【偽ポリス】


長距離バスの疲れもまだ残っていたのだろう。私たちが起きたのは昼近かった。
アンディはまだ寝るみたいなので、11時頃私は一人でバイクにまたがり、散歩に出た。


アンジュナの北端にあたる丘にバイクで登ろうとしたが、道がよくわからない。
グルグルほっつきまわっていると、2人乗りでバイクに乗ったインド人たちに声をかけられ、私は道を聞こうと思って止まった。すると彼らは「ポリスだ」と名乗り、「ライセンス(免許証)を見せてみろ!」と言ってきた。
しまった・・・、こんなところで捕まるとは・・・。


友人が偽ポリスに捕まって高額の賄賂を払って解放されたという話を聞いていたので、彼らが明らかに偽ポリスだと分かりながらも、私は血が凍るような思いをしながら、必死で日本の免許証を見せたりして抵抗した。

賄賂で済めばまだいいが、本当に逮捕されてしまうと日本に予定通り帰れるかどうかさえ危うくなる・・・。
10分ほど粘って抗議し続けていてると、お金の要求もなく思ったよりあっさりと引き上げてくれた。
私はとんでもない朝を迎えた。が、何事もなくゲストハウスに帰れたので幸いであった。



【ジェットスキー】


部屋に戻り、アンディを起こすと、私たちはバイクでビーチに出て遅い朝食をとった。
同じレストランに4人ほど日本人がいたので、混ざっていろいろ会話した。
そのうちの一人、ヒロは今朝散歩の途中で会ったバックパッカーで、今日ゴアに着いたばかりだ。
私たちはお互いの旅の話をしながら仲良くなった。彼の南インドやハンピなどの旅の話を聞いたり、タンブラーというインドの太鼓みたいな楽器を見せてもらったりした。

タンブラーを日本に持って帰って売ると、数倍の高値で売れるらしい・・・。
そして私たちは3人でバガ・ビーチに、昨日発見したジェットスキーに乗りに行くことにした。


少々道に迷ったが、バガに到着。

さっそく浜辺にドカリと置いてあるジェットスキーを見つけ、おっさんに声をかける。
すると昨日とは話が違って、1Roundで200Rs、10分で1000Rsだと言うではないか。
私はおかしい、と言って交渉したが、結局10分800Rsにしかならなかった。
昨日のは何だったんだろうか・・・。もしかしたら聞き間違えかもしれないが・・・。事実は闇の中である。


私たちは食事を取りつつ作戦会議をし、最終的に5分で400Rsで、3人とも順に乗ることにした。
思ったとおり、ジェットスキーは「水上のバイク」という感覚で、すごく爽快で楽しかった。
しかし、やはり5分は短い。日本に帰ったらライセンス(小型船舶免許)を取って、今度は思う存分乗ってやろうと思う。


3人でジェットスキーに! ヤマハのジェットスキー!(左からアンディ、ヒロ、私)

道端で遭遇した象 道端で遭遇した像
写真を撮ると、像の飼い主が「金を払え!」と言ってきた・・・。

もちろん私たちはバイクで逃走。笑



【日本人大学生たち】


暗くなると道が危険なので、私たちは6時前頃にバガ・ビーチを出て、綺麗な夕日を左手に眺めながら、アンジュナに帰った。
帰ってからまたビーチに出て、そこで会った日本人大学生2人と混ざって、計5人で楽しく夕食をとった。私以外は皆ガンジャ(マリファナ)を吸っており、だんだん口数が少なくなってきてボーっとしているようだった。
ちなみにタカシとマサという名の2人の大学生は早稲田生で、一緒にバガに行ってきたヒロは慶応生だ。
皆大学4年生で(私は「5年生」だが・・・)、私たちは大学生活の話題でも盛り上がった。
ヒロの父親がある大手総合商社の人事で、タカシがその内定者だと言う。ものすごい偶然である。


私たちはそこでしばらくマッタリとしていたが、タカシがすごく眠いと言うので、私たちは早々にそれぞれのゲストハウスに帰ることにした。
今日も月明かりが美しく水面に輝いている。



【ゴアのアンジュナ・ビーチへ】


目が覚めると、隣のインド人家族はは皆起き上がって荷物整理をしており、外は完全に明るくなっていた。
こんなに激しいバスの揺れの中でも人間はちゃんと眠れるものなんだと感心する。
聞くともうすぐマプサに到着するようだ。


昨晩暗くて書けなかったため、パパの店の名前と場所をメモ帳に書いてもらう。娘さんと大学の話などをもう少し話したかったが、荷作りを終えた頃にはもうマプサについてしまった。
別れを告げる間もなく、慌てて下車。できればその家族と後日食事でも、と思っていたのに残念だ。


気を取り直して当初決めていた通り「カラングート・ビーチ」を目指そうとバス停の方へ歩くが、道がよくわからないので、同じバスから降りてきた欧米系のツーリストに声をかけた。彼はタクシーでアンジュナ・ビーチに行くつもりだと言うので、なんとなく一緒に乗せてもらい、15分ほどで海岸近くのゲストハウスが連なる一角に着いた。


そのツーリストはイギリス人で、私と同い年の23歳だった。名前はアンディー。どこかボサッとした感じがあるが、nice guyである。
私たちはちょうど降ろされたところのMary's Holiday Homeというゲストハウスに、ダブルで泊まることにした。
Andyはインドに来てまだ間もないが、これからゴアに1~2ヶ月住むつもりでいるようだ。テクノやトランスが大好きで、自らDJもこなす。
まさにゴアは彼のような若者のためにあるようなリゾート地だ。


私たちはゲストハウスに荷物をおいてから海岸線をずっと歩き、少し離れたところから始まるビーチに出て、遅い朝食をとった。
綺麗なビーチに美味いメシ。私はついにゴアに来たんだ!と少し嬉しくなった。やはり海はいい。
しかし波を見ると穏やかで、とてもサーフィンができそうなところではなく、少しがっかりもした。何日かかけてスポットを探せたら良いが、今までの情報をまとめるとかなり遠くまで行く必要がありそうだ。


朝食を済ませ軽くビーチで昼寝をした後、一度ゲストハウスに戻り、私はかねてから話を聞いて決めていた通り、バイクを借りに行った。
ちょうどゲストハウスの目の前がバイク貸しのたまり場となっていたので、そこで値段交渉をし、Hondaの「Activa!」というスクーターを一日140Rsでとりあえず2日間レンタルすることにした。
インドでバイクに跨るのは2回目だ。快調に滑りだすアクティバに乗って風を切ると最高の気分だ。


しばらく近くの複雑に入り組んだ道を走っていたが、私はバイクを置いて今度は一人でビーチに出た。
すると、たまたま日本人のバックパッカーらしき人がいたので、ゴアの情報を集めるためにしばらく一緒にお茶することにした。



【インドの少年】


いろいろ話をしていると、ビーチでインド人の少年がボディボードの板だけを持って海に入っていったのが見えた。
私は「これは!」と思って少し後に海パンに着替え、貴重品をその日本人バックパッカーに預けて海に入り、少年に声をかけた。
ラメシュという名の少年は快く私にボードを貸してくれて、一緒に波乗りを楽しんだ。
いい波を求めて少し離れたところまで行ってみたが、それでもやはりまともに乗れそうな波はなく、1時間ほどして砂浜に上がった。


荷物を預かってくれていたバックパッカーとは、夕方また近くのレストランで会うことにしていったん別れ、私はボードを貸してくれたラメシュと、その友達のアペシュを連れてレストランに行き、お礼としてラッシーなどを奢ってあげた。
また、2人が店を見ていけと言うので、暇つぶしにバイクに乗ってラメシュの母親が開いている、布・アクセサリー屋に行き、130Rsでネックレスを買った。なかなか良いのが見つかったのでけっこう満足。


インドの少年、ラメシュとアペシュ ラメシュ(右)とアペシュ(左)と私(中央)

その後、またラメシュに道案内を頼み、隣のバガ・ビーチまで行ってみた。バガ・ビーチはとてもにぎやかなビーチで、浜辺はビーチ用のベッドやシートで埋め尽くされ、人で込み合っている感じであった。
人ごみが嫌いな私はアンジュナに来て正解だったようだ。
バガでもサーフィンはおろか、ボディボードをしている人も一人もいなかった。
しかし、私はそこでいいものを見つけた。ヤマハのジェットスキーだ。
ジェットスキーを貸し出しているおじさんに値段を聞くと、10分200Rsだと言われた。思ったより安いので、次の日に誰かとまた遊びに来ようと決めた。


バガ・ビーチ にぎやかなバガ・ビーチ

バガまでの道は、後で考えればメインロードを通らなかったためだが、非常に複雑だったので、ラメシュが後ろに乗っていてくれてよかった。アンジュナへ帰ると、別れ際に少しチップを渡し、私はゲストハウスに戻った。


バガ・ビーチへの道の途中 アンジュナ・ビーチからバガ・ビーチへの途上

アンディはしばらく部屋で寝ていたらしく、私が部屋に入ると目を覚ました。
彼が起きてすぐ一緒に近くのネットカフェに行き、日本にいる親や友人にメールをうった。その後またビーチの方へバイクで2人乗りで行き、心地よい音楽が流れているレストランを見つけてディナーを食べた。


美しいサンセット 美しいサンセット
でもこの風景の中には(隠れて見えないが)牛もいる・・・。


夕暮れの浜辺 夕暮れの浜辺



【ゴアのクラブへ】


ディナーの後、しばらくゆっくり星を眺めて歩いていたが、近くのクラブで夜中の1時頃から「パーティ」があるようだ、とアンディが言うので、私たちは様子を見に10時頃からそのクラブに行ってみた。
中に入るとすぐアンディはDJボックスに入り、音楽を「Mix&Match」し始めた。
生のDJを見るのは初めてである。

DJプレイ中のアンディ DJプレイ中のアンディ

店のつくりもなかなか手の込んだもので、半分洞窟のようになっていてブラック・ライトが妖しげに光るフロアに、大音響のクラブ・ミュージックが響き渡る。
丘の上に位置しているためそこから海が一望でき、まさに最高のロケーションである。


私はそこで、「DJの友達だから」ということでバーテンダーにカクテルをただで出してもらい、酒に酔いながら海面に美しく光る月明かりを眺めてうたた寝していた。
気がつくともう午前1時を過ぎていた。しかし、人は少なくなっており、下におりてアンディを見つけると彼も帰るところであった。どうやら今日の「パーティ」は中止のようである。
仕方なく私たちは宿に戻ることにした。


その途中、なぜだかよくわからないが、私は急に気分が悪くなり、一度吐いた。
カクテルの水があたったのか。まだ少しお腹がムカムカしていたが、吐いたらかなり楽になったので、とにかくベッドで眠りにつくことにした。


今日も旅はエキサイティングだ!
今私はGao(ゴア)行きの長距離バスに乗っている。Non A/CのSleeperだ。
日本だったら絶対に誰もお金を払わないようなオンボロのバスだが、こちらではまあまあのもの。
これならGoaへの15時間の長旅も難なく過ごせそうだ。

バスの揺れがハンパじゃないため、かろうじて識別できるほどの文字しか書けない。だが、この間に2、3日溜まっている日記を片づけておかねば・・・。



【テレンス】


今朝はめずらしく電話で起こされた。
最初、ホテルのボーイが「電話だ」と言って起こしに来た時、私は「何かの間違いだろう」と思って相手にしなかったが、わっちーが彼のベッドにいないのを見てピンときた。
電話主はわっちーだったのだ。

彼はもうインド人の友人に会って、ガイド料などの話をしておいてくれたみたいで、とりあえずUnitedLodgeという彼の友人が住んでいると言う安宿にバスで向かうことにした。

インドで市バスを使うのは、空港で一度乗って以来だ。どうなることやらと思ったが、ムンバイの人は親切な人が多く、何度も同乗客に場所を尋ねてなんとかクロフォード・マーケット近くのUnitedLodgeにたどり着いた。

わっちーの友人テレンスは、イタリアからの移民が祖先とのことで、顔が「インド人離れ」していた。一見すると欧米からのバックパッカーのようにも見える。
彼はそのメリットを生かしているのか、ムンバイを拠点に欧米人観光客向けのガイド業で生計を立てているようで、今回「友人」とは言え、ガイド料の交渉をせざるを得なかった。結局格安の400Rsということで、(実際は安いかどうか微妙なところだが・・・)交渉成立。私たちは表に出た。

テレンスはものすごいおしゃべり好きで下ネタ好きな陽気な性格の持ち主で、四六時中くだらないジョークを織り交ぜながら、様々な話をしてくれた。
まず、軽く朝食をとってから、ジャイナ教の寺院を見て、それから電車に乗りムンバイの北に広がる郊外の方へ移動した。

途中、一度電車を乗り換えたのだが、日曜日というのに列車はものすごいラッシュで、2本も見送ってやっと乗ることができた。
車内には男しかおらず(女性は女性専用車がある)、とても汗臭い。人に揉まれながら吊革につかまっていると、大都市の交通事情はどこも変わらないのだと実感する。
ただし、インドでのそれは3、40年前の日本を思わせるような激しいものだが・・・。


インドのラッシュ(通勤列車?) インドのラッシュ(通勤列車?)

こちらではめずらしいのだろうか。テレンスは小さな乳牛牧場を案内してくれた。が、あまり見る価値があったとは思えなかった。寝転がってた可愛い犬がいたのでその写真だけ撮っておいた。

牧場にいた犬 牧場に寝転がってた犬


次にまたラッシュに揉まれて行ったのは、インド最大と言われ、公式発表されているだけでも300万人の貧しい人々がひしめく、ムンバイのスラム街の一角だ。

300万人が住むと言われるスラム街の一角 スラム街の一角


よく見ると線路沿いに人がたくさん歩いている。というか、線路と家との間に境がない・・・。

一ツーリストとしてはなかなか入り込めるところではない細い路地に足を踏み入れ、私たちは掘っ立て小屋が延々と続く彼らの生活スペースを見てまわった。


スラム街の風景 スラム街の風景


その路地にはアパートのようなビルがいくつも建っており、それらは政府などが建てた格安で住める住居なのだそうだが、役人への賄賂も払わなければならないため、そこに住むには結局たくさんのお金が必要なのだ、とテレンスは教えてくれた。

それにしても、いくら貧しくともインドの子供たちは皆元気で人懐っこい。

スラムの子供たち スラムの子供たち


私たちがカメラを構えると、満面の笑みでポーズを決め、撮り終わると決まってデジカメのディスプレイを覗きに駆け寄ってくる。
私は、インド行きのために友人から借りたデジカメのバッテリーを気にしながら(充電できないため電池がなくなったらそこで終わりなのだ)、やはり子供たちに見せてやりたくなってしまうのである。

スラム街とは言え、私たちが見たのはそれなりに皆生計を立てて暮らしていけているところのスラム街であり、少し物足りなさも感じたが、こんなに近くでガイドの説明付きで見てまわれたので、私は満足できた。

この後、大規模な「洗濯場」という、12万人のドービーワーラー(洗濯を代々職業としている人たち)が一日中洗濯物をする風景を短時間見て、UnitedLodgeに帰ってきた。


大洗濯場 大洗濯場(のごく一部)


わっちー、テレンスと わっちー、テレンスと



【ゴア行きの長距離寝台バス】


私たちはお金の清算をして、ゴア行きのバスストップまで歩いた。
バスが出発するまでの30分間、わっちーとテレンスはずっとそこにいて見送ってくれた。
テレンスはもちろんそこでもツーリストへの営業をするのを忘れなかった。
バスの出発時刻が近づき、私たちは後でEメールすると約束し合い、固い握手を交わした。
本当に短い間だったが、また一つ良い思い出ができた。
私がバスに乗り込んでしばらくして、バスがゴアへ向かって動き始めた。

Sleeper(寝台)のバスに乗ったのは初めてである。
普通の長距離バスに比べたらかなり楽ではあるが、一人分のスペース、特に横幅が非常に狭いのには辟易した。

途中、隣と向かいの席にはインド人家族が乗車してきた。ちょうど夕暮れ時で私はしばらく窓からボンベイ(ムンバイ)の湾に沈む夕日を眺めていた。
夜の21時前くらいから夕食タイムで、食事ができる小さなレストランのあるパーキング・エリアのようなところで、30分ほどバスが停車していた。
しかし、まともに食べれそうなものが何もなかったので、私はお菓子とみかんで仮の夕食ということにした。


その後、バスで隣のインド人家族と様々会話させてもらった。お父さんはこれから向かうパナジに自分のお店を持っていること。同乗していた娘さんはゴア大学に通っているということ。
どうやらインドではまだ数少ない「中流」の家庭のようだった。いつも話をしては決裂してしまう、一般のインド人と違い、「まともな会話」が成り立って、私はとても楽しかった。

そうやってしばらくお互いの話をした後、上下左右に激しく揺れるバスの上で、私たちは眠りについた。