玄子(げんし)です。
三国志跡巡りで中国へ行くと決めたら、日程もチケットもホテルも手配して、確定して日にちが出来る限り迫ってから、行ってきまぁす!って周りに伝えますが、その理由は
行くまでに「何か」があると、それを理由に反対され、足止めを食らうから
っていう教訓が大きいかも。それでも行ったけど
なので「行こうと思っているけど、どう思う?」なんて相談しません。
行きたいなら、行きなされ、気が重いなら辞めなされってだけです。
「行こうと思うけど、一緒にどう?」だったらもちろん、相手の都合を考慮しますが、自分のことなら、自分で決めるのみ。
行ってもいないのに、妄想とネットの情報だけを頼りに最悪の事態を想定していたら、何もできません。
そして、気づいたら結局、何も変わらないまま、未練と後悔だけを残してしまう人生だけは御免です。
やりたいことあったのに「辞めたほうがいいよ」ってアドバイスした人は責任を取ってくれません。
辞めたのは自分の決断だから、人のせいにしちゃいけません。
今世できなかったから来世といっても、そんなのあるかどうかは分からないし。
来世なんて、興味ない!来世は来世で勝手に個人の自由を楽しんでくださいって思います。
来世の壮大な計画を立てるくらいなら、今、この人生、この瞬間にできることやろうよって思います。
孔明先生も「結局、何だったんだ?って人生の最後に思うことほど、残念な人生ってないんじゃないのか?」と言われています。
そんな孔明先生の文霊を交えながら
とは何なのか、綴ってみました↑
この人生、この瞬間、大事にして生きたいですね!