2週間前、ラムシュタインの新しいアルバムが出ました。今日の記事を始めに、このアルバムの11曲の歌詞を日本語へ訳して解釈も入れたりして投稿していきます。

 

 Rammstein

ラムシュタインは1994年に結成したドイツのロックバンドです。13歳に初めて聞いたんですが、それ以来、僕にとって群を抜いて一番大切なバンドです。ギターやドラムの他にもキーボードも使って特にバンドの初期のスタイルについてはタンツメタール(ダンスとヘヴィメタルの合成語)と自称したこともありますが、一枚目のアルバムでノイエ・ドイチェ・ヘアテ(新しいドイツの堅さ)というジャンルが誕生したと言われていて、ラムシュタインがまだまだこのジャンルの象徴とされています。歌手のティル・リンデマンがせっかく取った花火師の資格を活かして火炎放射器などを大量に使用するコンサートも、世界中で知られています。

 

さて、このアルバムですね。題名はZeit(ツァイト:時間)です。アルバムの特徴を次の記事でもっと詳しく説明しますが、アルバム全体と同じように同名の先行シングルも人生と時間の流れを取り扱っています。

 

 

ミュージックビデオもあってとても感動的だと思いますが、出産が生々しく描写されているシーンもあるので、ご注意ください赤ちゃんぴえん

Zeit・時間

 

Manches sollte manches nicht                  そうなる事、そうならない事

Wir sehen, doch sind wir blind       俺たちは目が見えるが、見えてない

Wir werfen Schatten ohne Licht        光なしに影を落とす

 

Nach uns wird es vorher geben       俺たち以降は以前がある

Aus der Jugend wird schon Not              青春から苦痛が生まれる

Wir sterben weiter bis wir leben        生きるまで死に続ける

Sterben lebend in den Tod         死へと生きながら死んでいく

Dem Ende treiben wir entgegen       最期に向かって進んでいる

Keine Rast, nur vorwärtsstreben      休息なし、ただ先へ突き進むだけ

Am Ufer winkt Unendlichkeit         岸で無限が手招きしている

Gefangen so im Fluss der Zeit       時の流れにこう囚われている

 

Bitte bleib stehen, bleib stehen    (時よ)どうか止まってくれ、止まってくれ

Zeit, das soll immer so weitergehen  時よ、ずっとこのままで続けばいいのに

 

Warmer Körper ist bald kalt          温かい身体はすぐに冷たくなる

Zukunft kann man nicht beschwören    未来は願いを聞いてくれない

Duldet keinen Aufenthalt           寄り道を容認してくれない

Erschaffen und sogleich zerstören      創造しては破壊する

Ich liege hier in deinen Armen        俺はここで君の腕に抱かれて

Ach, könnt es doch für immer sein      ずっとこのままでいいのに

Doch die Zeit kennt kein Erbarmen     時は容赦を知らなくて

Schon ist der Moment vorbei        その瞬間はもう過ぎ去っている

 

Zeit, bitte bleib stehen, bleib stehen     時よ、止まってくれ、止まれよ

Zeit, das soll immer so weitergehen     時よ、ずっとこう続けばいいのに

Zeit, es ist so schön, so schön        時よ、美しい、とても美しい

Ein jeder kennt den perfekten Moment 誰しもが知っている、その完璧な瞬間を

 

Zeit, bitte bleib stehen, bleib stehen     時よ、止まってくれ、止まれよ

 

Wenn unsere Zeit gekommen ist        俺たちの時が来ると

Dann ist es Zeit zu gehen            立ち去る時だ

Aufhören, wenn es am schönsten ist     最も美しい時にやめる

Die Uhren bleiben stehen            時計がとまる

So perfekt ist der Moment           この瞬間は完璧だ

Doch weiter läuft die Zeit            でも時は流れ続ける

Augenblick, verweile doch            瞬く間、待ってよ

Ich bin noch nicht bereit             準備がまだできていないんだ

 

Zeit, bitte bleib stehen, bleib stehen       時よ、止まってくれ、止まれよ

Zeit, das soll immer so weitergehen       時よ、ずっとこう続くべきだ

Zeit, es ist so schön, so schön            時よ、あまりに美しい、美しい

Ein jeder kennt den perfekten Moment  誰もが知っている、その完璧な瞬間を

 

歌の全体的な意味は明快で誰でも共感できると思います。人が人生の浮き沈みを経て時間が一瞬も止まらずに容赦なく常に流れています。でも、気になった部分もあります。

 

一つが、第一行のmanches sollte, manches nicht. インターネットで見た英語の翻訳と2つの日本語の訳では、逐語的な訳が多くてその意味を伝えてない、またはそもそも読み取れていないようです。英語のit's meant to beやsome things are meant to beというフレーズが思い浮かぶんですが運命は前から定められているものなので、いかに頑張ってもいかにこうなってほしいと願っても、そうなることもあればそうならないこともある、という意味です。

 

もう一つがNach uns wird es vorher gebenです。誰かが死んだら、残された遺族にとってその人の死を境にすべてが変わりました。死ぬ前と死んだ後と、時間が二つに分かれてしまいます。あるいは、死ぬ前しかないようになってしまうかもしれません。前はそうだった、幸せだった、今虚しい気持ちで心はでいっぱいだ。しかし、いくら嘆いてそれを取り返そうとしても時間が流れ続けていきます。

 

そして、wir sterben weiter bis wir leben/Sterben lebend in den Tod. Wir sterben weiter bis wir lebenということは、時間が経つにつれて人間は必然的な死へ徐々に近づいていく、しかもいつ死ぬのかわからないから、生まれた瞬間から死に始めたという風に考えることもできる、ということです。Sterben lebend in den TodのSterbenが名詞なのか動詞なのかも少し曖昧ですが、それよりin den Todとin dem Todの違いが気になりました。in den Todは英語だと、into deathまたはuntil deathになります。死が最終的な行先に例えたものです。しかし、インターネットで見た日本語の翻訳では、両方とも「死の中...」になっていてin dem Tod(英語:in death)から訳されているかに思えます。

 

次に、das soll immer so weitergehenです。私見ではこれは「時よ、どうかと待ってくれ、止まってくれ」に続いて、これから進まずに、今、この瞬間が幸せなのに、時間が止まってずっとこの瞬間を楽しませてくれないことを嘆いていると思いますが、それをどうやって自然に日本語で表すのか、迷いました。「こう続くべきだ」なのか、「こう続けばいいのに」なのか、または「ずっとこのままでいいのに」とか...

 

最後に、ein jeder kennt den perfekten Moment(誰もが知っている、その完璧な瞬間を)です。本当はそうでしょうか。それなら、いつ分かるのでしょう。その瞬間を生きている時に分かるのか、その瞬間が過ぎ去って初めてその意義が身に染みて感じるのか。振り返って自分の人生における1つの完璧な瞬間を思い出せますか。もしかしたら、まだ来ていないかもしれません。それか、完璧な瞬間などそもそもないのでしょうか。もし、あっても人生は引き返せないものだから、周りの人を大切にして最高の瞬間を多く生きたらいいでしょう。

 

ちなみに、ミュージックビデオに登場する黒衣の人物は死神ではなくて、北欧神話において人間の運命を形作る女神です。俺の解釈ではこのビデオでは、人は皆同じように平等で無力で純粋な赤ちゃんとしてこの世に生まれてくるが、生まれた瞬間に宿命が人生を乗っ取って、戦争で撃たれる人や、船で嵐に遭遇して溺れる人など、人のそれぞれの最期へと時間に流されていく、ということをバンドが表現しています。

_______________________________________________________________________________________________

次はAngstです。フォローしてね!

最近、オーストラリア人の自分からすると日本のおかしい所やイライラする所についての記事を投稿しました。確かに、まじでなんでなの?と思うことも少なくないんですが爆  笑、そういう文化の衝突は本当にしょうがないですね。

 

文化というもの、祭りや民族衣装、人と会う時にお辞儀するか握手するかなどだけではなく、日常生活において当然のことと捉えているあらゆる点に及び、人間の同一性の重要な要素です。外国語を学んだり、海外に住んだりすることで生まれ育った文化と違う文化が合わさり、次第に何が正常なのかという考え方が変わり、正しくて当たり前かと思っていたことは育った社会の根拠のないしきたりに過ぎなく、絶対的な基準に基づいたものではないという事に気が付くようになります。とはいえ、自分の文化や価値観がランダムで無根拠だと分かっていても、異なる文化を見て「それは絶対に正しくない」などと批判してしまうこともあるでしょう。オーストラリアに住んだことがある日本人に「オーストラリアはどう思う?」って訊いたら、どういう意見が出るかちょっと怖いです (笑)。

 

しかし、この記事では日本のいいところ、オーストラリアでもそうだったらいいのになとか思うことを紹介します。

 

便利さ

ド田舎を除いて、コンビニはどこにもあります。しかも、品揃えが良く値段が安く(少なくともオーストラリアのコンビニと比べれば)、印刷機を使ったり郵便を受け取ったりチケットを買ったりできてまさにコンビニエンスなんですね。オーストラリアだと、コンビニはほとんどガソリンスタンドの店でセブンイレブンでもサンドイッチが5~7ドル(450~600円)とめっちゃ高いです。

 

自販機も大好きです。オーストラリアでは人生で3~4回ぐらいしか自販機から飲み物を買ったことがないです。日本は元々飲み物の種類が多く、自販機が見つかったらもう2~3台が真隣に立っているのも当たり前だからきっと何かいいものが買えます。

 

安いと言えば、スーパーでしょう!お弁当がフレッシュに店内で常に出来上がっているし、電子レンジとテーブルも置いてあるからすぐに温めて食べれます。特に旅行している時に便利でオーストラリアに帰ったらこれが恋しくなるでしょう。

 

最後に、オーストラリアだと一人で外食しているところを見られたら、仲間外れとかすっぽかされちゃったとか思われたりしますが、日本では誰も気にしません。それに、ラーメン、うどん、牛丼などすぐ食べれるものが多いです。ほぼいつでもどこでも、合間を縫って安く食事を摂れるというこの便利さは、まるで、遅くまで働いて曜日や時間を問わず必ず電話に出たりメールに返したりするのは当然という日本の辛い仕事文化を相殺するかのように思えます。うーん...そうでもないかも。

 

ホントに綺麗

今までで30都道府県に行ったことがあり、冬に札幌で雪まつりを見ること、真夏に伏見稲荷大社を登ってミストを浴びながらソフトクリームを食べること、富山や新潟で花見をすることなど多くの思い出を作ってきました。

 

日本の自然は本当に美しく、桜と紅葉はもちろん冬と夏にも綺麗な花が咲いており、群馬フラワーパークやひたち海浜公園でも、近所の公園でも綺麗な花が見られるし、人里離れたド田舎での偶然に出くわす小さい神社であれ、山に隠れている神秘的なお寺であれ、満開の桜の上にそびえるお城であれ、自然が日本の歴史を刻んだ建築と相俟って一層美しくなります。もうすぐ日光と那須に行く予定で紅葉の時期に東照宮や華厳の滝が見られるのがすごく楽しみです。

 

治安

日本は夜中でも一人で出かけて襲われたり財布を奪われたりしないと安心できるという感じがします。日本で、一度たりとも身の危険を感じたことはありません(外人だからじっと見つめられることはあるけど)。自販機が破壊されないし、落書きを滅多に見掛けないし、もしなんかあったらきっと交番が近くにあります。実はこの前散歩している時に財布を見つけて持ち主に返しましたが、日本ではなくした財布が持ち主へと返ってくるのは当たり前なのだが、オーストラリアだと財布や携帯を落としたが最後ほぼもうさようならですよ。

 

もしかしたら男だから、女が夜一人で歩いている時に覚える違和感や不安が分からないと思うかもしれませんが、男だからといって「ここ怖いな」とか「あそこの公園暗くて危ない通らないほうがいいかも」とか思ったことがないというわけでもないです。でも、オーストラリアとドイツ、日本に住んだことがあって(ドイツは二ヵ月だけだけど)絶対に日本の方が治安が守られている安全な国だと思います。オーストラリアではたまに小規模なテロ攻撃が起きたり、テロ未遂が未然に阻止されたりして、ここ2年間多くの国のようにも反ロックダウンデモやデモワクチンデモ起きて警察とデモ隊が乱闘したが、日本ではそういうのはきっと珍しいですね。

 

一方、オレオレ詐欺や痴漢などの汚らわしい犯罪が多いらしく、たまにこの前の硫酸事件とか、男性が札幌から260キロ自転車で移動して曽祖母を刺し殺してお金を奪ったという数年前起きた事件とか、首をひねって目を細めて「え?」を言うしかないような事件を偶にニュースで見ることも確かにあります。でも、これは日本の数多くの奇妙な矛盾の一つに他ならないでしょう!

 

食べ物とかポップカルチャーや歴史とか他のいいところもありますが、上の点は実際に日本に住んで初めて、または改めて痛感した日本のいいところです。

_____________________________________

お読みくださりありがとうございます。

フォローしてね!

日本に引っ越してもうすぐ2年間が経ちます。そんなに長くないかもしれませんが、日常生活に慣れ、日本人の考え方もわかるようになるのには、十分の時間です。年中綺麗な景色が全国で見られるし、コンビニや自販機の普及や電車の定時性のおかげで日本の日常は便利だし、美味しい食べ物も多いし、日本に住むのが好きです。でも、時間が経つと目新しさがなくなり始めて「え?なんで?おかしくない?」と思ったり、イライラしたり、全くわけが分からないようなことにも必然的に気がつくようになってきました。

日本のいいところについての記事も書くつもりなので、怒らないでくださいゲラゲラ

 

交通安全

一番イライラするのは車に乗っている時です。

1. 黄色信号を青信号のように扱ったり、まだ赤なのに走り出したりなどの信号無視。オ―ストラリアでは、黄色信号は「安全に止まれない場合を除いて停止線の前で止まれ」と言う意味なんだけど、日本は違うの?

2. はびこっているあおり運転(左車線で自分もスピード違反している時も!)

3. スピード違反がありきたりでほとんどの人は少なくとも10キロオーバーする

4. ながら運転(交差点で曲がっているところで携帯をいじっている人を何回も見たことがある)

5. 歩道じゃなくて狭い道路の端っこで走る自転車(特にゆらゆらするおばあさんなど)

6. いつ、どこから飛び出してくるか知れない自転車

7. 時速40キロを超えられない小さいバイク

8. ちゃんと横断歩道を歩かないで斜めに渡ったり信号が点滅している時に道路を見ずにいきなり現れて渡る人たち

9. 運転している時にテレビを見ている人!ドライバーが見えるところにテレビが設置されていることが信じられない。絶対に気を取られて事故を起こすから違法であるべきじゃないですか。

あおり運転やスピード違反などオーストラリアにはないわけでもないですが、日本はまさに別次元ですよ。こういうことを考えると日本人は車がもたらす危険性を全然理解していないのかと思います。日本人は親切で頭の良い人達なのに。他人の為ではなくても、自分と自分と家族の為に気を付けましょう。

 

クイズ番組の賞金

実はクイズ番組は大好きなんですよ。「東大王」とか「Qさま」とか「今夜はナゾトレ」とか、曜日を問わずほぼクイズ番組が必ずやっていて、漢字やフレーズの問題がよく出るのですごく好きです。でも、出る人はいつも有名な人ばかりです。まあ、ナゾトレなどでエンターテインメントの為だから別にいいんですけど、相当の賞金が獲得できる番組では、一般人にチャンスをあげればと思ったりします。

 

一回日本語教室のボランティアの人にこれを言ったら、ボランティアが「でも実は芸人だからといってお金持ちとは限らないですよ」と言っていました。まあ、そうかもしれませんが、バナナマンなどが出る、100万円がもらえるオールスター感謝会は?少なくとも大成功を収めている芸人やタレントなどが出る場合は、日本でしょっちゅう発生する津波、地震、土砂などから甚だしい被害を受けた一般人の為に慈善団体に賞金を寄付すればいいんじゃないかと思います。そういえば、アメリカやオーストラリアに比べれて、日本では慈善を施す人がはるかに少ないらしく、集団主義社会の日本ではそれはおかしいでしょう。

 

規則や手順にこだわる日本

 

どこに行っても何をやろうとしても規則に縛られています。効率的じゃなくても物事を規則通りにやらないとダメです。去年初めて銀行口座を開くときに申込書を4回も書き直させられました。一回目は妻が書き込んだからでした。サインだけじゃなくて本人が全部書き込まないとならないらしいです。二回目は名前が在留カードにある名前を一致しなかったから(ファーストネームと苗字が逆だった)。そこで名前を消して同じ枠に名前を書き直したら、それもダメで新しい申込書で最初から始めなきゃいけないと言われました。でも、終わったら、この情報を全部コンピューターに打ち込むんじゃない?どうでもいいじゃん?あと、ずっと隣で立って俺が書いているところを見ていたのになんで俺が書き終わってから言ってくれたの?と思いました。そして、申し込みを終えたら千円を口座に入れるのにまた20分待たされました...

 

食べ物

え?日本の食べもの、好きだと言わなかった?

うん、好きですよ。美味しいものは多いです。でも、現代の日本の料理って揚げ物が多いと思わないですか。甘いものやしょっぱいものも多くないですか。俺は健康にこだわる人なんで、牛丼、カツカレー、唐揚げなど美味しいと思うものが多いんだけど、健康の為にあまり食べないようにしています。

でも、レストランでも、手料理でも、バランスのある食事 - たっぷりの野菜、適度の量の炭水化物とプロティーン(お肉・魚)- は珍しいとは言えないまでも、もう少しヘルシーなものがあったら嬉しいと思ったりします。

ソースやたれやドレッシングが甘かったりしょっぱかったり、野菜やサラダがあっても、揚げて天ぷらにしたり...。インドカレーでも日本人の口に合うようにより甘く作られます。

確かに、オーストラリアにもヘルシーじゃないものが多いですが、オーストラリアは多民族国家でそれが食事の多様性にも反映されています。

 

変化への恐怖

 

少子高齢化が深刻化してきた日本が、国の将来を支える為に二重国籍を容認し若く働き盛りの外国人をより熱心に受け入れて、外国人がより簡単に家を借りたり電話番号やクレジットカードをゲットしたりできるようにするべきなのに、外国人として日本に落ち着く事がまだまだ困難だということは海外で悪名高いです。

コロナ禍で去年10月まで、日本で働いていて税金を納めている外国人は二級市民のように扱われて、有効のビザと在留資格を持っているのに、一回日本を出たら、また入国させられなかったらしいです(日本人は普通に受け入れられたのに)。

将来の日本の社会的及び経済的な安定性を危険にさらしてまで伝統や単一民族社会を守るという保守的な考え方は残念だと俺はつくづく思います。

 

俺は日本を色眼鏡で見ていると思いますか。(笑)下で是非コメントしてください!

_____________________________________

お読みくださりありがとうございます。

日本の素晴らしいところ・好きな所ですの記事はこちら

フォローしてね!

 

古代エジプトのヒエログリフがギリシャ文字へと発展してきたことが分かったパート1に続いて、パート2ではギリシャ文字が古代ローマ人に取り入れられ、イギリスへ持って行き、文字を追加したり除いたりして数段階を経て現代英語のアルファベットになってきた過程を紹介します。

 

下のフローチャートを見ると、過程が少し複雑ですが、簡潔で紹介しましょう。

 

 

ギリシャからローマへ

古代ギリシャ文字が、言わば二つのバージョンに分岐して、片方がギリシャで標準化して現在のギリシャ文字になっていきました。もう一方は、ギリシャ人がイタリアでの植民地に住み着き、ギリシャから隔たり、もとのアルファベットと差がついて行くことで、生み出されました。それがエヴィア文字です。そしてそれを取り入れた、イタリア西部に住んでいたエトルリア人が使ったエトルリア文字という段階も経て、エトルリア文字が古代ラテン文字へとなりました。

 

いよいよイギリスへ

古代ラテン文字も二つのバリエーションを生み出しました。片方が、中央ヨーロッパと北欧に住んでいたゲルマン人のフサルク文字の起源となり、イギリスにも伝来しました。フサルク文字は、古代ラテン文字から来た古典ラテン文字に取って代わるようになりましたが、数文字が英語をより正確に表すために数世紀生き残りました。

 

フサルク文字


その中で「þ」"thorn"が一番興味深いかもしれません。「þ」という字は近代英語のthに相当する文字で、thornやthingの最初の一音のthを表しました。諸事情の為廃れ、「th」に取って代わりました。もともと英語の「P/p」と既に廃れたフサルク文字の「ƿ」 - "wynn"と言い、現在の「w」と読む - に似ていたし、印刷機にが発明された当時に手書きの「þ」が少し丸まった「Y/y」にも似るようになっており、ヨーロッパから輸入した印刷機には「þ」がなかったので「Y/y」が代わりに使われました。更に、同時に時代と共に変化しつつあったラテン文字では、「th」がギリシャの「θ」を書き表す為に使われ始めており、イギリスの所々でもこの表記法が活用され「þ」が使われなくなるにつれて「th」が定着しました。

 

だからたまにYe Olde Shoppe、Ye Olde Pie Shoppe、Ye Olde Saloonなどと書いてある看板が英語圏の店の前でが見られます。yeとはthe のことです。この用途は「Y/y」と「þ」の話にちなんで昔ながらの雰囲気を作るためなのです。

ちなみに、oldやshopに「e」がついていた時期(シェイクスピアの時代)もありました。

 

古英語から近代英語へ

500世紀ごろに古英語という独立した言語になりました。古英語ラテン文字(フサルク文字と古典ラテン文字が混ざったアルファベット)がおよそ20文字から成っていましたが、音素や文字の合流の為文字数が16文字に減らされました。それ以来、古英語、中英語、初期近代英語、近代英語という4つの時代にかけて、多くの文字がアルファベットに加わったり除かれたりし、かつてフサルク文字も含んだアルファベットが26字の純粋なラテン文字から成るアルファベットへと変化してきました。その歴史からいくつかの興味深い文字の話を紹介していきます。

 


日本でもandを意味する「&」という字は、実はアルファベットの文字の一つでした。アルファベットの最後の文字。Ampersandという呼び名ですが、andという字それ自体を意味するand per se andが転化したものです。比較的最近の19世紀後半までアルファベットの27番目の文字とされました。

 

U/V

それぞれ、現在のアルファベットの21番目の22番目の文字ですが、元々一つの文字でした。本来「V」だけが存在し、ラテン語で/u/と/w/を書きあらわすのに使われました。「U」という字は下部を丸めた「V」の異体字として使われるようになり、最初は区別されることなく両方とも同時に使われていました。「V」が語の最初の文字、「U」が語の最初の文字以外として使われるようになりました。16世紀ごろ、「V」と「U」がそれぞれ"video"という子音と"Augustus"という母音を書き表すようになって「U」が公式的にアルファベットに歓迎されました。

 

I/J

 

「I」と「J」の話は「V」と「U」の話と同じようなもので、「J」はもともと「I」の異体字でした。ローマ数字で「XXIIJ」のように数字が二つ以上の「I」で終わる場合は、最後の「I」が「J」と書く事になっていました。文字としては、どちらも区別なく"in"という母音も"year"という子音も表しました。

 

英語は、フランス語から「J」とそのフランスにおける発音を取り入れて、「J」が現在の"job"という音を表すようになりました。

 

W/ƿ 

「W」 という字は文字通り「V」のが二つ並んで一緒になった文字です。生み出された当時に、先述のように「U」と「V」が一緒で、現在のという音素も表しました。でも「V」の発音が変化していったので、「V」が/w/を表さなくなりました。その代わり、「V」が二つ並んだ「VV」と書かれるようになりました。古英語の初期にもこの表記が使われたがよく根付かず、その代わりにフサルク文字から「ƿ」という字(呼び名 "wynn")を適応させて利用し始めました。1066年のノルマン・コンクエスト(フランスのノルマンディーからイングランドへの征服)の影響でフランス語で使われていた「VV」が定着し、もとの言わば二重Vが「W」という形になりました。

 

Ȝ/ȝ 

ドイツ語のBachやNachtや、スコットランド英語のLochのという喉の奥の方で調音する音素が一時期英語にも存在し、かつて「ȝ」(呼び名 "yogh")で書き表されました。「ƿ」と同様に、フランスの学者たちがラテン文字ではないのでそれを認めず、すべての文章で「gh」で置き換えました。時間が経つと発音も変わり、「night」や「rough」などの「gh」が喉から発する粗い音か様々な音になりましたが、印刷機の発明で当時の綴り方のほとんどが定着しました。こうして英語でよく目にする「gh」が/f/、/p/、黙字といった幅広い発音を表すようになってきました。

 

他に存在した文字

文字

名称

発音

現代の表記

ð

eth

that

th

æ

ash

cat

a

œ

ethel

meet

e

ſ

long s

success

S

ond

ond

ond

that

that

that*

*関係代名詞のthat

例えば、The book that I read(私が読んだ本)

_____________________________________

お読みくださりありがとうございます。

フォローしてね!

九月末に、今通っている日本語教室と住んでいる地域の日本語教室が合同で行う外国人による日本語のスピーチ大会に参加する予定です。スピーチの原稿は下記です。

 

オーストラリアン・フットボール

今日はオーストラリアンフットボールをご紹介します。

オーストラリアンフットボールというのはオーストラリアの独自のフットボールの一種で、オーストラリアン・ルールズ・フットボールかオージー・ルールズとも言いますが、最も一般的なカジュアルな呼び名はただ「フッティー」です。

 

俺はメルボルン出身ですが、メルボルンがフッティーの発祥地とされており、AFLというフッティーのプロリーグの中心でもあります。毎年の九月末にMCGというスタジアムでおよそ10万人の観客が集まって決勝戦を見ます。俺がこのメルボルンで生まれて毎週末友達と一緒にフッティーをやって育ったので、フッティーは今でも懐かしくて思い入れの強いスポーツです。

ルール

では、まずは、オーストラリアン・フットボールってどういうスポーツですかね。まぁ、ラグビーやサッカー、バスケットボールにも似ている点がありますが、どちらかというと一番近いスポーツはアイランドの独自のゲーリックフットボールです。でも、何となくゲーリックフットボールに詳しい日本人は少ない気がしてしまいます。。。

 

基本的にはボールをゴールに蹴り込もうとするスポーツです。

 

基本的なルール:

  • フィールドは楕円形、ボールはラグビーボールのような形をしている(でも一回り小さい)
  • 1チーム18人で、フォワードとディフェンダーが6人ずつ、ミッドフィールダーが4人、ウイングが2人
  • 試合はフィールドの真ん中でバスケットボールのようなジャンプボールで始まる。ゴールが決まるとまたジャンプボールで再開する
  • 投げるのは反則で、ボールを蹴ったりハンドボール(片手でボールを持って、もう一方の手で打つ)したり、持って走ったりすることで進める。ボールを持って走る場合は15メートルおきにボールをバウンドさせなければならない。
  • 蹴られて空中15メートル以上を飛んだボールを地面につく前に捕ると、「マーク」と言ってフリーキックがもらえる。ただし、走り続けて進めることもできる。
  • ボールを持っている相手をラグビーのようにタックルできるが、膝より下、また肩より上のタックルは反則。相手をタックルして相手がタックルの前、またはタックルされている間にボールをパスしないと、フリーキックをもらう。
  • フィールドの両端に4本の柱が立てて、真ん中の2本の間にボールを蹴り込むとゴールで6点、真ん中の1本と外の一本の間に蹴る込むと「ビハインド」と言って1点をが加算される。

    下のスコアボードはGeelong対Port Adelaideの試合で両方のチームのゴールとビハインド、トータルスコアを示します。結構一方的な試合ですね!

フッティーの見所:

歴史

オーストラリアンフットボールは少なくとも1850年まで遡りますが起源が曖昧で諸説あります。その一つは、クリケット選手たちが冬にもスポーツをやりたがってフッティーを発明したという説です。でも、最有力なのは、サッカーやラグビーなどイギリスやヨーロッパの様々なスポーツから影響を受けてルールを交ぜたり換えたり新しい技術やスキルを試したりして時間とともにフッティーが現在のようなものに変遷してきたという説です。


先ほど言いましたが、オーストラリアンフットボールのプロリーグはAFL、オーストラリアン・フットボール・リーグです。しかし、AFLは元々ビクトリア州で行われていたVFL、ビクトリアン・フットボール・リーグでした。19世紀末までにビクトリア州、サウスオーストラリア州とウエスタンオーストラリア州でそれぞれのリーグが結成して、百年ぐらいそれぞれ別々に活動をしてきました。

 

そして、80年代にVFLが最も強くてお金持ちのリーグになっていて、主にラグビー好きのニューサウスウェールズ州とクイーンズランド州で関心を集まろうと、債務が重なってきたサウスメルボルン・スワンズ(South Melbourne Swans)というクラブのシドニーへの移動を皮切りとしてVFLが拡大し始めました。1987年にブリズベーン・ベアーズ(Brisbane Bears)とパースのウエスト・コースト・イーグルス(West Coast Eagles)が加わって、1990年VFLがAFLとなりました。

現在のAFLはオーストラリアの5州にかけて18チームから成ります。その10チームがビクトリア州にあることが由来を反映します。

日本にもある!

オーストラリアの独自のスポーツというものの、全世界からの選手がいて今シーズンはアイランド、アメリカ、カナダ、スーダン、ケニア、イギリス、南アフリカ、台湾、フィジーで生まれた選手も活躍しています。実は、日本にもオーストラリアンフットボールのリーグがあって、三年ごとにメルボルンで行われるAFLインターナショナルカップに日本代表チームが参加します!ジャパンサムライズと言います。

 

ハンドボールキック

 

_________________________________

 

僕の好きなチームはEssendon Bombersです。2000年にEssendonが優勝しました。

 

オーストラリアに行ったら、是非フッティーの試合を観に行ってください。

 

__________________________________

フォローしてね

英語のアルファベットはどこから来たのでしょうか。ゲルマン語派に属する英語そのものとは違い、英語のアルファベットはラテン語との関係があります。日本語で英語のアルファベットをローマ字とも言うことがそれにちなみますが、その前は?この記事でアルファベットの起源に迫ります。

 

 

英語のアルファベットは世界の唯一のアルファベットではないです。かつて使われて廃れてしまったアルファベットの他にも、ロシア語、ギリシャ語、韓国語などいろいろな言語現代それぞれのアルファベットで表記されています。ですが、ラテン文字は最も多くの国と言語で使われるようになっており、ラテンアルファベットかラテンアルファベットのもとにしたアルファベットが世界の表記体系の何と70%を占めています。例えば、ドイツ語のアルファベットには英語で使われている26文字に加えて ö ä ü ß の四つの文字も含んでいます。

 

古代中国の甲骨文字から発展してきた漢字と仮名に劣れず長い歴史を誇ります。実はアルファベットの由来は古代エジプトのヒエログリフにまで遡ることが出来るのです。紀元前3000年頃のことです!

古代エジプトのヒエログリフ

古代エジプトのヒエログリフはおよそ700文字から成る、漢字のように複雑な表記法です。そもそも書き表す概念を絵にした文字で、表意文字(意味を伝える文字)としても表音文字(発音を伝える文字)としても使われました。 例えば、「☉」という字は「太陽」を意味しますが、抽象的に「日」の意味として、または、その発音「レ」として使われることができました。

 

原シニア文字 アルファベットへの第一歩

紀元前1900年-紀元前1500年の年代に、原シニア文字という文字が使われたと推測されています。エジプトにの近くにあるイスラエル、ヨルダン、レバノン、シリヤに住んでいた民族(カナン人)がヒエログリフを取り入れ自分表記法に適応させました。カナン人がヒエログリフをおよそ30個選び、文字の呼び名をエジプト語から訳し、訳した呼び名の一音目を使い自分の言語を書き表しました。例えば、エジプト語の「nt」(水)が「mem」に訳され、/m/という音を表すようになりました。

 

ヒエログリフとは違って原子な文字は、本来の意味と関係なく発音だけを表す、たった30個の表音文字で成り立っていました。こうして、エジプトのヒエログリフがアルファベットになる第一歩を踏み出したのです。

フィニキア文字 まだアルファベットではない

紀元前1050年から紀元前150年の年代に使用されたフィニキア文字は、原シニア文字が数世紀にわたり四つの大事な面で変化てきた結果です。一つとしては、文字数が22個まで減らされたことです。もう一つは、右から左への横書きが決まったということです。ヒエログリフと原シニア文字は右から左へでも左から右へでも、横書きでも縦書きでも、決まりはなかったです。そして、ヒエログリフや原シニア文字では様々異体字のようなものが使われたのに対して、各文字には一つだけの形が定着しました。最後に、定着した文字が簡略され、現在のアルファベットのような簡単な形ができました。この最後の津二つの展開が非常に意義深いです。

 

フィニキア文字は時々非公式的に世界の初めてのアルファベットと呼ばれますが、母音を書き表さないので、厳密に言えばアルファベットではないです。フィニキア文字やアラビア文字のように子音だけを表す表記法をアブジャドと言うのです。

 

ギリシャ文字 画期的な文字体系

およそ紀元前8世紀ごろ、古代ギリシャがフィニキア文字を取り入れました。古代ギリシャには一連の独自の表記体系がかつてあり時代とともに発展してきましたが、ミケーネ文明の崩壊とともに廃れてしまいました。なので、フィニキア文字を使い始める時期には他の表記法はなかったと考えられています。

 

ギリシャ語をより正確に表すために、Φ (phi), Χ (chi) and Ψ (psi)という三つの文字がフィニキア文字に追加されました。その上、フィニキア文字を5つ(A、E、O、Y、I)使って母音を表そうという画期的な発想で世界の初めてのアルファベットが誕生しました。紀元前4世紀末までに現在でも使われている、子音17文字と母音7文字計24文字で成るアルファベットが標準化しました。

下の表には現在ギリシャ文字の24文字とその呼び名と発音がご覧になれます。大文字もお文字もありますが、シグマには小文字の形が二つあります(単語の終わりでςを用いることになっている)。

ギリシャ文字

呼び名

音価 

Αα

アルファ

a

Ββ

ベータ 

v

Γγ

ガンマ

gh

Δδ

デルタ

the

Εε

エプシロン

e

Ζζ

ゼータ

z

Ηη

イータ

i

Θθ

シータ

thing

Ιι

イオタ

i

Κκ

カッパ

k

Λλ

ラムダ

l

Μμ

ミュー

m

Νν

ニュー

n

Ξξ

クシー

ks

Οο

オミクロン

o

Ππ

パイ

p

Ρρ

ロー

r

Σσς

シグマ

s

Ττ

タウ

t

Υυ

ウプシロン

i

Φφ

ファイ

f

Χχ

カイ

kh/ch

Ψψ

プシー

ps

Ωω

オメガ

o

 

_____________________________________

お読みくださりありがとうございます。パート2は近日中に公開予定です!

フォローしてね

今年の春に中部地方のロードトリップをし、敦賀市や、福井の足羽川、高田城などいろいろな綺麗なところで満開の桜を楽しみました。最後の三日間を紹介するパート5では清津峡の息を呑むほどの美しさや群馬フラワーパークのカラフルなチューリップを見ました。

 

お花見旅行:パート5

 

 

Day 15 南魚沼・清津峡

南魚沼へ行く途中で越後川口SAに寄りました。駐車場の所々で雪が綺麗に積もっていました。サービスエリアを出て清津峡へ進み、緑の畑や野原が綺麗な真っ白になり雪で覆われた峰々がパソコンの壁紙のように背景に浮き出てきました。

 

子供のころ毎年スキーに行っていたオーストラリアのスキー場と金沢で過ごした9年前の冬を思い出し懐かしい眺めでした。旅行先としては夢のようなところ、しかしそんな地域に住んでいる人たちは大変でしょう。

 

 

1時弱に清津峡に着きました。清津峡への道路に並行して清津川がさらさらと流れ、着いたら近くから見られます。他の客がいなく入口で今日は貸し切り状態ですとスタッフに言われました。入場券はラーメン屋さんみたいに自販機で買うことになっており機械から出るチケットを改札口にいるスタッフに渡しスタッフから本当の入場券をもらったけど、やり方が分からなくてスタッフの人が一回オフィスから出て機械の使い方を教えてくれ、またオフィスに入り俺たちが切符を機械から取りスタッフに手渡すのを待って半券をくれたので、なんでチケットを買うのがこんなに複雑なんだろうと思いました。特に俺たちしかいなかったから直接スタッフから買う方が早いでしょう爆  笑

 

改札口から写真スポットで有名なパノラマステーションまでは750メートルぐらいだけど、他にも三つの見晴所がありそれぞれが違う眺めを見せてくれます。長く狭いトンネルは緑、赤、そして青の少し気味悪い明かりで光っており、第三見晴所にいろいろな丸い鏡が飾られています。

 

 

パノラマステーションでは見晴らしポイントの前に水が溜めてある水鏡にも、屋根と壁が一緒になった半円で金属の一面にも風景が映し出され、美しいです。水鏡の周りは水が浅いので先端まで平気に歩け、身を乗り出し清津峡の景観を眺められました。

 

 

俺たち以外に誰もいなく、ガラガラのトンネルにソーシャルディスタンスの為の黄色い線が引いてあり、それが50メートルぐらい続くのを見るのが面白かったです。誰か写真を撮ってもらえる人来ないかなと10分ぐらい待って、諦めてちょうど行こうと思ったらついに夫婦がトンネルから現れて写真を撮ってくれました。

 

3時ぐらいにイオンでお昼を食べて優しい夫婦が営んでいるべレビューニシウラというペンションに進みました。ここにも他の客がいなかったと思い、貸し切り状態でした。夜ご飯はバーンタイというタイ料理屋さんで食べました。レストランに入ると店主の女の人が無愛想で怖い感じだったけど食事は美味しかったです。

 

Day 16 前橋

この日は前橋に行きました。まずは赤城神社に行きました。着いたら結婚式が終わったところのようで写真家や家族が新婦新郎の写真を撮っていました。少し待ってから境内を見て回り写真を撮りました。

 

 

神社の外観は赤く、神社と晴天の空と木と湖の色の対比が鮮烈です。神社の周りを歩きながら大きい窓から中を見ようとしたけど、駄目だよと言わんばかりに俺が中の様子の写真を撮っている最中にスタッフが気づきカーテンを閉めてしまいました(笑)。

 

残念なことに赤城神社の象徴的な赤い橋は補修工事中で渡れなかったです。

長い旅行の後で疲れていて赤城山の頂上への6時間ぐらいの登りを見送ったけど、大沼の周りを散歩しました。一時間ぐらいかかりました。

 

 

赤城神社から前橋へ進み、ツルヤというめっちゃ大きいスーパーに寄りご飯を買いました。そしてホテルのチェックインを済ませたら、臨江閣に歩いて行きました。

 

 

ルナパークという児童遊園側から入って臨江閣はもう閉まっていたけど、綺麗な庭は見られました。

 

 

臨江閣を囲む柵沿いを歩けば正門で看板によると5時半からライトアップが行われるそうだけど、庭園に入ったか入らないかのうちに庭師2人に閉まっているから出てくださいと言われ、ライトアップに着いて聞いてみたところ「へ?どういうこと?」のような顔をしてライトアップをしていないですと言われました。「でも外に書いてありますよ」とか言えばよかったけどでイラっとして思いも寄らなかったのでその場を去りました。看板が古いのかな。庭園が本当にきれいだったから残念でした。でも、背が高いから外から写真が取れました。

 

 

雨がパラパラと降り始めたけど、ホテルの帰りに臨江閣に接している前橋公園を歩き湖やツルの像、綺麗に配置された花壇を見みました。

 

 

夜ご飯はカフェマエミというに小さいレストランで食べました。インド、ネパール、インドネシア、ベトナムなどの東南アジア料理がいっぱいありました!スタッフは前橋にある日本語学校に通いながらレストランを営んでいるようで、ビリヤニとナシゴレンを頼んで肉とご飯の比率低が良くないと思いながら、とても安くて量も不満はなかったです。

 

 

Day 17 帰ろう!

旅行の最後の日。前橋を出発する前に素晴らしいカネコ種苗ぐんまフラワーパークに行きました。

 

義理の両親はあしかがフラワーパークやひたち海浜公園によく行くけど俺はフラワーパークに行くのは初めてでした。パークは思ったより広く、綺麗な花のほかにも桜の道やバラ園もあります。奥には温室がありジャングルのような道を歩きトレリチアなどエキゾチックの花が見られます。

 

 

でも、一番きれいなのはカラフルなチューリップでした。パークの真ん中の入り口から奥にある温室まで並木道のような道があり、その両側にチューリップやパンジーがいろいろなパターンで配置されています。ツインタワーの展望台もあり、登るとパーク全体が見晴らせます。

 

 

すごく元気なおじいさんが話しかけてきたけど、パークは季節の花が咲き年中綺麗だから年間パスポートを持っており毎日パークを通って散歩をすると言っていました。

 

ぐんまフラワーパークは旅行の最後の行き先だったけど、帰りにイオンで買い物をしてびっくりドンキーで夜ご飯を食べました。いつもカレーハンバーグを食べるけど、今回は初めてネギポンおろしバーグステーキを食べておいしかったです!

 

 

最後の感想

今回の旅行はちょうどいい時期に行けていろいろな所で美しい桜を満喫してきました。日本は寺社が多く(合わせて約180000ヵ所もあると言われている)時々全部同じように見えてくるけど、桜祭りの時期ならどこに行っても素晴らしいと思います。一番いいところは選び難いんだけど、強いて言うなら富山市の雰囲気が良かったです。あとは、高田城址公園がすごく綺麗でした。食べ物は金沢のもろみ蔵の醤油ソフトと、新潟駅での天地豊作のハンバーグ定食と福井市の福蕎麦のまぐろたたき丼がすごくおいしかったです。

 

次の旅行はどこがいいかな。東北や九州がいいかな。高校と大学のころ冬に日本に来たし、妻と一緒に夏に2回日本を旅行したことがあるし、今回は初めて春の旅行をしたので、今度はできれば紅葉の旅行に行きたいです。

_____________________________________

パート1パート2パート3パート4では愛知県、岐阜県、福井県、石川県、富山県、新潟県等の様子をご紹介するので、是非お読みください。

フォローしてね!

 

中部地方のお花見ブログの続きです。

12~14日目は富山県の最後の観光地を行き、新潟県の上越市の新潟市へ進みました。

 

お花見旅行:パート4

 

Day 12 上越

 

ああ、上越。行ったことがなかったのに、金沢で留学したころと翌年新幹線で金沢に戻った時に上越線をよく見たり聞いたりしたので、まるで懐かしいような感じでずっと行きたいと思っていました。でも、期待に沿うのでしょうか…

 

上越に向かう前に午前中は富山ガラス工房と魚津埋没林博物館に行きました。

ガラス工房では製作体験コースに参加しガラスのイースターエッグを作りました。エッグは2層からなりそれぞれの色と模様を選びました。透明と不透明の色計40色もあり模様は6つぐらいありました。俺は、1層目は青と緑のスパイラルに金箔を交ぜ、2層目は水色の水玉模様にしました(色が付いていない部分は透明)。そして、先生の指導の下ガラスを窯で溶融し、テーブルの表面にガラスを転がしながら色を付け、手で(分厚い手袋を使った)エッグの形にしました。まぁ、実際にやっているのは先生だけど、道具を一緒に持たせてくれるので手伝っているように感じます 爆  笑 

一週間後ぐらいで(ちょうど旅行から帰ったすぐの日)届きました。

 

 

そして、次の行き先は魚津でした。1930年に魚津では、2000年前から体積した土砂や火山の灰などに埋もれた、当時樹齢500年以上の杉の木の根が発見されました。魚津埋没林博物館が実地で建ち、実物やドキュメンタリー、写真などが見られます。魚津は蜃気楼の名所として知られているそうで、施設は蜃気楼の博物館も兼ねています。

 

博物館は面白いけど、間違いなく最も迫力のあるのは水の中に保存されている最大の根です。端から端まで10メートルの根は長く絡まり合った木の根が海の怪獣の触手のように伸びていて気味悪かったです。目が離せなかったです。

 

 

博物館の後、越中SAに寄ったけど、あまりなかったからおにぎりを買って上越へ進み続けました(笑)。ホテルにチェックインして調べたら次の日に行く予定の高田城址公園では桜祭りのイルミネーションが行われていると分かり、すぐに行くことにしました。いつものように歩いて行きました。

 

公園に近づいてくると、まずは広い池(堀)、桜並木と赤い橋が見えてきました。そして池の向こう側へ道路を渡り始めると、遠方にある雪に覆われている山々が木々の後ろから現れてきました。

 

 

公園の中には噴水や神社や池や銅像もあります。暗くなり始めてイルミネーションが始まり、高田城方面へ行きました。お城が閉まるぎりぎりに間に合い、10分ぐらい中の様子が見られ,

お城からの眺めが見事でした。そして、屋台の方へ戻り何を食べようかを考えているうちに、出口へと決まった順路を進みながら桜を眺めたり写真を撮ったりしていた人込みに紛れて皆についていくしかなかったです(笑)。パラパラと降っている雨でまさに神秘的でした。この旅行の間行った公園の中ではこれが一番綺麗で忘れがたい公園です。紅葉も一回見に行きたいものです。

 

 

その日の唯一の不満は、まだ7時半だったのに開いているレストランはなかなか見つからなかったのです。ショック だからご飯をコンビニで買って帰りました。

 

Day 13 新潟

 

朝は直江津平和記念公園と展示館を見に行きました。太平洋戦争の間91ヵ所もの収容所が建設され多くの国の兵士の懲役と虐待に使用されましたが、跡地が平和公園建設か資料館になるのは直江津が初めてそうです。

 

収容されていたのはほぼオーストラリア人で(展示館によると60人)なのでオーストラリアに関する文献や写真、新聞の切り抜き、土産などが展示されており、捕虜が労働条件や生活環境についての文書と収容所で働いていて死刑に処された日本陸軍兵士の遺書も読めます。オーストラリア人としてすごく感動的でした。

 

 

客観的に言えば自分が努力や業績とは違い、人間は生まれた国、文化、宗教などは幸運、または不運にすぎないものです。自慢になんて当たらないと思ったりします。それなのに我々のアイデンティティの重要な一部を形成してしまいます。俺は、戦争が終わった数十年後生まれ現在日本に住んでいるのに、平和記念展示館を見た後オーストラリアと俺がオーストラリア人であることを大変誇りに思わずにはいられなかったです。

 

公園には、日本とオーストラリアを象徴する2体の天女が笛を吹いている「平和友好像」があります。それぞれの天女の頭に桜とユーカリが巻いています。

 

 

気分転換として次は春日山神社と春日山城址でした。神社の境内には犬、カエル、ウサギなど色々な可愛い動物の像が所々に配置されているけど、苔に覆われた岩、碑石や木の幹が同時に永平寺を思い出させました。

 

 

神社の右から道を辿っていくと春日山の頂上に着きました。30分ぐらいかかりました。本殿の跡の近くに井戸曲輪があり、廃城後400年も経っているのに水が満々と溜まっています。登ってきたのと違う道で下ると山腹の景色を見ながら二の丸跡と三の丸跡を通り、駐車場に辿り着くと春日山城で生まれ戦国時代に越後の国を支配した大名、上杉謙信公の銅像が立っています。

 

 

では、数日前俺がユーチューブのビデオで見た放棄されたトンネルに行こうとしたら間違ったトンネルに行っちゃったけど…

 

やっと見つかりました!間瀬隧道!パート2では間違えて山中トンネルに行きました。面白かったけど行きたかったトンネルではなかったです。間瀬隧道は新潟県岩室温泉から5キロほど離れた放棄されたトンネルです。

 

道路の端っこに寄せ、車から降り怖いなと迷いました。両側に植物が木や草藪が生い茂っていて、地面は泥まみれで柔らかく、所々に生えた草と落ちた枝や葉っぱを踏みながら進みました。5分ぐらい経つとトンネルが見えてきて、暗くて車に戻るかどうかもう一回迷ったけど歩き続けました。

 

 

トンネルの地面は完全に水に覆われていてより近くいかないと思ったら…え?出口が見えるんだ!150メートルも離れていなく、水がなかったら平気に通れそうなんです。

長く暗くて出口が見えない幽霊スポットのようなトンネルかと思っていたのに、トンネルに導く道の方がこわかったです。クリスブロードさんに嘘をつかれちった!(笑)

 

 

ポンシュ館に行く前に新潟駅の中にある天地豊作というレストランで食べました。ハンバーグ定食を食べたけど、さっぱりしていて旅行の一番おいしいものかなと思います。

 

 

残念なことにポンシュ館についたら飲み比べはもう修了でした。でも、優しい店員からコインを一枚もらいました。次の日戻ったら使えます!

 

Day 14 新潟

 

朝は旧斎藤家別邸に行きました。ホテルから30分ぐらい。

(ちなみに、booking.comで安く予約できたからANAクラウンプラザで止まってすごく良かったけど、スタッフがエレベーターのボタンを押してくれたりお互いが見えなくなるまで最敬礼してくれるのは気まずくない?)(笑)

 

別邸に着くときにタクシーが入り口に寄せて英語を喋っている外人のカップルが下り先に別邸に入っていきました。すごいなぁと思いました。旅行の間どこに行ってもタクシーで行くなら交通費だけかなり高くなるんじゃないですか?できるだけ歩いて行って運動や町の雰囲気を楽しむ方が好きなんだけど、そんな余裕もあったらいいでしょう。

 

別邸に入るととても優しいおじいさんのスタッフが話しかけてきてを案内して回りましょうと申し出てくれました。おじいさんは別邸と庭園はどの部屋から外を見るかによって景色が違うように設計されていると説明していて、各部屋に連れて行って座らせて眺めを見るように言っていました。とても別邸が好きそうでした爆  笑。でも本当にきれいでした。中の3カ所には孔雀などの色が鮮やかな板戸絵や、菊の柄が精巧に彫られた垂木や、微妙に歪んで見えるガラスの窓があり、庭園もきれいです。グーグル画像で検索すると紅葉の様子はただただ美しいです。

 

 

その後、縁結びの神様として有名な白山神社に行き新潟県の御朱印をもらいました。神社の真っ前の木が偏っていてもたれ合っているように見え門のようなものを形成しています。神社は白山公園の中に位置しているので、ゆっくりと(少し汚い(笑))池の周りを歩いたり枝垂桜やパゴダを見たりすることもできます。その時には咲いていなかったけど藤棚のある木橋もあります。

 

 

フレッシュネスバーガーで昼ご飯を食べてからポンシュ館に行きました。ポンシュ館は新潟名産の日本酒やお米などを売っているお店なんだけど、100種類以上の日本酒が飲み比べもできます。5百円を払うとコインを5枚とおちょこもらい、壁にびっしり並んでいる機械におちょこを載せコイン一枚を入れスイッチを押すと一杯分が出てきます。5枚もらうので5杯が試飲できるけど、更に飲みたいならもう一回5百円払ってもいいようです。今回一回だけ払ったけど、前日スタッフからもらった一枚もあったし、途中で5杯も飲めなかった女の人がコインを2枚くれたから、結局8杯も飲んでしまいました。あまりお酒を飲まない俺は、店を出て酔いが回っていきました(笑)。

 

 

ふらふらとホテルまで戻り少し休憩してからサイゼリヤで夜ご飯を食べました。

 

次の日は清津峡へ!

_____________________________________

近日中に投稿するパート5では南魚沼や前橋の観光をします。

パート1パート2パート3では名古屋、岐阜、敦賀、福井等の様子をご紹介するので、是非お読みください。

フォローしてね…

お花見旅行が続きます!

8~11日目は福井県の丸岡城と東尋坊を見に行き、金沢と富山へ進みました。

 

お花見旅行:パート3

 

Day 8 金沢

8日目は、久しぶりに金沢に行く予定の日で首を長くして待っていました。でも、まずは観光の終わっていない福井県からです。

 

最初に行ったのは福井市の北にある丸岡城でした。桜が見事でしたよ。真っ白。鯉池とその隣にあるお土産屋さんの周りには人が多かったけど、庭園をゆっくり歩けました。特に綺麗なのは桜に囲まれている忠魂碑と噴水でした。

 

丸岡城は大きくなく、石垣がお城自体とおよそ同じぐらいの高さです。中も狭く入る特にドアに頭をぶつけてしまったけど、ほとんどの城のように階段は急で狭いが綱にすがって登ることが出来ました。上からは、下の桜を見下ろすだけではなく、学校、公園、住宅、遠くにある山なども眺められます。

 

 

そして、東尋坊です。東尋坊は一千万年もにわたり火山岩が浸食を受けることにより形成された有名な海食崖です。

 

着いたらスタッフが熱心に走り回って客さんたちから駐車場代を集めていました(笑)。ほとんどの店は閉まっていたけどやっぱりアイスクリームの店は開いていました。

海側は風が強く波が一部で高さが25メートルでもある崖に砕けていたが、内側は岸壁が波が穏やかに寄せてくる小さな入り江も形成し、下まで下り小さい魚が泳いでいるのが見られました。

 

日本だと連想しないような風景で、全然違うのになんとなくオーストラリアのグレートオーシャンロードなどの地形や景色を思い出しました。でも、今までで30都道府県にわたり東尋坊、鳥取砂丘、清津峡、鳴門の渦潮といった多くの綺麗な所に行ったことがあると考えれてみれば、日本では千差万別な景色が見られますね。

 

 

とうとう金沢へ。

チェックインを済ませたら、金沢駅まで大通りを歩きました。片町、香林坊、行きつけだったすき家、一回バスで乗り越して降りたバス停…懐かしかったなぁ(笑)。

 

夜ご飯はパン食べ放題のパスタ屋さん。食べてから、金沢の象徴である兼六園・金沢城のライトアップ。本当に綺麗でしたが、残念なことに写真ではよく伝わらないです。もし、桜に白明かりの他にもピンク色の明かりも照らしたら対比を作り更に綺麗になるだろうと思います。例えば、庭園の一部では川は緑色の明かりにライトアップされており、周りの白との対比が違う雰囲気を作ります。それにしても、綺麗でした。

 

 

ちなみにホテルのアゴーラ金沢はすごくいいので、お勧めします。

 

Day 9 金沢

 

朝は、また兼六園と金沢城に戻り昼間の様子を見ました。前夜より人が少なく、家畜のように決まった順路を進むように追い立てられず、ゆっくりに敷地を歩いて楽しめました(笑)。ライトアップも見に行ってよかったと思うけど、昼間の自然な美の方がいいと思います。兼六園川の入り口と入口の前にある橋が特に美しかったです。

 

兼六園の近くに石浦神社と広崎稲荷神社もあります。一緒になっているけど、実は二つの別の神社だとグーグルマップで調べて見て初めて知りました。稲荷神社なので鳥居が並んでおりオレンジが多く、狭い敷地に屋台もありとてもカラフルでした。日本酒がテーブルに色々あってタダで飲み比べが出来ました。でも、あまり飲まないので、どれを飲んでも同じような味がしました(笑)。ここで石川県の御朱印をもらいました。

 

 

続いては、もろみ蔵の醤油ソフト。金沢港に接している小野町に位置している醤油蔵は昔は醤油蔵でした。今はギャラリー&カフェとして営業しているけど、間違いなくこの小さいカフェのウリは醤油ソフトです。留学を終えた後でも、もう3回も食べに来たことがあります。初めての時はホストファミリーが連れて行ってくれたので少し懐かしく偏っているかもしれないが、クリーミーで濃厚で本当に美味しいですよ。

 

 

ソフトクリームを楽しんだ後、近くの内灘海岸に行きました。鳥取砂丘みたいに砂浜がすごく広く、車でずっと海の近くまで入って行けます。残念なことに、浜辺は韓国から来たようなゴミ(韓国語が書いてあるボトルや籠)がいっぱい散りばめられているところもあってびっくりしました。一方で綺麗な貝殻もいっぱいありましたニコニコ

 

 

夜はもう一回ホテルから金沢駅まで歩き、駅にあるシッピングモールでゴーゴーカレーの金沢カレーを食べました。金沢カレーはルーが黒で味が濃くステンレスの更に盛り付けられフォークで食べるのが特徴で、ゴーゴーカレーは金沢カレーの火付け役を名乗るそうです。久しぶりに食べて普通のカレーに慣れてきたので思っていたよりちょっと濃かったが、さすがカレーが美味しかったです。

 

 

Day 10 富山

 

富山市に行く途中で高岡に寄りました。高岡は、この旅行で既に見た岐阜大仏と共に現代の日本三大仏の3尊目の候補としてよく挙げられることがある高岡大仏で有名です。

 

高岡に着き駐車場がなかなか見つからいので、スーパーで止まりすぐ近くにある高岡古城公園を通り大仏へ歩きました。前田利長やギリシャ神話の銅像に囲まれる広場で子供たちがサッカーをしており、高齢者の夫婦が日陰のベンチでリラックスしており、少し歩けば池の方には屋台が立っており、公園は広く賑わっていました。園内には白い桜もあるし、堀沿いに連なる桜並木が鮮やかなどピンクだし、とても綺麗でした。

 

 

公園の南にある大仏に向かって公園を出るところで、高岡城跡と高岡市護国神社も見られました。

 

大仏は交差点の角に位置しています。大仏から見ると正面にはレストランがあり、俺はお腹が空いてきたから大仏を見ながら食べている人たちを少し羨んでいました。仏教や大仏には全然詳しくないけど、高岡大仏は岐阜大仏や越前大仏とは見た目が違い、体が大きく頭の後ろには輪っかのようなものがあります。中がすごいです。回路に地獄絵などが展示されており、殿堂には焼け残った昔の仏像の頭部が祀られています。

 

 

昼ご飯は8番らーめん。石川県で創業し、北陸3県(福井県、石川県、富山県)に拡大している8番らーめんは金沢で留学していたころホストファミリーとよく食べたもので懐かしいです。麺が縮れたのが特徴です。

 

富山に着いたら富山城公園に行きました。お城はもう閉まっていたので入れなかったけど、屋台からベビーカステラを買って食べながら、オーストラリアにいる家族にビデオ電話をかけて庭園や松川を見せました。ちなみにキリスト教ではこの日は聖金曜日(イエスの死を記念する日)でオーストラリアでは祝日なので家族が皆実家で集まっていました。遊覧船が松川を走っており乗ろうと思ったけど一人2000円だからやめました(笑)。富山市役所には展望台があり、地上70メートルから富山の360度のパノラマ見渡せます。

 

夜ご飯はカプリチョーザでパスタをピザを食べました。

 

Day 11 富山

 

朝は日枝神社に行きました。着いたら、初宮参りの行事が行われているところで、大勢の人が集まっていました。行事が終わったら、皆がぞろぞろ出てきて写真を撮ったり新車をお坊さんにお祓いしてもらったりしました。境内の奥に麄香神社(あらかじんじゃ)という小さい神社もあり、十二支のかわいい像が参道に並んでおり神社の中が綺麗です。

 

 

次は富山ガラス美術館です。美術館に行く途中でグランドプラザに出くわしました。市場のような場所でオレンジやようかん、フルーツジュースを売っている屋台が6つぐらいあり、ポルシェとBMWのピカピカの新車も展示されていました。話しかけられないように早く美術館に進みました (笑)

富山ガラス美術館は行ったけどミュージアムショップで当時開催中の展覧会のブックレットに目を通し思ったほど面白くなく値段にしては見る価値がないと思って見送りました。でも、一階の玄関には森のコースターという木製玩具というか、興味深い機械が設置されていました。金属の球をスタートの場所に載せると、球がエレベーターのような部分の中に転がり込み、ジェットコースターのように上へ連れて行かれゴールまで精巧な機械のうねる道を転がっていくのが見られる、魅了的な構造です。

 

 

その後、富山城に戻りました。中には博物館があり天守閣からお城の周りも見渡せます。長い歴史に経て、焼失や地震による被害を受けたり廃藩置県により廃城になったり、数回破壊され再建されたことがあるそうです。

 

 

昼食は駅内のPomme'sでオムライスを食べました。ちなみに、桜もありAMAZING TOYAMAの白いフレームもあり、富山駅はいい写真スポットです。

 

 

夜は環水公園に歩いて行きました。すごいところです。富岩運河を取り巻く公園でロンドンのタワーブリッジのような素敵な橋が運河を渡り、夜は赤く光っている、遠くから見ると毛糸のようなものが、両側のタワーの展望台の間が吊るしてありました。橋を渡り向こう側のウォーターフロントでは多くの人が夜桜を楽しんでいました。スタバも過密でした!公園の南の方に青や赤や白、いろいろな色に照らされる大規模なウォーターフィーチャーもありました。本当に綺麗な公園です!

 

 

コンビニによってご飯を買い、新潟県に行く準備をしにホテルに帰りました。

_____________________________________

近日中に投稿するパート4では新潟へ行きます。

パート1パート2では名古屋、岐阜、敦賀、福井等の様子をご紹介するので、是非お読みください。

フォローしてね

今年(2021年)3月から4月にかけて中部地方を旅行し、17日間にわたって7県も旅しました。

名古屋と岐阜市で過ごした最初の三日間の後、福井県へ進み、敦賀市や福井市の観光をしました。その様子を今日のパート2でご紹介します。

 

お花見旅行:パート2

 

Day 4 敦賀市

4日目の目的地は敦賀市。賤ケ岳SAに寄ってから最初の行き先は気比の松原という白砂青松でした。浜辺をゆったりと散歩した後、木漏れ日を浴びながら松原の中の道を敦賀市街へ歩いて行きました。

観光が早くできるようにスーパーで昼ご飯をたべることにしましたが、食べている間に道路の向こう側に噴水やカラフルな花がある記念公園のように見える小さい広場に気づきました。白銀広場という場所でした。桜も一本咲いており、天気がいい日には良い待ち合わせ場所になるしょう。でも、敦賀市の見せ場は気比神社です。


気比神社は市街のど真ん中にあります。広場から気比神社へ導く大通りの両側にも多くの「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」という漫画のキャラクターの銅像が並んでいます。合わせて28体もあります。実は作家の松本零士は福岡県出身なんだけど、なぜ松本さんの漫画を選んだかというと、宇宙の場面が「科学都市」という敦賀市のイメージに合うからだそうです。かつて日本の有数の港であった敦賀港の開港の百周年を記念し、モニュメントを設置したそうで、敦賀駅も有名だったのでモニュメントは駅から港まで続くのです。

 

とにかく、気比神社ですね。立派な鳥居と橋が桜と相まって入り口がとても写真写りがよかったです。境内も綺麗だし、福井県の御朱印をここでもらうことにしました。

その後は気比の松原まで歩いて戻り、ホテルでチェックインしに行き、少し休みました。夜はレストランがほぼ早く閉まりそうで、結局餃子の王将に行ったが、人がすごかったです。20分待ちでウエイターもちょっとおかしかったです(笑) まあ、しょうがないですね。

 

Day 5 敦賀

敦賀での二日目です。あいにく雨が一日中止まなかったが、観光には水を差さなかったです。朝は赤レンガ倉庫に行きました。そうですよ、敦賀にもありますよ。横浜より大きくて印象的ではないんですけど、現在では気取らない敦賀にも、活気に溢れている横浜港の赤レンガ倉庫のような場所があるというのは、日本の歴史における敦賀市の位置を象徴しているでしょう。中には、敦賀市の最盛期に基づいた模型鉄道とリカちゃんの展示が見られます。模型鉄道は下にトンネルがあり、そこに入り込めば、立ち上がってジオラマの中から写真が撮れる丸い穴が開いています。またレストランもありました。

その後、近くの金崎宮に歩いて行きました。入口がすぐあって誰もいなかったから閉鎖されている駐車場を通って近道をしようとしたけど、立入禁止ゾーンだったから厳しく叱られ、回り道をしなきゃならなかったです。えー

石段の参道に桜提灯が吊るしてあり、雨の日にも濡れている神社の暗い色合いと桜の柔らかい白の対比が綺麗でした。

数百メートル歩くと、神社の後ろの金ヶ崎城跡も見られます。城跡だからほとんど残っていませんが、奥の方に敷地の一番高い場所の月見御殿跡から港が見下ろせます。昔の様子を想像すれば、月見はとても綺麗だっただろうなと思います。

 

城跡の後、紙わらべ資料館という、小さいけど想像力のあり興味深い美術館に行きました。紙わらべというのは和紙で作られる人形で、紙わらべ資料館では和紙人形の作品が展示されています。人形だけではなく、それぞれの作品の場面(木や動物)もほぼ紙で作られていそうです。ワンちゃんと遊んでいる子供や修理中の自転車屋さんなど、様々な可愛く細かい場面がありますが、資料館に入るとすぐ左側に大きいお花見シーンが見事です。季節に合うように展示されている作品が変わり、秋に来たら綺麗な紅葉シーンが見られるのではないかと思います。

午後は雨が降り続けたことだし、ブックオフなどのんびりと少しショッピングをしました。

 

夜ご飯は妻がずっと行きたい!と言っていたヨーロッパ軒。福井県のグルメと言うと、何が思い浮かぶでしょうか。カツ丼でしょう!(笑)ヨーロッパ軒は福井県にしかなく、ソースカツ丼の元祖としてしられています。ソースカツ丼は20世紀初期ドイツにいた日本人がドイツのシュニッツェルにウスターソースをかけて丼に載せるという発想を思い付いたら生み出されたそうです。俺は豚カツ、チキンカツ、メンチカツの3種類が付いてくるミック丼にしました。正直言って美味しかったけど、少し甘くてしつこく、ソースがご飯にも染みてしまったからご飯が食べきれなかったです。個人的には、丼ではなくカツとご飯が別々の定食の形式で食べる方がおいしいかなと思います。と言っても、カツ丼好きなら是非食べてみてください!

 

Day 6 福井

この日を前からずっと楽しみにしていました。福井市だけではなく、幽霊スポットである怖いトンネルにも行く日でした。ユーチューバー、クリス・ブロードさんが一昨年山形県から鹿児島県へ自転車で縦断するシリーズ、Journey Across Japan、で廃棄されている暗く怖いトンネルに行ったのですが、それを見て俺も絶対に行きたいと思いました。調べたら、この旅行で特に回り道せずに行けそうでした。

 

行ったのは南越前にある一連のトンネルです。福井市方面なら一番最後のがなんと全長1200メートルぐらいです。山中トンネルです。現在でも使われているのですが、一台の車でぎりぎり通れるぐらい狭く、電気が全然ついていなかったり、雨のしずくが天井からポツリポツリと落ちたり、こんな気味が悪いトンネルをまだ使っているんだったら、見に来たもう一本の廃棄されているトンネルはめっちゃ怖いだろうなと思いました。山中トンネルを出て振り返ると、ついにありました!車を止めてトンネルを視察しに行きました。

暗くて怖いなと思ったら、え?行き止まりだ!50メートルも続かない。看板によるとこれはスイッチバックという、坂を登ったり下ったりするときに電車が反対方向へと転換するための短いトンネルだそうです。じゃ、違うんだ。これじゃない。がっくりと車に乗って進みました。

 

トンネル少し離れ電波がまた入った後、ビデオをもう一回見たら思っていたトンネルは新潟県にありました!行けるかな...

 

次は清大寺にある越前大仏。

途中で勝山恐竜渓谷道の駅に寄り恐竜と写真を撮りました!

清大寺についたら、敷地のとてつもない広さに驚きました。ほぼ閉まっている様々なお店が並んでいる傾らかな参道を歩き、巨大な門を通り、清大寺自体が見えてきました。なんとなく廃墟となった高級なホテルに見えました。

中には高さ17メートルの仏像が両側に立像を2体ずつ従えます。階段に登って二階から大仏を下にいる人々と見比べると一段と大きく見えます。柱の精巧な模様も綺麗です。

同じ敷地に五重塔もあります。内陣に仏像が見られ、五階からその周辺が見渡せます。

 

清大寺を出て大通りに戻ったらすぐ、左側になんかすごいものが。文字通りに二度見しました!お城だけど、石垣には猛烈な龍が彫り込まれています。かっこいい。こういうデザインは初めて見ました。でも、なんとなく馴染みのある形だなと思い、調べたら姫路城天守に似せたとウィキペディアに書いてあり、確かに姫路城に見えます。

 

これは勝山城博物館。1992年に開館し、武具や島合戦図屏風、元の勝山城(16世紀)の築城に使用された道具など様々なコレクションが展示されており、天守閣の展望台から清大寺も見られます。

その後、福井市に行きホテルにチェックインし、近くの足羽川沿いの桜並木を散策しました。少し曇っていたが白い桜が綺麗でした。暗くなるにつれて大勢の人が集まり、提灯が光り、連なる屋台からいい匂いがしてきました。ふくい桜まつり。

夜ご飯は福蕎麦。まぐろたたき丼とざるそばセットを頼みました、まぐろたたき丼は旅行の一番おいしい物の一つでした。まぐろとねぎがたっぷり卵黄も上に載せてあり、混ぜたらうまい!

 

Day 7 福井

快晴でまずはもう一回足羽川に行き桜を楽しみました。ビデオ電話でオーストラリアにいるお姉ちゃんに見せました。

 

そして、福井県立恐竜博物館。福井県フクイラプトル、フクイサウルス、フクイヴェナトルなど数種類の恐竜が県内で発掘され、日本の恐竜王国と名乗っています。福井駅前にも動いたり吠えたりする恐竜もいます!

 

多くの子供のように小学校のころ恐竜に夢中だった俺にとって恐竜博物館に行くのは楽しみで、一番好きだったパラサウロロフスを見たら懐かしかったです。恐竜の他にも地震の発生や、宝石の発掘、動物と人間の現在までの進化などについても勉強になりました。

永平寺にも行くつもりだったが、入寺が4時半までなので早く博物館を出て、近くのコンビニでランチを買い、35分ぐらい離れている永平寺に急ぎました。

 

4時ぐらいに着きました。残念ながらコロナウイルス感染状況のもと外拝観だけとなっており、中には行けませんでしたが、(下の写真で現在位置の隣の)通用門を通り、外写真を撮り、右側にある唐門から出ることができました。木、石、像にもはびこっている苔が広島の神秘的な三滝寺の神秘的な森を思い出させました。中に入れたらよかったな。

夜はイタリアンが食べたいと思ってレストランまで歩いて行ったけど着いたら満員で駄目だったから、神戸クックワールドビュッフェに行きました。そもそも安かったが男性の料金のほうが高いと分かるとショック。男ばかりにもっと払わないといけないなんて男女差別なのではないですか。男性だからと言って女性より食べる量が多いとは限らないですよ。結局妻の方がいっぱい食べたし…

 

帰るときにお腹がパンパンでした。

_____________________________________

近日中に投稿するパート3では金沢や富山の様子をご紹介します。

フォローしてね