値段にしては少々お高い。
食べてみるとバーガーの味はやはりインド風というか、ツンとするスパイスが入っていて、食べたことのない味がしたが、それなりに美味い。ポテトの方は見た目も味も日本と全く変わらなかった。

インドのマクドナルドは他の国と決定的に違うところがある。それは、ハンバーガーの命とも言うべき「牛肉」を一切使用していないのだ。

人口の約8割が、牛を神聖な生き物とするヒンズー教徒であるので、それはある意味で当然だとは思うのだが、「牛肉のないハンバーガー屋さん」はマクドナルドにとってインドが初らしい・・・。

「マハラジャマック」も、牛肉に似せた味付けにはなっているが、中身は鶏肉や子羊の肉だという。また、野菜だけでできているハンバーガーのメニューもあった。

インドのマクドナルド インドのマクドナルド 「マハラジャマック」



さて、ロバートと歩いていた途中、妙なことに遭遇した。
簡単に言うと、パキスタンのツーリストと名乗る男が、「サイフ以外の荷物を全部盗まれてしまったので、これからデリーに行かなければいけないのを助けてくれないか」と、困り果てた感じで話しかけてきたのだ。
10分ほど話を聞いてやって、アドバイスをしてみたが、とても助けてあげられそうにないので、お気の毒にと思いながらその場を立ち去った。が、しかし、やはり話がキレイすぎる・・・。
この先をどう展開するのか分からないが、これもたぶん詐欺の一つなのだろう、と私たちは二人で話しながら、すぐにそのことを忘れた。


午後3時をまわった頃にロバートと別れ、私は広いムンバイの街を再び一人で歩き始めた。地図を確認しながらMarineLine駅まで行き、明日乗るバスの発着点を確認。
その駅で切符の買い方が全く分からなかったので、切符なしで電車に飛び乗り、2駅目のGrantRoad駅で下車。

切符なしで乗れてしまうところもある意味すごいところだが、切符が必要だったのかどうなのかは不明である。


私はそこから歩いて「マニ・バヴァン」を訪れた。

ここは若かりし頃のマハトマ・ガンディーがしばらく住んでいたという家で、中にはガンディーにまつわる様々な展示品が置いてある。要するに小さな「ガンディー博物館」といったところだ。


マニ・バヴァンは大変見つけにくい所にあり、一度通り過ぎてから道行く人に尋ねてようやく発見した。

見てみると、なんと大掛かりな改装工事中であった。
しかし、マニ・バヴァンは当然のごとく開館していた。中で工事している若い兄さんたちは、「いらっしゃい」とでも言うかのごとく「上だよ」と案内してくれる。

こういうところがとても「インドらしさ」を感じる瞬間である。日本なら間違いなく「只今、改装工事中につき休館」と張り紙をだしてあるに違いない。また仮に工事中に開館していても、作業員の人は、案内はおろか、来館する客と目も合わせないだろう。
一通り中の展示品を見たり、カメラに収めたりしてから、好奇心で屋上に上ってみると(屋上に上れるということ自体がやはり日本ではありえないが・・・)、改装工事用の工具やペンキなどで一杯になっていた・・・。


「マニ・バヴァン」 「マニ・バヴァン」

ガンディーの像 マハトマ・ガンディーの像


マニ・バヴァンの次は、マリン・ドライブの最北端近くの小高い丘にある公園に登り、ムンバイが一望できる景色を楽しんだ。


マリン・ドライブを一望 マリン・ドライブを一望


その後、夕日を右手に眺めながら、マリン・ドライブをひたすらホテルに向かって歩き続ける。何キロあるだろうか。通常は「歩く」距離ではない。しかし、夕日が沈むのを眺めていたかったし、「歩くこと」で土地勘がつくということを経験から知っていたので、私はくたくたになりながらインド門まで歩いて帰ってきた。


マリン・ドライブ マリン・ドライブは恋人たちの憩いの場である


マリン・ドライブからの美しい夕日 マリン・ドライブからの美しい夕日


やれやれ、これでホテルに戻ってやっとベッドで休めると思っていると、何やらインド門の辺りが真っ暗なのにたくさんの人でにぎわっている。これからライトアップでもするのかと少しその様子を見ていると、テレビ局っぽい感じのカメラマンとアナウンサーが待機しているのが分かった。
私は近寄ってそのアナウンサーに英語で話を聞いてみると、彼は「ANI(Asian News International)」という大きなテレビ局の記者で、どうやらインド政府が節電政策を打ち出したことについて街行く人にインタビューをしようとしていたところのようだ。


彼は私の英語を上手いと褒めながら、私に興味を持ってくれているようだった。

実際に間近で2組の家族にインタビューするのを見ていると、その記者は突然私に向かって「君もインタビューに応じてくれないか?」と言ってきた。
あまりに予想外だったので、私は「いや、自分はただのツーリストなので・・・」と、その申し出を断ってしまった。

私は自分が「引っ込み思案な日本人」の一人であることを思い知らされたようで、なんだか決まりが悪い。「もう少し心の準備をしておけば・・・」と後悔しつつも、私はその記者の人と握手をし笑顔で別れた。


テレビ局のインタビュー ANI(テレビ局)のインタビュー


さて、ホテルに戻り地図を確認してみると、なんと今日一日で軽く10km以上歩き回ったことになる。我ながらよくやるもんだ、と感心。



【「地獄に仏」】


ホテルで改めてドミトリーの中を見渡してみると、ある異変に気づいた。
「ん?ここはアフリカか?」と思ってしまうほど、黒人が多い・・・。
ロビーで夕食をとりながら何人かの人と話していると、どうやらナイジェリアからの旅行者が多いみたいだ。
それにしてもドミトリーに長いこと住みついているような黒人が多く、さらに話を聞くと世界中で麻薬のディーラーをしている人たちだということが分かった・・・。


目の前で見ていると本当に黒人は強そうだ。皆体格がよく、体脂肪率が極端に低そうな筋肉ムキムキの体つきをしている。「コイツらと揉め事になったら一溜まりもない」と思って、私はシャワーの後、大人しく日記を書いたりしていた。
すると、「地獄に仏」とはこのことか!なんと斜め向かいのベッドに日本人らしきバックパッカーがいるではないか。
彼は私を見つけると近づいてきて、私たちはその場でいろいろと旅の話などをし始めた。


彼の名前はわっちー。バンコクから入って、トルコを目指し、長期の旅をしている途上だと言う。
わっちーは明日、インドの友人とムンバイのスラム街を見に行くらしいので、私が「ぜひ連れて行って欲しい」と頼むと、「うまくいくか分からないけど、話してみる」と約束してくれた。

私たちはまた明日会うことにし、ベッドに寝転んだ。


一日日記をサボると、前日を振り返って書くのがつらい。それほど分量が多い上に、今日の出来事や情報が、前日の記憶を遠ざける。
しかし、書くこととしよう。この旅の目的の一つはこの日記を書くことなのだから。



【列車の中で】


起きるのがあと30分早ければ、日の出が見られたかもしれなかった。気がつくと、もうあたりはだいぶ明るくなっている。お腹が空いた。


ちょうど良いタイミングで列車が駅に停車した。しばらくは止まっているだろうと思い、少々恐かったがやっぱりお腹が空いたので、列車を降りてすぐ近くの屋台で、誰かが美味いとオススメしていた、三角の形をした揚げ物(サモサと言う)3つと、スプライト、それとクッキーを買う。
お金を渡し、お釣りが出てくるのを待っている時、ふと振り返るとなんと列車が動き出しているではないか!

心臓がドキッとした。
「お釣り早く!」
買ったものを無造作につかみ、お釣りの額を確認する間もなくポケットに押し込み、徐々に加速する列車へと走った。

間一髪、私の席のある車両に飛び乗り、そのまま列車は次の駅へと向かった・・・。


インドの長距離列車はこんなことが頻繁に起こるのだろう。列車が発車する時は比較的ゆっくりと加速してゆく。そのおかげで私も助かったが、なんというか、発車の合図か何かあっても良いだろうと思うのだが・・・。
それでも、「モノに人が合わせる」ということが一般的なこの国では、なんとかなってしまうのである。


私が自分の朝食を持って席に戻ると、同じタイミングで朝食サービスの人がうまそうな飯を持ってきてくれていた。それも一皿頼んで、豪勢な朝食を始めた。

昨晩の夕食はひどいものだったが、このサンドイッチのような朝食はなかなか美味かった。また三角の揚げ物もまあまあ。


食後はビスケットをつまみながら、タクシに借りた中島らもの『お父さんのドロップキック』を読んだり、山崎まさよしのCDを聴いたりしていた。旅、とりわけ列車の旅にはバラードがしっくりくる。
これも旅に伴う「感傷的」な気分のせいだろうか。私は物思いに耽りながら、窓の外を眺めたり、日記を書いたりしていた。


そのうち少し日も傾いてきて、遠くに山々が見え始め、しばらくするとトンネルを頻繁にくぐるようになった。私は起き上がって、写真を撮りに列車の出入り口のドアのところに向かった。

窓が開かないため、写真はここでしかうまく撮れない。しかし、重厚な鉄のドアを開けると、そこには柵のようなものは何もない(というか、日本では走行中にドアが開かないよ!)。左右に縦の手すりがあるのみだ。ここで両手を離してカメラを構えるのは、命懸けとも言える。


私はカーブに差し掛かった時に受ける遠心力に注意しながら、また猛スピードで目の前を通り過ぎる反対側の列車や鉄柱などにぶつからないようにも気を配りながら、カメラを構える。チャンスはほんの一瞬である。何枚か撮っては良さそうなのを残し、そんなことを繰り返しているとだんだん日が暮れてきた。


列車からの風景(1) 列車からの風景(1)
ずっと平らだったのに、山が見えてきた。



列車からの風景(2) 列車からの風景(2)


列車からの風景(3) 列車からの風景(3)
トンネルができる前はあの右側の極端に傾斜が急な路線を走っていたのだろうか・・・。



【ムンバイ着】

遅々として進まない列車がようやくMunbaiのC.S.T.駅についた頃、時刻は20時をまわろうとしていた。

なんと「出発が1時間半遅れ」で、「到着が6時間遅れ」である。列車に乗っていた時間はおよそ31時間。

長い長い道のりだった。しかし、体は元気そのものだ。


さっそく駅の外に出て、私たちは『地球の歩き方』に載っているShipというホテルを探した。わりとあっさりと見つかり、ダブルにチェックイン。

ここは本に説明されていた通り、「インド人ビジネスマンの簡易宿泊所」といった風で、ホテル中に男の汗のニオイがした。


荷物をおいた後、私たちはしばらく歩いたところにあるJimmyBoyCafeという店に向かった。

ここは『地球の歩き方』によると、ムンバイでしか食べることのできないというパールスィー料理(ジャイナ教の伝統料理)が食べれるお店の一つ。

正直言ってかなり高いが、せっかくだから280Rs(約672円)という値段には目をつぶって、コースで頼むことにした。
大きな葉っぱの皿に次々と料理が運ばれてくる。


パールスィー料理 ジャイナ教伝統のパールスィー料理(食べかけw)


今までの飯に比べたらかなりいけるが、これも決して褒められたものではない。

日本人の口はグルメすぎるのだろうか。私はがっついていたが、タクシはやはり口に合わないらしく、半分以上残してしまっていた。

ここに来るまでいろんなものを口に入れてきて個人的に受けた印象は、インドの料理には「味の素」、つまり「旨み」が足りないということである。全ての料理に多少の「味の素」を入れたら、旨みが増して全体的な美味しさがかなりアップすると思う。しかし、インド人の口にはもしかしたら「味の素」が合わないのかもしれない・・・。


ホテルに戻ってシャワーを浴びてから、ずっとテレビを見ていた。そういえばテレビのあるホテルに泊まったことはほとんどなかった。私たちは2人で何度もツッコミを入れながらインドのテレビ放送を楽しんでいた。


それにしても暑い。北の方は夜になると涼しかったのだが、かなり南下してきたため、ムンバイでは夜も
非常に暑い。喉がまだ少し痛かったが、寝苦しいのでファンを回したまま眠った。



【インド時間】


よく、インドには「インド時間」というものがあると言われる。私も「インド時間」なるものの意味が少し分かってきたみたいだ。
『地球の歩き方』には「インドを旅するには最低でも1ヶ月は必要だ」と書いてあるが、確かに納得である。

インドでは人々の間に流れる時間の早さや「質」が他とは異なっている。それは時間というよりも「雰囲気」というべきものかもしれない。時間感覚もそれに含むが、それよりもっと広い意味を持つ。
これを言葉で表すには、私の文章力がなさすぎて不可能のようだ。とにかく、ここでは時は「ゆったりと」流れるものなのである。例えて言うならば、ガンガーの悠久の流れのようにゆっくりと、しかし着実に流れてゆくのである。


そんな「インド時間」を感じながら、一方で日本のせわしい時間感覚を引きずっている私は、バナーラスをたったの4、5日であとにし、今ムンバイ行きの列車の中にいる。バナーラスから約27時間の長旅である。
長旅とは言え、そんなに疲れるものではない。今回はかなり奮発して、2A Sleeper(エアコン付き2等寝台)のチケットをとってあったので、中はスペースも十分で快適そのものだ。とはいえ、ここはインド。車両を例えて言うなら、「軍隊の寄宿寮」といった程度のものだ。

その一席に寝転がり、今日を振り返ってみよう。



【久美子ハウスとお別れ】


昨晩は早くに寝たので、もちろんいつも通り寝苦しかったが、十分な睡眠時間をとることができて、この日の朝は日の出頃に一度起きて屋上へ上がった。

すると一緒にムンバイに行く予定のタクシが先に座っていた。どうやら彼もガンガーでの最後の朝日を拝もうとしているようだ。

しかし、いつまで経っても日が昇ってこない。いや、もうたぶん昇ってはきている。めずらしく空が曇っているのだ。それでも待ち続けていると、今度は遠くで雷の音がし、なんと雨が降ってきた。私たちは少々がっかりしながら下におり、また床についた。


蛇足であるが、この日屋上には猿がウロウロしていた。久美子ハウス歴の長そうな先輩(?)が棒を持って猿を追っ払っている。

猿は時に凶暴で、人を襲ってくるのだと言う。見た目はちょっとかわいいが、とても厄介な奴である。


再び目を覚ますと、朝食の時間だ。メニューも含めていつもと同じ。たらふく腹に詰め込んだ。
少し休憩してから、タクシと一緒にネットカフェと買い物へ。気に入った服があったので、80Rsにて購入。今着ているナイキのポロシャツをどこかで捨てたら、これを着よう。

10:00頃に久美子ハウスの方まで戻って、そのままガートへ。これでガンガーともお別れだと思うと、少し寂しくなる。無意識に長渕の「ガンジス」を口ずさんでいる。

上流の方へ少し歩くと、また異様な光景が現われた。大量の洗濯物があたり一面に干されているのだ。


大量の洗濯物 大量の洗濯物

そういえばさっき買い物に出かけたとき、いつもゴミと糞だらけで汚かった路地が綺麗に掃除してあった。今日は木曜日であるが、大掃除の日か何かだろうか。


それにしても、インド人の「キレイさ」に対する考え方が私たち日本人と余りにも違うので、洗濯物を干しているのを見て思わず笑ってしまった。

そもそもガンガーの水で洗っている時点で、いくら洗っても服や布に汚れはつきっぱなしだし、洗い終わったものをロープに干すのはいいが、大きな布などは地面に広げて乾かすのだ。その地面はと言えばホコリだらけ。濡れた布をその上に置いたら、布もホコリまみれになるに決まっているではないか!
それでも彼らは何の疑問も持たず、せっせとガンガーで洗濯をし続けるのである。


また久美子ハウスの目の前の階段に、まだ目もちゃんと開いていない、生まれたばかりの子犬がたくさん寝転がっていたので、親犬に警戒しながら写真を撮った。「動物天国」であり、生も死も「剥き出し」のインドでとても自然な風景だ。


生まれたばかりの子犬たち 可愛い子犬たち


そろそろ出発をしなければならなくなった。4日間お世話になった久美子ハウスは思い出の場所となった。久美子さんに一言挨拶をして、久美子ハウスをあとにする。



【大遅刻】


メインストリートに出て、今度はサイクルリキシャー(自転車のリキシャー)を30Rsで駅まで走らせた。

駅に到着。時間は11:50を過ぎようとしていた。

とりあえずホームを探そうと、タクシがチケットを取り出すと、そこに表示されていた出発時刻は、なんと「11:30」ではないか!?
私たちは一瞬目を疑い、次の瞬間青ざめた。
「ヤバイ!」
どうやらお互いにどちらかが出発時刻を認識していると思い込んで、一度も確認しなかったのだ。

私たちは猛ダッシュでホームに向かい、その場にいる人にチケットを見せて尋ねた。もう電車は行ってしまっただろうか・・・。

するとその人は「1:00に来るよ」と言うではないか。

「なに!もしや」と思って聞いてみると、やはり列車の到着が1時間半ほど遅れているらしい。
私たちは自分たちの勘違いに呆れながらもそこで安堵の溜息をついた。私たちはインドの名物である「列車の遅れ」に感謝しなくてはならないようだ。


30分も遅れて駅に来たのに、1時間も時間が余ってしまった。

私たちは荷物を監視しながら交代で食料などの買出しに行った。私はバナナ、みかん、クッキー、それと「INDIA TODAY」を買った。


「INDIA TODAY」にはブッシュ大統領来印の特集が組まれており、そこにかなりの紙面がさかれていた。インドがいかにアメリカを外交上の重要国と位置づけているかが感じ取れる。

また、読者投稿の欄では最近の若者の間に広がる、「進歩的な考え方(progressive ideas)」について、様々な声が掲載されており、興味深い。

91年に経済自由化がなされ、インドはいよいよ地殻変動を起こしつつあるのかもしれない。しかし、インドの庶民生活を肌で感じる限り、「この国は絶対に変わらない」とも思える。本当にインドとはなかなかつかめない国である。


そうこうしているうちに、思ったより早く12:40頃列車は到着した。

今回はA2のSleeperであったこともあり、スムーズに座席も見つかり、私たちはさっそくくつろぎ始めた。2Aの車両は先に少し説明したとおり、なかなか快適だ。しかし、こっちのいわゆる日本など先進国的サービスに近い車両に乗ってみることで、今まで3回ほど乗ったいわゆる「2nd class」の魅力が見えてきた。


前の日記ではあまり詳細を描写していなかったが、「2nd」の列車では、「チャーイー、チャーイー」と叫びながら頻繁に車内を行き来するチャイ売りの少年、おもちゃ売り、ピーナッツ売りの子供、物乞いの子供、手の指が全部潰れてしまった物乞い・・・、これらものがただ席に座っているだけで嫌でも近づいてくる。

また、向かいの座席には、いつまで経ってもなかなか考え方が理解できないインドの人々が座り、私たちを眺めてくる。
とにかく、「2nd」にいると、庶民的な生の「インド」を感じることができるのだ。それに、2A Sleeperでは窓があかないが、「2nd」では開けたり閉めたりできて、写真を撮るのにはもってこいだ。
ただし、長時間乗るには確かに過酷な場所である。私たちはムンバイ行き27時間の列車の「エアコン付き寝台」である2A Sleeperに居座っていることを全く後悔していない。


そんなことを考えながら、しばらく窓の外を眺めていたが、ずっと同じ風景しか現われていないので、本を読むことにした。リュックから取り出したのはサン・テグジュベリの『星の王子様』である。世界的な名作であり、ずっと前から読みたいと思いつつも機会がなかったので、「この折に」と旅に出る前に買っておいたのだ。
スロー・ペースだった割に2時間ほどで読み終わったが、やはり持ってきて良かったと思った。旅先で読むにはぴったりの本だ。何より読みやすく、読んでいて癒されるし、いろいろと考えさせられ、また読みたくなる。日本に帰るまでにあと何回読めるだろうか。


さて21:30に予定されていた夕食がいつまで経っても出てこない。結局22:30近くに持ってこられたが、見てみると久しぶりのThaliである。インドの定食のようなものだが、インド人がこれを食べて本当に美味しいと思っているのか、未だに信じられない。
私は不味い&辛い(当たり前だが・・・)のを我慢してほとんど食したが、相方のタクシはほとんど残してしまっていた。

腹を満たすと眠くなってきたので、平井堅のCDを聞きながら、私は静かに眠りについた。

寝台列車 インドの長距離寝台列車で