諸葛孔明先生を人生の師と仰いでいる諸葛丞相.comの玄子(げんし)です。
聞き役は感情のゴミ箱に非ず!
ですが、
気づけば聞き役。
頑張って話そうとしても
気づけばやっぱり聞き役。
なんで私ばかり聞き役にならなきゃいけないの!?
聞き役の話は誰が聞くの?
って心が疲弊したこと、ありませんか?
以前、そんな感じのことを相談したら
聞き役になるか、話し手になるかは
あまり重要ではありません。
会話の内容は
「人類に役立つもの」なのかどうか。
聞き役に徹するだとか
話し手になるとか
よい人に思われたいとか
悩んで時間を浪費してはいけません。
的なことを言われ、相談する人、間違ったなと思いました
良い人に思われたい訳じゃないのに
好きで聞き役に徹している訳じゃないのに
聞きたくもないのに、聞き役にさせられる苦悩や
聞き流せない性格ゆえの心身への負担。
聞き役になるとか、徹するとか
自分の意思で選べる状態じゃないのに、、、。
一人で悩まず、話してみよう!って状況下でも
気づけば聞き役にさせられる人って
、、、どうすんの?って話です。
人類の役に立つ前に、
私自身が立って歩けるかどうかさえ不安なんだけど!ってくらいまで
心壊れて追い詰められた人の声は誰が聴くのかって話です。
ちなみに私は
孔明先生の文霊を想作して自分の心を支えています
孔明先生の文霊は
心の痛さを理解してから
教え導いてくれるので
まるで孔明先生に話を聴いてもらって
尚且つ、前向きな助言をされている状態に
ってことで!
聞き役の話は私が聴く!
孔明先生の文霊想作講座(仮)
ただ今、何かと色々構想中〜。
聞き役で疲弊している方、
今しばらくお待ち下さい
今日も最後までお付き合いいただき、
ありがとうございました〜!
諸葛流文霊想作家・玄子(げんし)
*文霊(あやだま)とは?
時代、時空、国境を越えて読む人の心を動かす力を持っている文字には霊(魂、精神)が宿っているという概念から生まれた玄子の造語です。