◆諸葛武侯伝29~呉の主君・孫権登場~ | 【諸葛孔明先生】って知ってる?

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浪漫派三国志諸葛武侯伝

前回は こんな感じでした  ←クリックすると前回の内容をご覧になれます。

━─━─29話━─━─━─

呉の主君といえば
この人

孫権、字は仲謀。182年生まれの彼は
碧眼に紫髯だったと言われています。

碧眼の主要三国志登場人物といえば
南華仙人(張角に太平妖術を授けた仙人)以来
二人目となりますが仙人ではありません。

父親は江東の虎と呼ばれた
孫堅(字は文台)殿。

その後を継いで事実上
呉の基盤を作ったのが
江東の小覇王と畏敬された
孫堅殿の長男
孫権殿兄である
孫策(字は伯符)殿でしたが

孫策殿は8年前に26歳という若さで
亡くなってしまい
弟の孫権殿が後を継いでいました。

孫策殿が後事を託したのは
思いっきり降伏を主張している張昭殿と
孫策殿と『断金の交わり』で知られる周瑜殿

*今や呉で一番人気の周瑜殿!ですが
当ブログへの登場はもう少し後になりますので
今暫しお待ちあれ♪

孫策殿亡き後、
周瑜殿の盟友、魯粛殿が
孫権殿に仕官すると

魯粛殿の推挙で
孔明先生の実兄、諸葛瑾殿
孫権殿に仕官しています。

まだ年若い孫権殿でしたが
多くの優秀な人材が集まったという事実は
それだけ人を惹きつける
名君であった
ことが伺われます。

諸葛瑾殿も当然、
この素晴らしい主君を支えようと
才能ある人物を招き入れるべく
懸命に説得しましたが
「仕官そのものに興味がないので」
と断られ続けた相手がいました。

ところが、何という事でしょう!
その人物が呉の未来を
動かそうとしているではありませんか。

そして、その話題の人物が今
孫権殿の前に現れました。

その時の様子がこちら。

___ご対面_______


ワシが孫権じゃ。

☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*
Y⌒微妙な空気Y⌒
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚


諸葛亮にございます。

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↑出入口
ここから覗いだ状況です↑

ついに始まった中国の歴史を左右する話は
次回へ続きまする♪

今回もお付き合いいただき
ありがとございました~!

玄子