正直言ってあまり好きではありませんでした。
孔明先生の弟、均ちゃんの字は書いていないし
元直殿のその後もウヤムヤだし
なによりも、蜀の記載が少なすぎる(-з-)

魏書は1~30巻まで
蜀書は31~45巻まで。
が!三十一巻は劉焉、劉璋から始まるから
玄徳殿を始まりとする蜀書は
実質32~45巻まで僅か十四巻。
巻数が少ない分だけページが多いわけでもなく
思いっきり圧縮されています。
それに引き替え、
呉書でさえ46~65巻まで二十巻。
そのくせに元々は蜀人の陳寿。
三国志跡巡りの途中で
陳寿関連史跡の近くを通っても
「ああ、“蜀敵”の陳寿か」ってことで
敢えて避けました←大人げない

が


孔明先生の文霊が書かれた本を開いてみると
前書きに、あの蜀敵のはずの陳寿が
「この教えは是非とも後世に遺すべきです」と
『諸葛亮集』を朝廷に提出した、とあったので
詳細を調べてみたら
魏にとって朝敵にあたる
蜀漢丞相の教えを後世に遺すべきだと
直談判した陳寿にとって
「死罪に値することは十二分に承知しております」
この行為は命懸けの訴えだったことが
判明してしまいました。
其の一文を読んだ途端
「陳寿の父親が馬稷のせいで
連座して斬られたにも拘らず
孔明先生を恨むことなく
寧ろ私情を挟まない公正さを讃えているし
何よりも
死を覚悟してまでも孔明先生の教えを
後世に遺そうとするなんて―」
嗚呼、なんてことでせう。
その気は全くなかったのに
思いっきり陳寿に感情移入してしまい
その苦衷を察するにあまりある
陳寿の想いに触れてしまったようで
嫌いになれなくなってしまい候(_ _。)
蜀の人々が心から
孔明先生を畏れながら愛していたことを
誰よりも知っていたであろう陳寿。
でも、魏を正統王朝として『三国志』を書く立場。
それを承知で死を覚悟して
孔明先生の人生と教えを後世に遺した陳寿。
蜀敵とはもう、呼べませぬ。
孔明先生が人生を懸け
陳寿が命を懸けて後世に遺した
孔明先生の文霊。
そんな時空を超えた経緯を経て
『心書』『便宜十六策』は
読み流すだけの教えではないことを
陳寿に事前予告されながら
ざっと1800年後の21世紀
(当ブログでは私個人の都合により
詳細な計算は割愛されます)
孔明先生の文霊を紐解くことになったのでした。

蜀漢王朝の全てに愛をこめて
