49 基本に戻って離縁危機を乗り越えろ! | 【諸葛孔明先生】って知ってる?

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孔明先生一筋34年★【武侯墓公認】孔明先生の回し者・玄子(げんし)が「古代漢字✖︎剪字」で現代に甦らせる!孔明先生の文魂(あやだま)

諸葛孔明先生に私淑(ししゅく)している

文霊(あやだま)想作家の玄子(げんし)です。

 

孔明先生との時空を超えた

奇跡の絆物語は

孔明先生への信(中国語で手紙)と題して

私の人生に起きた実話をお届けしています。

 

留学編の目次は、こちら です。

最新話は

48〜もしかして、潮時!?中国卒業の危機〜

 

***49***

 

私にとっての中国の基本は成都。

なので、夏休みに入ってすぐに

列車に乗って成都へ。

 

なぜ飛行機じゃなかったのか?

安月給だったから(T▽T;)

学生は金持ち嬢ちゃん坊ちゃんだったので彼らのお小遣いより少ない現実

っていうのもあったし、

 

三国志跡一人旅は

列車とバスの乗り継ぎ旅だったので

そもそも、飛行機で移動するって発想さえ

なかったのかもしれません!!!

 

あとは、、、窒息するような空間にいたので

一人の時間が欲しかったから、、、。

 

硬く狭い寝台列車のベッドさえも

自由な解放空間だと感じながら成都へ☆彡

 

降りてすぐに私を包む四川の香り♪

もちろん、勤務先の江蘇省でも

豪華な火鍋はあったけど

やっぱり、四川のそのへんの火鍋じゃないと!!!

 

この時の成都帰郷では恩師や道士さんたちとも

再会できて、彼らがずっと変わらないでいてくれて

あまりにも優しすぎて心底思いました。

 

ワシは、やっぱり中国が好きじゃ!!!と。

 

にやり一年間の心労の末、玄子は、じいさん化したらしいじいさん

 

昭烈廟へ挨拶に行き、今まで

留学中も何度も思い知っていたけど、さらに痛感。

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陛下!!!臣は三國志さえあれば、

この国で頑張れます!!

にやり三國志と成都に気合いを入れられ、玄子は生き返ったらしい↑

 

この時に成都に来ていなかったら

中国との付き合いは10年だけで

終わっていたかもしれません。

 

迷ったら基本に戻れ、といいますが

私にとっての基本はやはり成都だったようです。

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こうして中国との離縁危機を乗り越えた玄子は

上海近郊の学校を見限って

三國志文化のある鎮江へ向かったのでした。

 

この先に、闇が待ち構えているとも知らずにー。

 

次回は

 

50〜これはきっと、罠だ!!!〜