【成都武侯祀6】成都が蜀漢王朝の都であるうちに! | 【諸葛孔明先生】って知ってる?

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孔明先生一筋34年★【武侯墓公認】孔明先生の回し者・玄子(げんし)が「古代漢字✖︎剪字」で現代に甦らせる!孔明先生の文魂(あやだま)

蜀漢王朝プロデュースによる

天下第一の武侯祀

が建立された年、蜀漢は滅亡(ノ◇≦。)

してしまいましたが

この時、成都の昭烈陵で何が起こっていたのか!?

話の舞台は再び成都へ。

263年、蜀漢の都・成都で

後主・劉禅さんは歴史に残る重大発表をします。

蜀は魏に降伏することにしました旗

それを聴いた重臣たちはもちろん

( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚思いっきり分け分からん!

(-_\)(/_-)三( ゚Д゚)はぁあ!?

。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。むかっ泣けるやら悔しいやら

陛下ご乱心(((゜д゜;)))!?

後世の蜀漢ファンも大反対しました。


でも、一度決めたら頑なに貫くって

玄徳殿の頑固さを

こんなところで引き継いで発揮!

降伏する気満々ヾ(@^(∞)^@)ノ

そんな時
玄徳殿の孫・劉諶殿は

(劉禅のお子なんだけど
玄徳殿の孫って敢えて言いたい)

ヾ(▼ヘ▼;)先帝(玄徳殿)や

諸葛丞相、五虎大将を始めとする

将兵がどれだけの命を削って

蜀のために尽くしてきたと思ってんですかビックリマーク


蜀を愛する人々の心の声を

代表してくれましたが

劉禅陛下は

( ̄∩ ̄#おまえに政治のことは分からん

と一蹴すると降伏の準備を手際よく

始めてしまいました。

陛下であり父親でもある劉禅に

失望した劉諶殿が泣きながら

妻子を連れて向かったのは

玄徳公のいる昭烈陵。



劉諶殿は蜀滅亡の罪を懺悔すると

成都が蜀の都であるうちに

妻子共々

玄徳公の元へと旅立ったのでした




それから間もなく蜀は魏に降伏したのですが

はてなマーク昭烈陵は魏によって

取り壊されてしまうのか!?

昭烈陵の運命やいかに!?




梅けふのポイント梅

●劉禅陛下、魏に降伏を決意。
意義唱えるも聞く耳持たず。

●玄徳公の眠る昭烈陵で
孫の劉諶殿一家が
泣き詫びて
命を絶ってしまいました。


====玄子の独り言==========

当初、現代武侯祀を簡潔に
紹介出来たらいいかなって
思っていたけど

書いているうちに
段々深入りしてしもうた(^_^;)

武侯祀の歴史っぽい流れに・・・。

でも三國志ってどんな角度からでも
自然とハマってしまう
不思議な魅力兼ね備えてますよね♪