その固定観念、自分にとってどんな価値がありますか?
諸葛孔明先生を人生の師と仰いでいる諸葛丞相.comの玄子(げんし)です。
誰しも、固定観念を持っています。
だからこそ、自分の意見として発言できます。
が!自分の思い込みだけが全て、正しいと信じて疑わず、
固定観念に縛られちゃったら、他に選択肢があっても反発してしまい、身動きが取れなくなってしまいます。
例えば三国志が好きってことを楽しんでいると、呼んでもいないのに
正史だけが絶対、それ以外は認めない、上から目線の価値観押し付け隊がやってきます
しかも、何故か攻撃的で批判的。
そんな人たちと合わない理由は
私が大事にしているのは、三国志の英雄一人一人の人生と生き方だから。
彼らに学んだことを自分の人生にどう活かすか?
生きるために、私淑し続けているから。
そしてそれが私の固定観念と言われれば、そうかもしれませぬ
でも、良いんです♪
私にとっては、重要で、メリットしかないから。
あの世で孔明先生に会うのを最大の目標として生きているからこそ、蜀の都に行けて、日本にいては会えなかった人たちと交流できて幸せな人生を送っています
ってことで!
なんか身動き取れないな〜と感じたら
当たり前になっている前提や、固定観念、
押し付けられた正しさは
一般論ではなく自分にとってどうなのか?
自分にとって意味のあることなのか?
重要なのか?
じっくり考えて自分と向き合ってみては如何でしょうか?
今日も最後までお付き合いいただき有り難うございました!
諸葛流文霊想作家・玄子(げんし)
*文霊(あやだま)とは?
時代、時空、国境を越えて読む人の心を動かす力を持っている文字には霊(魂、精神)が宿っているという概念から生まれた玄子の造語です。
孔明先生に興味、好意、敬意のある人とのご縁に感謝