転校初日の挨拶ほど嫌いなものはなかった!
三国志作家の玄子(げんし)です。
あるよ!
小学は3回変わりました。
秋田県男鹿市→山形県酒田市→山形市。
入学と卒業は違う学校でしたが、一番好きだったのは、入学式、卒業式どちらにも関係のなかった酒田市。
すっごく明るくて余所者でも笑顔で受け入れてくれる酒田市。
今でも酒田市の友達とは30年以上、交流が続いています。
今でもつられて話す方言は酒田弁です
秋田弁は母の通訳がないとん
ってこと多々あり
ブログで秋田弁を書くとき、自信がない時は母に確認しています。
秋田弁好きだけど、ギコチナイ。
たまに「秋田弁、話してみて!」と無茶振りされますが、
「四川弁話してみて!」よりもハードルが高いですやめて〜。
続いて中学は山形市→山形県米沢市。
三国志と再会を果たしたのは山形市。
県庁所在地なだけあって、書店が近所に沢山あったこともまた、地の利。
縁はどこにあるか解らないものですね
高校は、修学旅行先が中国ということで生まれ故郷の秋田へ。
今思えば、高校時代は留学のための準備期間みたいなもんだったかもしれません。
が!日本時代、唯一入学と卒業が同じだった高校も、私が留学中に乗っ取られ無くなっていました。
ともあれ。中学も高校も全てが私の三国志な人生になくてはならない過程だったので、人見知りな性格なのに、慣れない土地でよく頑張ったわ〜、私!って思います自画自賛して終わるんかい!
また転校をしたことで、地域ごとに考えや価値観、風習って違うんだな〜って思い知りながら、気付けば放浪癖を習得していました。
ってことで。
その時々では辛かったり、理不尽に思えたり、納得できないこと、意味不明なこと、矛盾すること、不安なことはあるけれど、振り返ればその時期をどう過ごしたか?がターニングポイントだったりすることも、無きにしも非ず。
なので。今できること大事にして生きたいですね。
玄子(げんし)