
ってな決断が下され
蜀漢の民は思いました。
( ̄ー☆民間で出来ることは、民間で。
あんなにも国のため領民のために
私心無く全身全霊を捧げてくれた
偉大な諸葛丞相を祀らずには居られようか?

って想いが領民の中に
想い出とともにわき起こり
領民たちは次々と
個人的に孔明先生をお祀りしました。
民衆の期待に応えて
諸葛丞相生き返ってくれないかなぁ( ̄Д ̄;;
って想いもふくれあがるほど
この時の蜀は・・・
姜維さんとか孔明先生のお子とか
頑張っているけど
陛下がそれ以上に
頑張ってくれなかったので
かなり残念な状況にありました。
そこで再び武侯祀建立の
話し合いが行われた結果
蜀の都、成都ってなると
やっぱりちょっと諸事情が絡んでくるということで
孔明先生のお墓

漢中勉県に武侯祀を建立することにしました。
それがここ↓

蜀漢王朝による唯一の武侯祀。
何故唯一なのかと言えば
この武侯祀が建立された263年
蜀漢王朝は滅亡してしまったのです(ノ◇≦。)


蜀の民衆が各自で
孔明先生をお祀りするようになり
蜀漢王朝もついに武侯祀を
孔明先生のお墓の近くに建立。
しかぁし!
この年、蜀漢王朝は滅亡してしまったのです。
蜀漢王朝の武侯祀は
今でも漢中・勉県にございまする!!
お近くにお寄りの齋は是非
お越し下さいませm(_ _)m
武侯祀のすぐ近くに
馬超殿のお墓もあるので

これはもう、蜀漢ファン絶対聖地です



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