オリンピック香港代表が金メダル マカオ代表が存在しない理由 | 周来友 オフィシャルブログ

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中国出身のジャーナリスト、タレント。
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現在、フランスで行われているパリオリンピック。香港の江旻憓(ビビアン・コン)選手が、フェンシング女子個人エペ決勝で金メダルを獲得しました。香港がオリンピックで金メダルを獲得したのは史上3人目となり、今大会でも香港はすでに3つのメダルを獲得しています。



中国代表ではなく香港代表としてこれまでオリンピックに出場してきた香港ですが、1999年に香港と同様、中国に返還されたマカオはこれまでマカオ代表としてオリンピックに出場したことがありません。

1841年〜1997年に渡りイギリスの統治下にあった香港では、1950年にイギリス政府の積極的な働きかけによって香港オリンピック委員会が設立され、1951年から現在に至るまで香港はオリンピックに参加してきました。1997年に香港が中国に返還された後も一国二制度のもと、香港は「中国香港」として出場してきました。

一方、ポルトガル領だったマカオはイギリスとは違い、宗主国のポルトガルがマカオのオリンピック出場に積極的な動きを見せてこなかったことが大きな理由とされています。1577年、ポルトガルは明朝政府から交易と布教の拠点としてマカオでの居留権を獲得し、1887年には正式にマカオはポルトガルの植民地となりました。しかし、当時イギリスやオランダなど周辺国の台頭や、世界進出への費用による財政状況が悪化していたポルトガルは植民地であるマカオを香港のように国際金融都市へ発展させる力を残していませんでした。

こうした事情もあり、マカオでは早期のオリンピック委員会設立が出来ず1987年になってようやく「マカオオリンピック委員会」が設立されたのです。その後、マカオは国際オリンピック委員会にマカオ代表としての出場申請を行なっていましたが、1995年に国際オリンピック委員会が決定した新規定により、独立主権国家以外からの新たな出場申請は不可能となり、この時マカオ代表としてのオリンピック出場の夢は打ち砕かれることとなったのです。