孔明先生に私淑(ししゅく)している玄子(げんし)です。
天下三分の計*ブログセミナーの続きです。
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〜今日はここから〜
劉璋闇弱 張魯在北 民殷国富而不知存恤 智能之士思得明君。
益州を治めている劉璋(りゅうしょう)は暗愚にして軟弱で
北方にいる張魯(ちょうろ)の脅威にさらされています。
人口が多く、物産や資源も豊かでありながら
劉璋は国民や資源を愛護することを知らないので
益州の有能な士は名君を得たいと願っております
劉璋が治めていた蜀は天府の国なれど……
益州を護っている劉璋は、その器に非ず、と断言する孔明先生。
ってことは、とりあえず、劉璋と張魯の説明をせい!ってことですね(;´Д`)
う〜む。この二人、あんまり興味ないけど、天下三分の計に登場しちゃってるし、天下三分の計を実現するに当たって重要人物になってくる人たちだから、頑張ってやってみます。
まずは、張魯(ちょ〜ろ)さん。
五斗米道の開祖・張陵をおじいちゃんに持つ、張魯。
五斗米道っていうのは、開祖が道術を学ぼうとする人から、五斗の米を受け取っていたことから来ていますが、「米賊」とも呼ばれていたようです。
五斗の米って、今で言うと五升の米だそうです。
、、、ってどれくらいよ?といえば、7.5kg。
授業料が五斗の米みたいなもんですね。きっと。
五斗米道の二代目は、張魯の父親ですが、お祖父さんほどの実績は特に遺していないようです。が!寧ろ、ママ!!
張魯ママは巫術に長けた美貌の持ち主でした。
なので当時、益州を治めていた劉焉(前述した劉璋のお父ちゃん)の家に出入りし、取り入りました。
その甲斐あって、張魯は劉焉の命を受け、張脩って人と漢中にいる蘇固って太守を攻めましたが、漢中を手にした張魯は張脩を殺害。
張魯はここで実権と兵力を手にしました。
その後、劉焉が他界し後を継いだのが、劉璋。
ですが張魯はここぞとばかりに、漢中で独立しました。
それを知った劉璋は怒り、張魯ママと弟を捉えて処刑。
って出来事だけを書くと、張魯って自分さえ良ければ親や兄弟はどうなってもいいの?何て非道い人!って思われがちですが、時は戦乱。
もしかしたら事前に家族会議で話し合い、承知した上で張魯は漢中で独立し、劉璋の配下としてではなく、五斗米道の指導者として生きることを決意したのかもしれません。
って、なんだか張魯を擁護してるっぽい感じを受けるかもしれませんが、べつに張魯からお米をもらったわけではないです(^_^;
張魯は集めた米や税金を何に使ったかと言えば扶助に使ったり、義舎っていう休憩所や食堂を作ったりして、何気に善政を敷いていたらしいです。
で。劉璋とはどうなった?っていうと冷戦状態。
そのうち、朝廷も「国民を助けているし、張角みたいな企みをしているわけでもないし、いんじゃない?」って認めたので、堂々と漢中を治めています。
が、これはあくまでも漢中の話。
そんな張魯が北にいると、益州の人は気が気じゃない。
だからこそ張魯の脅威をものともせずに、益州を護ってくれる名君を、人々は求めているのが益州の現状のようです。
で、今の太守・劉璋では残念ながら役不足。
暗愚軟弱って、、、暗愚(物事の是非を判断する力がなく、道理に暗く、愚かなこと)で
軟弱(意志、態度がしっかりしておらず相手の言いなりになること)。
これは、、、不安になります。
このままだと、益州は曹操軍か孫権軍のものになってしまうかも。
そうなる前に!!!
孔明先生が提案する、天府の国である益州を劉璋に代わって治めるに相応しい人物とは!?
孔明先生は、地図に向けていた目を玄徳殿に移しました。