【アンディからのプレゼント】


今日はゴア最後の日である。
私はチェックアウトギリギリの9:30頃目を覚まし、シャワーを浴びる間もなく部屋を出る準備をした。
ちょうど10時に下のフロント(と言ってもイスとテーブルだけしかないが・・・)に行き、出発まで荷物を預かってもらう。
鍵を渡してデポジットの150Rsを受け取ると、アンディと私は外へ出た。


アンディは昨晩たまたま見つけた、DJ用の機器を備えているゲストハウス兼レストランで、シングルに泊まりながらDJの練習をさせてもらえるということで、そっちに引っ越すことになった。


アンディは昨晩自作のCDのコピーをお店に頼んであり、出来上がったものを手にすると、一枚私にくれた。
今まで私はトランスやテクノといったジャンルは割と敬遠していたため、その手のCDを持つのは初めてである。
しかし、私はこのCDが好きになれそうな気がした。
一昨日の「パーティ」で少しはその魅力も分かったし、何と言ってもゴアで素晴らしい5日間を共に過ごしたアンディの作ったものだからだ。
音楽というのはそんな「出会い方」も重要な要素だと思う。



【インドの新聞記事】


アンディとはまた17時に待ち合わせをし、朝食をとったレストランで私はしばらくの間新聞を読み、その後日記を書いていた。


新聞にはいくつか興味深い記事が載っていた。

インドの新聞には意外と日本の話題も多い。
一つは麻生外相(当時)による台湾発言問題だ。麻生外相が台湾を「国」だと発言し問題となったもので、こんなことまでずいぶん遠い国でニュースになったりするものだと思った。

もっと重要なニュースはいっぱいあると思うのだが・・・。

また前日の新聞では、日本の天皇制のいわゆる「女系天皇・女性天皇」の話題が少し大きめに取り上げられていた。


その他、3月13日(3日後)から「ゴア・バス協会」でストライキがあるかもしれないこと(アブナイアブナイ、危うく帰れなくなるところである・・・)や、マプサの川が深刻な環境汚染にさらされていたこと、などの記事を読んだ。
新聞を読みながら、やはりなるべくこういった情報はリアルタイムでチェックしておくべきだと感じた。
しかし、旅先ではどうしてもなかなか億劫になりがちである。


新聞を読んだ後、ずっと同じレストランで日記を書き続けた。数日分溜まっていたので、2~3時間かけてやっと前日(昨日)まで追いついた格好だ。
それにしても、いつもと比べたら非常にリアルタイムに近い形で、かつ詳細な記録を書き続けてきている。
我ながらよくここまで根気が続いているものだと感心する。



【ヌーディスト・ビーチ?】


日記を書いている途中、私は何度も集中を乱されることがあった。
その光景はかつてオーストラリアのビーチで目撃したものであるが、こちらの方がやや激しいかもしれない。
そしてその光景は男性にとってはまさに「たまらない」ものである。


美しいヨーロピアンの女性がビキニの上をはずして、ようするに上半身裸でビーチを歩き回ったり、仰向けに寝転がったりしているわけである。
かつては「ヌーディスト・ビーチ」も存在したというゴアだけに、人前で胸をはだけるのもそんなに抵抗がないのだろうか。
もちろん若い子からおばさんまで、様々な人がそうして大胆な格好をしているわけだが、私の座っていたレストランの前に現われたヨーロッパ系の女性は周りをアッと言わせるような美しさだった。


通りがかる男という男が皆振り返り、見惚れては残念そうに立ち去ってゆく・・・。
無理もない。「本能」というやつである。
恥ずかしながら私も、日記の文章が詰まるたびに少し離れたところに輝くその姿に目を奪われていたのである。


ヌーディスト・ビーチ!? ヌーディスト・ビーチ!?



【アンディとゴアにお別れ】


17時になった。私は他の男たちと同じく、後ろ髪を引かれる思いでそのレストランを出て、アンディの新しいゲストハウスに向かった。


アンディはビールを飲みながらDJのプレイ中だった。
私が行くと、いつものノリで迎えてくれ、DJの合い間に話しながらアンディの「ミックス&マッチ」する電気的なサウンドに耳を傾けていた。
30分ほどして、「そろそろ行かないと」と切り出すと、私たちはゴアでの4泊5日を共に過ごした思い出を確かめ合いながら、固く握手を交わし抱き合い、別れを告げた。


荷物を預けてあるゲストハウスまで、ちょこちょことお土産の品を買いながら歩いた。
波寄せるビーチを眺めながら、「今日でゴアもラストか・・・」と早かったゴアでの日々に思いを馳せた。


ゲストハウスで荷物を背負い、バスの来るジャンクションまで歩く。
5分ほど待つとバスが来て、マプサへ。やしの木々の隙間に覗く夕日が美しい。

マプサではムンバイ行きのバス「Paulo」の発着点が容易に見つかったので、露店のオムレツサンドを食べながら、また少しアクセサリー類の買い物を済ませた。


バスが到着し乗り込むと、隣のシートにはインド人のエンジニアのおじさんが乗っていた。
話すとなかなかいい人。コルカタ(カルカッタ)に住んでいて、仕事でパナジに来ていたようだ。
私が旅の話をすると、「ブッダガヤはどうだった?」と聞いてくる。前に仕事で2年ほどブッダガヤに住んでいたらしい。


夜中の22時くらいに夕食タイムで30分ほど停車していたのを除いて、バスはひたすら13時間、ラフロードをムンバイに向けて進んだ。
いつしか体がバスの揺れに馴染んで、眠たくなってきた。




【終わらない「パーティ」】


目が覚めると、もう空には太陽が昇り始めていた。
「しまった!」と思って周囲を見渡すと、何のことはない。
昨晩寝る前よりもたくさんの人が、変わらずDJに合わせて激しく踊り続けている。
夜は薄暗くてよく見えなかったが、今は一人一人の動きがハッキリと見えて面白い。
皆、思い思いのスタイルで音楽に身を任せて体を揺さぶっている。


一夜明けた後のクラブ(1) 一夜明けた後のクラブ

一夜明けた後のクラブ(2) クラブで踊る人々

目は覚めたものの、私はそれに混ざって踊るほどテンションが上がらず、ヒッピーやバックパッカーたちの舞うステージを眺めていた。
それにしても一体いつまで続くというのだろう。午前8時を過ぎ、9時を過ぎても、ただただムードは高まるばかりで、ステージの人が少なくなる様子はない・・・。
さすがに気温が上がって暑くなってきたので、私たちは10時近くなった頃に「パーティ」を去ることにした。
私たちがドルチェ・デ・ヴィータから出ようとしたとき、ようやくいったん音楽が鳴り止んだ。人々の歓声が聞こえる。
しかし、ほんの数分後にまたDJが再開した。結局いつ終わるとも知れず、私たちはバイクに跨りゲストハウスに戻った。


部屋に戻ってから、私はまた寝ることにした。
疲れていたので、すぐに夢の中に入っていった。



【ヒロとお別れ】


私がゲストハウスの管理人のおばさんが、「コージー!コージー!」と呼んでいる。目が覚めた。
「ヒロが来ている」と言うので「分かった、分かった。入れていいよ」と返事をすると、「下にいるから!」と言われた。
時計は12時を指していた。


ヒロは今日でゴアを出発する。だからその前に私のゲストハウスに立ち寄ったのだが、なぜ部屋まで来ないのだろう・・・。
下へおりて事情を聞くと、どうやらヒロが私の部屋で「洗濯もする」と、バカ正直におばさんに言ってしまったため、部屋に入れてもらえなかったようだ。
私はヒロと少し話をした後、13時半にまた待ち合わせをすることにして、私はまた眠りについた。


13時半を過ぎても爆睡していたので、ヒロが部屋に入ってきてようやく気がついた。
私たちは近くのレストランに行き、食事を取りながらヒロの出発時刻の15時までゆっくりと過ごした。
ヒロはハンピで、私たちの頼みの綱である『地球の歩き方』をなくしてしまったらしく、私のを見て必死でムンバイの土産屋などをメモしている。
時間が来た。私はヒロとメールアドレスの交換をし、帰国後の再会を約束して別れを告げた。


インドで知り合った友人たちとは、決して長い時間を共に過ごしたわけではない。
しかし旅先での出会いとは、旅人たち、とりわけ「一人旅」をする者にとって、かけがえのない存在である。
それだけに別れの時には、ある感情――「感傷」に近いがそれとは異なる――が伴うものだ。
それは帰国するとだんだんと忘れてしまいがちなものだが、いつも少しもったいない気がする。
インドで出会ったナイスなやつらとは、これからもメールなどで連絡を取り合い、機会があれば再会できたらいいなと思う。


ヒロと別れた後、私はゲストハウスの下においてあった英字の新聞になんとなく目を通していた。
すると、「バラナシ(バナーラス)でテロ」と出ているではないか!?


 ※帰国後インターネットで確認すると、決して小さくないテロであることが分かる・・・。
 <日本語のサイト>
  http://techon.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20060309/114445/
  http://suta2voanews.seesaa.net/article/14682673.html
 <英語のサイト>
  http://www.hindu.com/2006/03/08/stories/2006030812570100.htm
  http://en.wikipedia.org/wiki/2006_Varanasi_bombings


ほんの一週間前まで私はそこに滞在していたのだ。新聞によるとバナーラスの街は厳戒態勢となっているようだ。
危機一髪。
私は「ここが日本ではない」ということを、今さらのように再認識させられた。



【雷】


部屋に戻るとまだ眠かったので、また床についた。今度起きたのはなんと18時頃。
私は夕日が見たかったので、アンディと共に海が見えるレストランへ出かけた。

少し曇っていたが、レストランから今日も妖しくも美しい夕焼けが見えた。


ゴアの夕焼け ゴアの夕焼け


その後、お酒を少し飲み、ビーチのレストランで横になってゴロゴロしていた。
そこが閉店すると今度は別なレストランでうたた寝をする・・・。
結局今日は一日スローな時間を過ごして、夜中の0時半にゲストハウスに戻った。


私はまた海面に漂う月明かりが見たくなったので、しばらく起きて日記を書いたりしていた。
月が出てくるまでもうしばらく待たねばならない。
すると、どこからともなく雷のような音が聞こえてきた。
「まさか?」と思ったが、今度は激しい雨の音も混ざって聞こえてきた。
私はたまらなくなって外に出てみた。


やはり真夜中の雷雨である。今日は一日曇り空だったとはいえ、雨が降るとは思っていなかった。
後で聞くところによると、これは雨季の始まりを告げる雷雨だそうだ。
旅行のシーズンは3月で終わりなのである。


私はしばらく立ち尽くして、雷の様子を観察していた。日本で見たことのあるどんな雷とも異なった、妖しげな光を発していたからだ。
古い蛍光灯がチカチカするのと同じくらい、頻繁に空が光る。
たまに強く光った後、数秒して「ゴロゴロ」と聞こえてくるが、ほとんどは光だけで消えてしまう。
私はその妖しげに光る空をボーっと眺めていたが、はたと今日は月が見れないことに気づき、少しがっかりした。
明日の夜はもうゴアを去り、ムンバイに向かうバスの中である。


私は部屋に戻って、少し物思いに耽ったが、長くは続かず眠りに落ちていった。



ゴアについてから2日間スローな時間を楽しんでいたが、今日は激しく動き回り、濃い一日となった。



【パナジへ出発】


昨晩約束した待ち合わせの場所であるゲストハウスのレストランに、アンディと一緒に11時に行き、そこに泊まっているヒロが出てくるのを待っていたが、しばらく待っても来ないので部屋へ彼を起こしに行った。

案の定、ヒロは昨日の疲れが取れていなかったようで、まだ寝ていた。


アンディはアンジュナでフリーマーケットなどを見ながらゆっくりすると言うので、夕方帰ったらまた会うことにして、ヒロと私は朝食をとった後、出かける準備をしてパナジの方へ向けてバイクで出発した。

ヒロも昨日、私と同じようなスクーターをレンタルしていたので、バイク2台での小さな旅である。


ところで、バイクで市内の方に行くのは冒険だ。とういのも、バイクを借りる時、「マプサやパナジの市内には警察がいるから絶対に近づくな」と言われていたからである。
本物であれ、偽物であれ、ポリスに捕まったら面倒だし、やはり金を取られるのが怖い。また、ビーチを離れるとバイクに乗ったツーリストはほとんどいないらしい・・・。
しかし、せっかくバイクを借りてガソリンも入れてあるのに、それを使わないのはもったいない!
ということで、私たちは大きさの不明な「リスク」を負って、周囲の様子を伺いながら、パナジまでバイクで行くことに決めたのだ。

Honda「Activa!」に乗って バイクで爽快に駆け抜ける!


パナジに行く途中、先に立ち寄ったのはカラングート・ビーチとフォート・アグアダである。
カラングートはアンジュナとバガを足して2で割った感じ。まあまあにぎやかそうだったし、通りに比較的ちゃんとしたお店(日本のビーチにありそうなお店)が多く連なっていて楽しそうだった。
しかし、ここはインド人ツーリストが多く、彼らは騒ぎ出すととてもうるさいので、近くにいるとだんだんウザくなってくる。


フォート・アグアダは高級ホテルがいくつか建っている小高い丘にあり、とても眺めがよいところだった。

フォート・アグアダからの眺め フォート・アグアダからの眺め


さて、フォート・アグアダから先の道は、さすがに緊張しながらの「ツーリング」であった。私たちは人に声をかけられても絶対に止まらないことを確認し合い、一路パナジを目指した。


途中、何回か道がわからず立ち止まって考えたが、それ以外は意外とスムーズに進み、私たちはパナジへと続く大きな橋のところまで辿り着いた。
ここを越えるとパナジの「市内」に入る。私たちは勇気を振り絞って橋を渡り、橋をくだってすぐのところにすばやくバイクを止め、何事もなかったかのように歩き出した。
無事、パナジに到着である!



【オールド・ゴア】


パナジの市内にはバスで知り合ったインド人家族のパパのお店以外に特に行きたいところもなかったので、私たちはすぐオートリキシャーを拾ってオールド・ゴアに向かうことにした。
料金は交渉の結果、行き帰りプラス、オールド・ゴアでの待ち時間1時間を含んで、220Rsで決着。
川沿いの道を辿って20分ほどするとオールド・ゴアに着いた。
思った通り、いくつかのチャーチがある他には特に何もない小さな街で、見てまわるのに1時間もあれば十分そうだった。


私たちはまずお目当てのボム・ジェズ教会に入った。
中ではちょうどミサか何かの儀式の途中で、100人近い信者やツーリストが座ったり歩き回ったりしていた。
この教会には、日本人にも馴染みの深い、フランシスコ・ザビエルのミイラ化した遺体が保管されている。
私たちは奥に進んで右側に、一際荘厳な装飾が施された銀色の棺桶を見た。ガラスを通して中が少し透けて覗けるようになっており、人の形をしているように見える。これがザビエルの棺だ。
『地球の歩き方』には撮影禁止と書いてあったが、ツーリストらしき人たちが何人もカメラを構えていたので、どさくさに紛れて私たちも中の様子をカメラに収めた。
ボム・ジェズ教会には他にも絵などの展示品があり、全体的に思ったより見ごたえのあるもので、これだけでも来て良かったと思う。


ボム・ジェズ教会 ボム・ジェズ教会


ボム・ジェズ教会の中の様子 教会の中の様子

フランシスコ・ザビエルの眠る棺 フランシスコ・ザビエルの棺


次に隣にある「考古学博物館」に行き、植民地時代の歴代のゴア統治官や有名な司祭などと思われる人々の絵などをざっと見た。その中の一つがヴァスコ・ダ・ガマの肖像画である。
そこには、戦国時代の武将を思わせるような腰の据わった目をしたヴァスコ・ダ・ガマが立っていた。


約1時間、オールド・ゴアを十分に楽しんだ私たちは、チップスを食べながらオートリクシャーでパナジへ戻った。
パナジも少し歩いておきたいと思って動き出したが、すでに時刻は5時を回っている・・・。目標とするところもなく、「パパの店」がある市営市場も歩くには結構遠かったので、私たちはやっぱりバイクを置いたところに戻り、帰途につくことにした。


帰りもポリスに遭遇することもなく、比較的スムーズにアンジュナに到着することができた。
私たちは、帰りついでに「ナインバー」というこの辺ではメジャーなクラブの場所も明るいうちに確認して、いったんゲストハウスに帰った。



【「パーティ」】


今晩はビーチの方ではなく、メインロード沿いのレストランで夕食をとった。そこにはまたもや4人ほどの日本人バックパッカーがいて、私とヒロはご一緒させてもらうことにした。
ゴアで東アジア系の人を見たら、ほとんど確実に日本人だと言っていい。韓国人や中国人はなぜゴアに来ないのだろうか。それとも他のビーチに固まっているのだろうか。


そこにいた日本人バックパッカーたちによると、今晩「ドルチェ・デ・ヴィータ」というクラブで「パーティ」があるということらしく、彼らも夕食の後で行くのだそうだ。
オーダーしたアメリカン・チョプシー(かた焼きそばみたいなの)が出てくるまでの間に、私はヒロとビリヤードを1ゲームプレイした。「ナインボール」をやったが、私が負けてしまい、ゲーム代の20Rsを払った。


レストランを出るとまた一度部屋に戻り、今度はアンディを後ろに乗せてナインバーに行ってみた。
夕方来たときはちらほら人がいたのに、それが全くいなくなってしまって、フロアもライトが消えて真っ暗だった。どうやら今日はここでは「パーティ」は行われないようだ。
私たちは真っ暗な夜道をバイクで彷徨いながら、なんとかレストランで聞いた「ドルチェ・デ・ヴィータ」に辿り着いた。
そして、私はそこで、「パーティ」の何たるかを初めて知ったのだ。
人からいろいろ話は聞いていたため、特に驚くことはなかったのだが、その今までに味わったことのない雰囲気に多少の違和感を感じながらも、完成された「場」のムードを五感で楽しんでいた。


その夜、私は酒を飲み、初めてガンジャを吸い、イスラエルから来たという有名DJの作り出すテクノのサウンドに身をまかせて踊ったりしていた。
しばらくアクティブに動き回っていたがさすがに疲れてきて、午前2時くらいからはまったりと、その場にいた日本人の女の子と話したりして過ごしていた。
そして、いつの間にか私は夢の中に入っていた。


ゴアのクラブで 「ナイン・バー」