天下第一の武侯祀
が建立された年、蜀漢は滅亡(ノ◇≦。)
してしまいましたが
この時、成都の昭烈陵で何が起こっていたのか!?
話の舞台は再び成都へ。
263年、蜀漢の都・成都で
後主・劉禅さんは歴史に残る重大発表をします。

蜀は魏に降伏することにしました

それを聴いた重臣たちはもちろん
( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚思いっきり分け分からん!
(-_\)(/_-)三( ゚Д゚)はぁあ!?
。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

陛下ご乱心(((゜д゜;)))

後世の蜀漢ファンも大反対しました。
でも、一度決めたら頑なに貫くって
玄徳殿の頑固さを
こんなところで引き継いで発揮!
降伏する気満々ヾ(@^(∞)^@)ノ
そんな時
玄徳殿の孫・劉諶殿は
(劉禅のお子なんだけど
玄徳殿の孫って敢えて言いたい)
ヾ(▼ヘ▼;)先帝(玄徳殿)や
諸葛丞相、五虎大将を始めとする
将兵がどれだけの命を削って
蜀のために尽くしてきたと思ってんですか

蜀を愛する人々の心の声を
代表してくれましたが
劉禅陛下は
( ̄∩ ̄#おまえに政治のことは分からん
と一蹴すると降伏の準備を手際よく
始めてしまいました。
陛下であり父親でもある劉禅に
失望した劉諶殿が泣きながら
妻子を連れて向かったのは
玄徳公のいる昭烈陵。

劉諶殿は蜀滅亡の罪を懺悔すると
成都が蜀の都であるうちに
妻子共々
玄徳公の元へと旅立ったのでした。
それから間もなく蜀は魏に降伏したのですが

取り壊されてしまうのか

昭烈陵の運命やいかに!?


●劉禅陛下、魏に降伏を決意。
意義唱えるも聞く耳持たず。
●玄徳公の眠る昭烈陵で
孫の劉諶殿一家が
泣き詫びて
命を絶ってしまいました。
====玄子の独り言==========
当初、現代武侯祀を簡潔に
紹介出来たらいいかなって
思っていたけど
書いているうちに
段々深入りしてしもうた(^_^;)
武侯祀の歴史っぽい流れに・・・。
でも三國志ってどんな角度からでも
自然とハマってしまう
不思議な魅力兼ね備えてますよね♪