三国志時間が人生の幸せ
玄子(げんし)です。

今日は時の記念日。ってのは知っていましたが、その由来は671年6月10日に「水時計」「漏刻」と呼ばれるものが置かれた、と日本書紀に書いていたことからだとか。
戦後に時計がなんかしたのかなって思っていたので、まさかの日本書紀!!!恐れ入りました〜!
しかも671年ってかなり昔。
私的には三国志の時代よりも遥か昔って気がします(^◇^;)
数字的には三国志の方がずっと前なのですが、三国志との心の距離はゼロ距離なので日本書紀となるとかなりの歴史を感じます。
で。漏刻ってなんぞや?と思いきや、周の時代からあったそうです。
こういうのらしいけど、数字とか大の苦手なのでよくわかりませんでした。
いや、、、分かろうとさえしていませんので、興味のある方は各自どうぞ。
ちなみに前漢時代に使われていたのがこれ!!
歴史の暴風雨や狂風に負けず今でもあるって凄いですね!!
さて!三国志で時間といえばこの場面!!
小覇王孫策と太史慈!!
画像を拝借して簡単に説明します。
孫策殿が単身、山上に敵地の観察へ行ったら、敵将の太史慈がやってきて一騎打ちになりました。
戦いは白熱し、一騎打ちってよりも、殴り合いの喧嘩っぽい感じになっています。
童心に帰っているのかもしれません
結局この日は、引き分け。
お互いに「敵ながら、やるなぁ、あいつ!天晴!」と実力を認め気分爽快
が!時は乱世。毎日のように喧嘩三昧しているほど暇じゃありません。
太史慈殿はそれでもいいかもしれないけど、孫策殿は将帥です。将兵を率いて出陣!
するのかと思いきや、孫策兄さん、何が頼もしいかといえば、将帥なのに他の武将を差し置いて最前線で一騎打ちを挑んで戦いたい人なのです。
しかも、生け捕りした敵将を抱えて
自軍に戻ろうとしますが、その背後から敵将が背後を狙うと
「うっざいわ!!」
孫策殿、振り向きざまに一喝!!!
その声に驚いた敵将、落馬!したばかりか
落馬して打ちどころが悪かったのでしょう。
還らぬ人になってしまいました。
敵将Aを脇に抱えながらBを怒鳴り殺した孫策殿。
無事に戻って、生け捕りしたAを腕から放すとー
いつの間にか息をしていませんでした。
これが我らの小覇王・孫策殿なのです。
その後、敵の城を攻めて太史慈殿を迎え入れた孫策殿。
あの殴り合いの喧嘩で分かり合った二人。
太史慈殿は城破れて逃げた兵士を集めてくるので時間をください、と孫策殿に申し入れました。
孫策殿は「うん。いいよ」太史慈殿を信じて快諾。
翌日、太史慈が逃げたと諸将は騒ぎますが
「そんな奴じゃないさ」と気にしない孫策殿。
「殿は若いからまだ乱世の何たるかを知らないのです!」と忠告されますが
「逃げたならそれまでの人間ってだけで、惜しくも何ともない」
またまた爽やかに断言する孫策殿。うん、かっこいい!
それでもやっぱり心配というか、太史慈を疑った諸将は日時計っぽいのを即席で作りました。
この絵の真ん中に立っている棒↓が正午になるのを知らせてくれる仕組みです。
そしてちょうど正午になった時!!!
太史慈殿は約束通り、兵を引き連れて孫策殿のもとへ帰還。
こうして孫策殿はあっという間に呉国の基盤を築いていったのでした。
ちなみに、次の絵で孫策殿の隣にいるのは周瑜殿



ファンにはたまらない一枚です。
周瑜殿っていうと、赤壁の戦いの立役者とか孫権に仕えたと思われがちですが、あくまでも主は孫策殿なのです。
って言いたいだけの一枚でした

ってことで。時の記念日。
孫策殿は26歳という若さで他界しましたが、それでもいっときいっ時を全力で生き抜いたからこそ、三国志の一国である呉国があると言っても過言ではありません。
年齢に関係なく、この人生、この瞬間大事にして生きたいですね!
玄子(げんし)