私は東京にいた36歳の時に、
1泊2日のバスツアーに参加した。
男女30人以上のイベントで、
内容としてはプールで遊んだり、
宴会場や風呂場でも遊んだりと、
大学生のノリかと思えるような、
なかなかのハジけ具合いなので、
最初は抵抗があったのだが、
後半はそれなりに楽しめた。
で、出発してから、
バスの中で男性司会者が、
「今日は楽しんだものの勝ち。
だから思いっきり楽しみましょう」
みたいなことを言った時、
私の頭の中では、
「え!?楽しむって何を?」
という言葉が渦巻いていた。
もちろん自分の意思で、
このイベントに参加しており、
楽しむ以外にないのだろうが、
それまでは人生を楽しむよりも、
頑張って生きることの方に、
全力を注いできたから、
余計に頭を悩ませたのである。
24歳の時に心に決めたのは、
「強くなる」ことで、
それは落ち込みやすい自分の、
精神的に弱い部分を変えること、
逆境に心折れないこと、
自分や人に負けないことだった。
だから誰かと何かをする際は、
特に同性に限定されるが、
自分の弱さを見せないため、
弱音を吐かないようにしたり、
強気な態度で接したりと、
自分を作っていたところがある。
今では馬鹿だなと思えることも、
当時は「強くなる」とは、
そういう風に解釈しており、
相手に隙を見せないことで、
自分を保っていたのである。
もちろん私が本当に、
それができていたとは言い難く、
ヤバイことがあった時は、
ごにょごにょと誤魔化したり、
逃げたりもしたのも事実である。
とにかく周囲は敵だらけで、
だから人と戦うというのが、
当時の私の在り方だったので、
人と楽しむという言葉は、
すんなり頭には入ってこなかった。
ただ私がそれまでの間、
何も楽しめていないかと言うと、
必ずしもそういう訳ではなく、
1人で遊ぶことはできていた。
例えば足裏マッサージで働いた時、
店舗は銀座にあったので、
ブランド店や百貨店を、
ウインドウショッピングしたり、
街を散策して人を観察したりと、
銀座の空気を味わっていたが、
特にはまったのが食べ歩きである。
一流と言われる飲食店が、
銀座に集まっていたので、
一時期は仕事休憩の昼食には、
必ずどこかで食事していた。
ランチタイムだと割と安くなり、
一流店でも5000円くらいで、
食べることができたので、
一生に一度だったら、
惜しくはないと足を運んでいた。
しばらく銀座で食べていたが、
ある日大崎にあった「六厘舎」の、
つけ麺の美味しさに衝撃を受け、
そこからつけ麺にはまり、
丁度ブームがきていたので、
魚介系豚骨味は当然ながら、
味噌や蟹、鶏白湯なども食べたし、
2011年の大つけ麺にも行っている。
まぁ今では高血圧のため、
そこまで食べようとは思わないが、
当時の私は1軒のラーメン屋で、
つけ麺を食べた後に、
行列がなくなったことと、
なかなか行けないことが重なり、
店を出た10分後には、
特製ラーメンを食べたこともある。
それから、つけ麺以外にも、
和食、寿司、蕎麦屋、おでん屋、
ケーキ屋、フレンチ、イタリアン、
カフェ、パン屋、珈琲屋などと、
1人で食べ歩きを続け、
たぶん4年間で500店舗ほど、
回ったのではないだろうか。
確か世田谷のカフェでパンケーキ、
新店の珈琲屋と有名パン屋、
その後カレー屋では昼食をとり、
午後からパン屋とケーキ屋の後、
老舗純喫茶で休憩をしてから、
最後ラーメン屋で締めた時には、
さすがに気持ち悪くなった。
限度を知らないというか、
せっかく遠出するのだからと、
つい効率化を求めてしまう、
この私の独特な感性は、
人と馴染めないだろうなと、
自分でもつくづく感じる一方で、
「何のために生きているのか」
私にとってそれは、
「美味しいものを食べるため」
というくらいに食べ歩きが、
本当に楽しかったのである。
きっと、ひきこもりの人は、
私と同じように人が怖い、
社会が怖いというものだろう。
でも、いざ外に出てみると、
意外と楽しいことがあることに、
気づくのではないだろうか。
私みたいに食べ歩きをしたり、
お笑いやライブに参加したり、
1人で楽しむこともできるはず。
誰かと会話をしても、
嫌な気分になることがあるし、
仕事はもちろんのこと、
遊びでさえも疲れることもある。
そういう時には、
1人遊びでリフレッシュをして、
また仕事などを頑張るというのを、
地道に繰り返していけば、
現実生活を送れるようになる。
それと私は絶望を抱きながらも、
いつかこれを乗り越えられる、
そんな楽観的な部分も、
もっていたのかもしれない。
それは母が「ケセラセラ」という、
その言葉をモットーとしたように、
持ち前の明るさというか、
その楽観的な言動から、
影響を受けたのではないだろうか。
これらのことからわかるように、
私はずっとストイックに、
取り組んできたわけではない。
私がひきこもった24歳や、
彼女が死んだ29、30歳頃は、
いつも絶望感を抱き、
死を身近に感じていたから、
そこから抜け出すために、
自分を追い込んでいたが、
特にその時期を過ぎてからは、
ただボ~として休んだり、
現実逃避をしたりして、
自分の精神を保ってきた。
そういう息抜きがないと、
長くは続けていけない気がする。
ひきこもっている間は、
確かに人に傷つけられず、
好きなことができることで、
その分楽に感じるだろうが、
きっと何も生まれることはない。
やはり外に出ることの方が、
しんどいことも増えるが、
楽しいことも増えるということを、
知るといいのかもしれない。
あと東京にいる頃は、
よくお笑いイベントに行っており、
自然と笑えるようになっていたが、
なんとか外に出るようになった、
24,5歳の時期は、
特に人と会話するのが怖くて、
ただ笑うことだけでも、
力がいるものだと感じていた。
だから例えば散髪に行く時には、
いつも無表情で座っていたから、
これは印象が良くないだろうと感じ、
今日は笑うぞと決めて臨み、
できるだけ笑顔を出していた。
ただ家に帰った後はしんどくて、
なぜここまでして生きるのか、
この先良いことはあるのだろうか、
と度々自問自答してこともある。
今でも私は妻と子ども以外は、
誰とも純粋に笑うことができず、
人生を楽しむということが、
できているとは言い難い。
おそらくこの先も、
人間嫌いである私だから、
大して変わらないような気がする。
ただ心配症で後向きで悲観的で、
そして絶望感を整理できず、
誰かの些細な言動で、
いちいち傷ついていた私が、
食べ歩きにはまったり、
なにかのイベントに参加したり、
それなりに1人では、
楽しめるようになったのだから、
きっと他の人もできることと思う。
最初の一歩を踏み出すことは、
いや半歩でさえも、
本当に難しいものと感じるが、
それが大きな結果をもたらしてくれる。