インドを旅して間違いなく自分の中の何かが変わった気がする。
使い古された表現をするならば、「視野が広がった」ということになるだろう。


日本に帰ってきてからしばらく、道を歩くと「牛がいない」「野良犬がいない」「クラクションがなっていない」「クルマがきちんと2列で走っている」「動物や人間の糞が落ちていない」などということに驚異を感じることができている。
これらは日本では「当たり前」だがインドでは「アリエナイ」である。


また列車が分刻みに正確に各駅で発着を繰り返す日本の鉄道と、その列車が10分遅れただけでクレームを入れる日本人は、まさに「驚異」そのものだ!


今回のインドの旅は、単なる娯楽の旅ではない。
楽しいことはもちろんたくさんあったが、つらいことの方が多かった。

なぜ決して小さくない額のお金を使って、学生時代の貴重な時間を使って、こんなに苦しい思いをしなければならないのだろう、と思うことが何度もあった。
「今すぐ日本に帰って、あの豊かで快適な暮らしに戻りたい」、と幾たび願ったことか――
しかし、それでも私(私たち)は旅を続けた。なぜならそこには目に見ない大切なものがたくさんたくさん転がっているからだ。


日本にいては一生かかっても目にすることのない光景や、感じることのできない情動が、旅先、とりわけインドのような特異な場所では、毎日嫌と言うほど浴びせかけられる。
私たちはそんな光景をただ見るだけではなく、目を背けることもせず、じっくりと向き合ってそこから何かを学びとろうと努力することが重要である。
そんなハードな自己との戦いを経てこそ、心の中に新しい世界をようやく招き入れることができるのではないだろうか。
――世界の人口の実に6分の1が暮らす複雑怪奇・魑魅魍魎の国、インド――
そのほんの一端だけでも私はリアルな体験を通じて、私の一部とすることができた。
この旅は、私にとってなくてはならなかったものだと、断言できる。



最後に、この長い長い(文庫本か!?というくらい長い)3週間のノンフィクションの物語を終わりまで読んでいただいた読者(友人)の方々に感謝したい。


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【悪夢】


朝、私は悪夢にうなされていた。
詳細は覚えていないが、インドから日本に帰国しようとするのだが、いろんな邪魔が入り、このままでは帰国ができない!と焦って、苦心に苦心を重ね、ようやく成田に到着し、日本の友人たちに温かく出迎えをしてもらっているところだった。


次の瞬間、私は夢から覚めた。
もちろん、夢の中で安心した以上に安心し、溜息をついた。
「最後は夢にまで騙されたか・・・」
全く「インド的な意味で」手の込んだ夢であった。


起きたのは9時頃だったが、チェックアウトの12時まで部屋にいるつもりだったので、そのままゴロゴロして日記をつけたりしていた。
11時を過ぎてシャワーを浴び、部屋に戻ってくると、嗅ぎ慣れたニオイが部屋に充満していた。ガンジャである。
隣の部屋でずいぶんな量を吸っているようだ。私はもともと臭いには敏感なため、残りの時間を部屋でゆっくりする気が失せて、早々とチェックアウトを済ませた。
荷物は快くゲストハウスで預かってもらえたので、軽装で街に出る。今日の最大の目標は「満足できる」買い物をすることだ。
そんな当たり前のことがとても難しいのが、インドという国である。



【買い物と映画】


まず、露店のTシャツ屋で、ガンディーの顔と「My Life is My Message」という言葉がプリントされたTシャツに一目惚れして、2枚で300Rsで購入。
しかし、振り返って考えてみるとちょっと高すぎるだろう・・・。本日の初戦とは言え、不覚にも安易な交渉で終わってしまったことを反省し、次からはもっと慎重に挑むことを決意する。
そこからはしばらく、見て聞いて確かめることに徹した。

買い物の途中に「Regal Cinema」という映画館があったので、ちょっと覗いてみた。前日の夜『地球の歩き方』でインドの映画館の仕組みを読んでいたから、すぐにチケットの買い方は分かった。
たくさん買い物するとはいえどうせ時間をもてあますだろうから、私は一番人気の「TAXI NO.9・2・11」の16:30からのチケットを買った。
これでまたちょっと楽しみが増えた。


私は映画館を出ると、前回見れなかったムンバイ大学に立ち寄ってみた。大都市の中心に位置するためか、キャンパスは小さい。中に入ってみると古めかしい建物と立派な時計塔が立っている。私の地元の早稲田大学の時計塔に似ていなくもない。
中は日曜日だからだろう、閑散として落ち着いた感じである。それでも、ここが大学なんだと直感的に理解できた。
どんな国に言っても大学には「大学」っぽい雰囲気が必ず漂っているものかもしれない。


少しキャンパスを歩いていると、学生と思わしき陽気なインド人がHipHop調で「Yo!Yo!」と言いながら近づいてきた。
私はその超マイペースなインド人にキャンパスや周辺の街を案内してもらいながら、30分ほど一緒に歩いた。
歩いていると彼の友人の学生たちが、車通りの少ない路地でクリケットをやって遊んでいるところに合流し、私も混ざってクリケットを興じて遊んだ。
ルールがよく分からなかったが、とにかく負けじとボールをバットのような細長い板で思い切り打ち飛ばす。どうやら上手く打てたみたいで、みんなに褒めてもらえて楽しかった。

ムンバイ大学とHipHop大学生 大学の時計塔とHipHop大学生

ムンバイ大学の学生たちと ムンバイ大学の学生たちと


その後、インドの経済発展に興味があった私は、BSE(Bombay Stock Exchange:ボンベイ証券取引所)の建物を見に行った。BSEの周辺には世界各国の主要な銀行が居を構えており、まさに「金融街」というところだった。
そして、その一角に我が国の三菱東京UFJ銀行のオフィスもあった。
日曜日なので、ビジネスマンはほとんど街を歩いていなかったのだが、「それにしても・・・」と呆れるような光景を私は目の前にした。


三菱東京UFJ銀行の建物の入り口や壁に沿って、いかにも庶民的なインド人たちが屋台を構えていたり、昼ご飯を食べていたりと、やりたい放題にしているのだ。
インドではそれが普通なのかもしれないが、少なくとも日本では、休日に銀行の入り口の前におでん屋を開いて、壁に寄りかかりながらそのおでんを食べている人がいたら・・・ガードマンに注意されてアッサリ解散させられるに違いない。
インドに進出する企業の苦労は推して知るべしである。

三菱東京UFJ銀行の現地オフィス 三菱東京UFJ銀行の前で寛ぐインド人たち


さて、そうやって少し歩き回った後で私はまた買い物に精を出した。
ボンベイ・ストアという有名なお土産屋さんでも買い物をしたのだが、ここはいわゆる日本の通常のデパートに近い感覚で、いい物はたくさん置いてあるがどれも高価で、こちらがどんなに交渉しても一切値引きには応じてくれない。
やはり経済都市のムンバイではこういった店も増えてきているのだろう。
私はそこでチャイを作るための香辛料(紅茶に混ぜて使う)など、良質なお土産をいくつか購入し、今回の旅行資金をかなり使い果たした。


さて、映画の時間が近づいてきた。私は再びRegal Cinemaに向かい、事前に買っていたチケットで映画館の中に入った。
映画はいわゆる「ラブコメ」の部類だったため、映像を見ていれば大体何をしゃべっているかは分かった。

英語とヒンディー語が半々くらいで繰り広げられるため、どうあがいても内容をちゃんと理解するのは困難だったが、それでも十分楽しめた。
総じてインド人たちは日本人より映画に対する反応がよく、残念なシーンでは「あぁ・・・」と溜息が、ギャグがかまされた時は大きな笑いが起こったりと、隠れた「映画大国」であるインドではみんな映画を心から楽しんでいるようだった。


映画館 映画館「Regal Cinema」


TAXI No 9・2・11 「TAXI NO.9・2・11」



映画が終わり、再び私は露店街に紛れ込み、買い物の続きをした。だんだんお金がなくなってきたので、今度は地元のスーパーのようなところに行って、インドの一般家庭で飲まれているだろう香辛料の入ったティーバックなどを買った。



【「アホ」リキシャーワーラー】


夕方遅くなり、お店もだんだん閉まってきたので、私は荷物を預けているゲストハウスに戻り、21時頃空港へ向けて出発した。
歩いてチャーチゲート駅へ。ここで、インドで最後の夕食を食べた。
電車にはスムーズに乗れて、近くにいたインド人のビジネスマンぽい人といろいろしゃべりながら、降りる駅を教えてもらい、アンデリ駅に到着。ここからオートリキシャーを使って空港まで行く。
ムンバイは大都市のため交通機関も発達しており、私は当然このまま空港までスムーズに行くものだと考えていた。しかし、やはり甘かった。
最後の最後までインドの「アリエナイ」は続いたのである。
私の身に起こったことを詳しく記しておこう。


アンデリ駅に着くと、空港に近い駅のせいだろう、たくさんのリキシャーが客を待っている。
私はそのうちの一人に声をかけ、「サハール空港まで」とお願いした。
そのリキシャーワーラー(運転手)は、なんだか分かったような分かってないような微妙なリアクションだったので、私は不安に思い「空港の場所は本当に分かっているのか?」と念を押すように聞いた。
すると、「分かる、分かる、大丈夫だ」と言うので、私もそこまで言うなら例え迷っても何とか到着するだろうと思ってこのワーラーに任せることにした。
そもそも空港から一番近い駅のリキシャー(日本で言えばタクシー)の運転手が、空港の場所が分からないなどということがある訳ないと私も思っていたのだ。


リキシャーは元気よく出発したのだが、ものの5分ほど走ると、だんだんスピードが落ちてきて、道に迷っていることが分かった。周辺の同業者たちに道を何度か尋ねて進むが、一向に空港に向かっている様子はない。

そして結局リキシャーワーラーがたくさんたむろしている別なポイントでリキシャーを止め、周辺の人に詳しく道を確認し始めだした。


私は「やっぱり空港の場所が分からないんじゃないか!」と怒って、「もういいよ」と言って別なリキシャーのところに歩いていこうとした。すると、「待て、大丈夫だ、道は分かるから!」と往生際の悪いことを言ってくる。
しかし、こんなやつのために飛行機に乗り遅れでもしたら溜まったものではない。私は有無を言わさずリキシャーを降り、腕を掴んで引き止めようとする「アホ」リキシャーワーラーを振り切って近くにいた別なリキシャーのところまで来た。
すると、その「アホ」ワーラーはあろうことか、「ここまでの乗車賃を払え!」と言ってくるではないか・・・。
私は怒り狂って、その「アホ」ワーラーに「てめぇ、勝手にオレの時間を無駄にしたくせに金払えとか意味のわかんねーこと言ってんじゃねー!!!!むしろてめぇがオレに金を払え!!!」と大声で(もちろん英語で)怒鳴った。

近くの物分りの良さそうなリキシャーワーラーに事情を説明したら、「そいつはバカモノだから相手にするな」ということで、私は無事その新しいリキシャーで空港まで行くことができたのである。
やれやれ、最後の最後まで疲れる旅である。
しかしようやくこの国から出発できる国際空港まで到着した。



【帰国】


私は空港で搭乗の手続きを先に済ませ、その場にいた数人の日本人バックパッカーたちに交ざって旅の話をしつつ、みんなでトランプの「大貧民」をしながら搭乗時刻を待っていた。
格安チケットなので、行きも帰りも香港経由だ。
搭乗時刻が来て、香港行きの飛行機に乗り込む。
短い時間だったが、いろんなことを僕に経験させてくれたインドともついにお別れである。


飛行機はいつもと同じ格安エコノミーの典型的なものだった。
数少ない日本人向けのテレビ・チャンネルでは、映画『タッチ』がやっていたので、それを見た後で寝ることにした。
現地時間の午後15時頃、香港に到着。
スムーズに乗り換えて、16:20に香港から成田に向けてまた離陸した。


雲に沈む夕日。鮮やかな色のコントラスト。
「星の王子様」じゃないが、そんな空想の世界を髣髴とさせる美しい窓の外の眺めを見ながら、私は日本に近づいていった。
このスピードで真東に向かって移動していれば、12時間で太陽が一周し、24時間で2回夕日が見れる・・・。
そんなことを考えながら、人間の作り上げてきた文明のすごさを思ったりもした。


やがて、日が暮れ名古屋の夜景、伊豆大島、千葉、東京の夜景・・・と眺めているうちに、成田に到着した。


私のインドへの旅は終わった。




【再びムンバイへ】


起きるとバスはもうムンバイの郊外を走っているようだった。
隣に寝ていたおじさんの姿はない。
しばらくすると、「ここが最後の停留所だ」と言われ、私が「C.S.T.駅のところか?」と聞いても、ろくに返事をしてくれず、ここがどこだか全く分からないところに放り出されてしまった・・・。
「またかぁ・・・」

と、ぼやきつつも、こんな瞬間がインドを旅していることを一番実感させてくれるものだと思ったりもする。


長距離バスの疲れに重いリュックを背負った私は、まだ午前中とは言えクソ暑いムンバイの街を、ただ自分の勘だけを頼りに歩き出した。
しばらく行くと、幸いバス停で市バスを待っているようなおじさんに遭遇し、「インド門の方に行きたいのだが・・・」と話すと、バスの番号を教えてくれた。
ムンバイは一度一通り歩いていたことがあったおかげで、思ったよりすんなりとミュージアム前まで進むことができた。
後で確認すると、一応ゴアからのバスを降りた場所はC.S.T.駅の近くだったことが分かった。


私は市バスを降りると、インド門まで歩き、これからどうしようかと、とりあえず今後の予定を考えるためベンチに腰を下ろし、チップスを食べながら一人計画を練っていた。
いろいろ迷ったが、今日はインドの宿に泊まるのも最後だし、前に一泊して勝手の分かっているゲストハウスのシングルに泊まることにした。
そして休憩してから、エレファンタ島に行くか、ミュージアムに行くか、その時の気分で決めることにした。
お土産は翌日一日時間があるから、その間に買い揃えることにして、今日は通りがかったお店で「下見」をすることにしよう。


そんなことを考えていると、目の前をどこかで見たことのある人が歩いている。少し考えている間に通り過ぎてしまったが、すぐに分かった。
テレンスだ!
彼はどうやらここで白人向けのガイドの営業をしているのだろう。ベンチに座っている人々を嗅ぎ回るようにして歩き回っている。
私は声をかけようと思ったが、次の瞬間、彼を呼ぶのを止めた。正直、テレンスを相手にするには体力がなさすぎる。

比較的分かりやすい英語だが、テレンスはしゃべり始めると止まらないのだ。聞くだけでも大変なのに、英語でしゃべり返すのはさらに骨が折れる。
テレンスには悪いが、最後は自分のペースで旅をすることにした。


ということで、かなり疲労が溜まっていたので、相変わらず途中で付きまとってくる連中(物乞いやチップ目当ての「案内人」、土産物の売り込みなどなど)を振り切って、さっさとゲストハウスに行き、チェックインを済ませた。
シングルの狭い部屋で、ベッドに体を横たえると、より疲れをハッキリと感じる。なかなか動けないのだ。
しばらくゆっくりしていれば元気が出て、早めに出発すればエレファンタ島に行ける、と思っていたが、1時間経っても2時間経っても動く気になれない。
私はあきらめて体の求めるがまま、寝たり起きたりを繰り返していた。


部屋に入って気がついたことがもう一つあった。
これは自分でも不思議なことだが、どうやら20日間の旅の最後にして、初めて「シングル」の部屋に泊まったようだ・・・。
要するに私は今まで全てW(ダブル)かドミトリー、あるいは移動中のバスや電車に泊まっていたというわけだ。
私の旅がどれだけ人との交流に恵まれていたかを示すものである。私はそのことに感謝しなければならないと思った。


さて、私が結局休憩を終えて部屋を出たのは、16:30頃だった。あんまりダラダラとしていたため、「何もせずに1日が終わってしまう!」という危機感から、なんとか重い腰を上げたという感じだ。
私は18時に閉まってしまう、「The Prince of Wales Museum」へと急いだ。



【ミュージアム】


このプリンス・オブ・ウェールズ博物館の入場には300Rsもかかる。約850円だ。こちらの物価を仮に日本の3分の1とすれば、日本では2600円ということになる。
ちなみにタージマハルは6500円である。まさに法外な入場料だ。
ちなみにこれは「ツーリスト用」の価格で、インド人はたったの10Rsとか20Rsとかで入れる。
しかし、こんなに高くてもやはりツーリストは「せっかくインドに来たのだから・・・」ということで(私も同様だが・・・)チケットを買ってしまう。
インドはまことに「したたか」なお国柄である。


それにしても、観光業なくしてこの国は成り立つのだろうか、と疑問に思う。ところが政府にはツーリスト向けに気のきいたサービスをしようという姿勢は見られない。

考えれば考えるほど、我々の尺度では「はかれない」国なのだということだけがハッキリとしてきて、そこで考えるのを止めてしまう・・・。


先ほどの高い入場料の話に戻ると、これまでの私の経験上、高い入場料を取る観光地にあまりハズレはない、ということが一方で言える。だから、私はミュージアムに訪れたのである。


ミュージアムには閉館ギリギリまで中にいた。というのも、とても1時間やそこらでは見切れないほどの数々の展示物があったからだ。ここはまさに「総合」博物館と言うにふさわしく、古代インドからムガール帝国時代までの様々な遺跡や芸術品に加え、西洋や東洋のあらゆる美術品が所狭しとならんでいるのだ。
中には日本の陶器や浮世絵なども置いてあって非常に驚いた。また、珍しい動物の剥製の数々も見ものであった。

しかもこの博物館では、珍しく各国語に翻訳されたオーディオガイドの機械が一人一台貸し出され、なかなか気のきいた内容の説明を自分のペースで聞くことができた。
しかし、ゲストハウスであんなにダラダラせずにもっと早く来ておくべきだった。少々後悔しながらも良質な博物館を堪能できたことに満足し、私は再びムンバイの街に出た。


プリンス・オブ・ウェールズ博物館 プリンス・オブ・ウェールズ博物館


インド門 インド門

タージマハルホテル タージマハル・ホテル(インドで最高級のホテル)



【お土産バトル】


帰りに露店のお土産屋などを見て回った。旅行で土産を買うのは、楽しいけれどもある意味「一苦労」だ。
十分な時間をとってしっかりと店を回らないとなかなか自分も満足し、土産をあげる相手にも喜ばれるような買い物ができない。
そんな今までの旅の経験則をもとに、今回も最後の滞在地ムンバイには少々長めにいられるようにしておいた。


今日は「下見」ということで、品物とその相場価格をチェックする。
特にインドでは、この「相場価格」がクセモノである。


普通の価格交渉をしても、それはまだ「吹っかけられている」状況のままだ。
例えば、こんなやり取りがあったとする。


「200Rsか~、もっと安くしてくれよ!」
「わかった、じゃあ180Rsだ。文句ないだろう」
「うーん、おじさん、頼む、もう少し下げて!」
「いや、これが限界だよ」
「でも少しなら下げれるでしょ。ほらここが少し傷ついてるし、150Rsでなら買うよ!」
「分かった。君は友達だから特別に負けて、160Rsにしてやろう!」
(まだ買うと言ってないのに、勝手に袋に商品を包みだす)
・・・
といった具合が、「通常の価格交渉」だ。
こんな調子で買い物をしていたら、奴らの思う壺である。


そうではなく、通常の交渉をある程度した後、わざとその交渉を決裂させてお店を立ち去ろうとするのだ。そうするとようやく「相場」まで価格が落ちる。

同じ定価200Rsの商品を例にすると・・・、


「これは魅力的な商品だけど、出せるのは50Rsまでだね」
「おいおい、この商品は通常200Rsのものだぞ!高いと言うなら180Rsまで負けるから買ってくれよ」
「いや、180は高すぎだよ。まあ、70Rsならなんとか出せるんだけどねぇ・・・」
「お前はふざけているのか?分かった、150Rsだ。もうこれ以上は無理だよ」
「あ、そう。じゃあ買えないなぁ。そこまで言うなら、最後に100Rsだったら買ってもいいよ」
「100Rs?だから定価は200Rsだって言ってるだろ!ふざけんな!」
「なんだ、100Rsがダメなら、本当はすごく欲しいけどしょうがないな・・・じゃあ、またねっ」
(ゆっくりめに次のお店に向かう)
「おい!ちょっとまて!分かった、120Rsに負ける。これが限界だ!ほら、買ってくれ!」
(おっさんが勝手に袋に包んで渡してくる)
心の中で「なるほど、100Rsも頑張ればいけるな・・・」と思いつつ、
「お、本当に?じゃあ、今日は下見だからまた明日買いに来るよ!100Rsだったら即決で今買うけど、どう?」
・・・
こんな具合だ。


物によっては最初の価格より3分の1くらいまで下がった(約67%オフである!)こともある。
そんなことを、面倒だが気になった商品で毎度毎度試していると、大体の相場の値段が分かってきた。


夕食を近くのレストランで済ませ、ゲストハウスに帰ろうとして歩いていると、何やら騒がしい音楽が遠くで聞こえてくる。
行ってみると、港に突き出たイベント会場のようなところで、会員制の小さな野外音楽祭がやっているようだ。
少し遠くからでも音楽はよく聞こえたので、そこで2、30分堤防に座りながら聴いていた。
しばらくすると音楽が鳴り止み、スピーチが始まったようなので、私はゲストハウスに戻ることにした。


音楽祭の会場 小さな音楽祭


部屋に戻ってからすぐに寝ようとしたのだが、案の定夜遅くなっても別な部屋からものすごい音量でテレビや音楽の騒音がゲストハウス中に鳴り響く。

仕方ないので、私はCDプレーヤーをまわし、イヤホンを耳栓代わりにして眠った。