孔明先生の人生と文霊(あやだま)に学んで人間力を深めませんか?
諸葛孔明先生の私淑弟子・玄子(げんし)です。
何をやっても中途半端だとよく言われていました
三国志だけは特別で、30年も続いていますが、三国志以外は熱し易く冷め易い。
だからどうしても、超絶完璧にしないと!って思うけど
そこはやはり、生まれついての中途半端王にて続かない!
完璧にできないなら、いいやって自分を中途で半端なく見限る。
そんな人生が続くと、何も満足にできない自分に自信がなくなります。
生きている価値、ないんじゃない?ってさえ思うようになりました。
そんな時に降り注いだ
孔明先生の文霊
原典*孔明先生著「便宜十六策」
(馬は赤兎馬のような駿馬である必要はない、走れればそれで良い)
この他にも似た例として
「聖人である必要はない、才智に通じていればそれで良い」
とあるのですが
才智って・・・孔明先生がいう才智って・・・
下手すると聖人よりもレベル高いんじゃ?
無理です!!!
って思ってしまったので、私は馬で行きます。午年だし。
生き続けることが何よりも難しいと考えていた私は、孔明先生の文霊のおかげで
ありとあらゆることが完璧にできなくても、たとえ中途半端だとしても
日々の生活で人間力を深めながら
この人生を最後まで生きて走り切れたら、それだけで十分なのでは?
と思えるようになり、今の自分にできることを試行錯誤しながら
楽しみながら頑張るぞ!と思えたのでした。
めでたし、めでたし
こんな感じで、孔明先生の文霊は一度向き合って自分なりに想作すると、
必要なタイミングでふと助言が降り注いでくるので
孔明先生の文霊想作の活用術を必要な人に届けられるよう、現在絶賛試行錯誤中〜!
ご覧のブログは諸葛孔明先生を人生の師と仰いでいる諸葛丞相.comの諸葛流文霊(あやだま)想作家・玄子(げんし)がお伝えしています!
*文霊(あやだま)とは?
時代、時空、国境を越えて読む人の心を動かす力を持っている文字には霊(魂、精神)が宿っているという概念から生まれた玄子の造語です。