私がひきこもった時期は、
約4ヶ月だったので、
その定義からは外れますが、
ただバイトしてからも、
誰とも馴染めないという、
孤立をずっと感じていたので、
精神的にはきつかったし、
またいつひきこもるかも、
わからないような状態でした。
そう言えば私が、
ひきこもった96年頃は、
「ひきこもり」という言葉も、
聞いたことはなかったし、
「うつ病」という言葉も、
存在はしていたのでしょうが、
私は知らなかったですね。
確か私が心理を学んだ98年頃に、
「うつ病は風邪と同じ」とか、
言われるようになった気がします。
それまでは、この私の状態は、
一体何なのかと頭を悩ませ、
先を考えると真っ暗というか、
その得体の知れない不安が、
本当にすごく怖かったです。
変な話になりますが、
私が特に情報を得ることなく、
何も知らなかったからこそ、
頭でっかちになることなく、
すぐに行動できたのかな、
という気もしています。
どちらにしても24歳では、
「強くなる」というのを、
念頭に置きながら、
とにかく戦ってきました。
まぁ戦うというのは、
少し大袈裟かもしれませんが、
当時の私は現実から逃げず、
答えを見つけるためには、
誰かに助けを求めたり、
逆にユーモアとかで、
乗り切ったりするよりも、
ひたすら真面目に、
必死になって頑張ることで、
自分を保っていたのです。
あと現実生活の中で答えを出す、
いわゆる地に足をつけることも、
テーマとしてありました。
そのためには外に出て、
仕事をするということと、
その先に親元を離れ、
自立をするということに、
私は重きを置きました。
彼女が病死した翌年の、
30歳で上京して、
しばらくは姉にお世話になり、
心が落ち着いてきた頃に、
足裏マッサージの仕事をして、
1人暮らしを始めましたが、
結局40歳で定職に就き、
46歳で結婚したことで、
自立できたかなと思っています。
50歳でやっと子どもができ、
その成長していく姿を見て、
親としての責任とともに、
喜びを感じる一方で、
約1ヶ月前の出来事では、
かなり動揺してしまいました。
それは夕食時に子どもが、
いきなり白目をむいて、
痙攣を起こしたのです。
初めて見る光景に私は、
パニックになってしまい、
ただ呆然と見ていました。
すでに18時半を過ぎていたので、
近くの国立病院に電話を掛け、
時間外で対応してもらい、
どうも痙攣を起こしたのは、
急に高熱が出たためで、
それを落ち着かせるために、
解熱剤を入れてもらいました。
医師の診断も無事に終わり、
家に戻ると熱も下がり、
安心して寝床についたのですが、
夜中にまた痙攣を起こしたのです。
4時前くらいだったのですが、
すぐに病院に電話をして、
診察してもらったにも関わらず、
詳しいことがわからずに、
一応様子を見ることになりました。
で薬をもらうため移動したら、
3回目の痙攣が起こったんです。
また戻って医師に診てもらい、
どうも熱性けいれんではなく、
川崎病かもしれないということで、
そのまま入院となりました。
ぐったりしている子どもを見て、
これはただ事ではないな、
もう危険な状況かもしれない、
とかなり焦ってきて、
苦しくなったのを覚えています。
通常の熱性けいれんだと、
1回目に解熱剤を使えば、
熱が下がって落ち着くけれど、
私の子どもの場合は、
一日に、それも短時間で、
3回も出てしまったことで、
何か重い病気ではないかと、
かなり心配になったのです。
それ以降も熱は下がらず、
時には40度を超えることもあり、
もうダメなのだろうかと、
最悪なことを考えていましたが、
担当医師が子どもの右足に、
赤く腫れ上がった箇所を見て、
抗生剤を使うようにしてから、
無事に熱が下がっていき、
入院3日目には平熱になり、
徐々に食欲も出てくれば、
4日目には元気になりました。
結局約1週間で退院して、
子どもの笑顔を見た時は、
本当に嬉しかったですね。
今回のは川崎病ではなく、
単に右足首の切り傷から、
ばい菌が入ってしまい、
高熱が出たということで、
特に後遺症が残ることもなく、
今では家を走り回っています。
ところで最初に痙攣した時、
私は動揺してしまいましたが、
一方で妻の方はと言うと、
子どもの痙攣の時間を計り、
病院に電話した際には、
その痙攣の時間と、
子どもの様子を伝えていました。
ずっと私は助かって欲しいと、
ただ願うだけでしたが、
妻は病院でも落ち着いて、
医師とやり取りをしていて、
その冷静さには驚きましたね。
それに入院することが決まると、
妻が付き添うことになったので、
すぐに必要なものを準備して、
入院手続きのやり取りにも、
きちんと対応していたので、
母の力って凄いと感心しました。
私は「強くなる」と決めて、
実行してきたつもりでしたが、
しかし、いざとなると、
不安に押しつぶされそうになり、
その自分の脆さを知ったし、
女性の強さには敵わないと、
改めて実感した出来事でした。
まぁ強さとは優しさで、
どんな状況に置かれても、
相手に配慮できる人が、
本当に強いのだと知ったし、
白血病で亡くなった彼女も、
ギリギリの苦しい状態でさえ、
世話をする母親に対し、
「もう大丈夫だから休んで」
と声を掛けていた姿から、
本当に優しく強い人だなと、
感じたのを思い出しました。
些細なことでストレスを覚え、
すぐに感情を乱す私は、
まだまだ弱いのでしょうね。
ところで子どもの話に戻ると、
あれから高熱を出すこともなく、
いつも元気に保育園に通い、
家でもよく喋るし笑っています。
もちろん嬉しい反面、
子どもが夜中に起きるのは常で、
最近は寝る時間も遅くなり、
正直ずっと一緒にいると、
疲れ果てるようになりました。
子どもができたことで、
私の居場所というものが、
やっと見つかった一方で、
自分の時間がもてなくなり、
体も悲鳴を上げてきているので、
辛いなと感じることもあります。
体力的にはしんどいですが、
今は子どもの満面の笑顔と、
「お父さん」と呼ばれるのを、
楽しみの一つにしながら、
頑張っていこうと思います。
そして最後になりますが、
2011年からブログを始めて、
かれこれ13年が過ぎました。
自分の素直な思いを、
ただ吐き出したものが、
正直ここまで続くとは、
考えてもいませんでした。
いつも色々なことを感じて、
特に不満やストレスですが、
その発散場所としては、
ブログは好都合でしたね。
それに、ここで書くのは、
自分を見つめ直すための、
リハビリも兼ねていましたが、
子どもが生まれてからは、
向き合うのも減っています。
そして、それ以上に、
私がどういう人間であるのか、
それがやっと理解できたし、
受け入れることができたので、
ここで一度完結したいと思います。
最近は自分なりに、
まだ、ひきこもっている人や、
外に出て頑張っている人に向けて、
メッセージを伝えたつもりですが、
自己満足的な言葉に過ぎない、
そう感じられたかもしれません。
確かに私という人間は、
まだ悲観的なところがあるし、
些細なことで落ち込んだり、
人のせいにしたりするという、
精神的な弱さもあります。
それに人前で話すという行為、
いや普通に会話することでさえも、
まだ緊張することがあるし、
家族以外と笑い合うことはできず、
それは私の人間嫌いが、
影響しているのも自覚しています。
どうしても人を恨んだり、
憎んだり嫉妬したりすることが、
未だになくならないですね。
私の人間嫌いというのは、
強い自己愛があるせいですが、
そんな私でも結婚できたし、
子どもが生まれことで、
幸せを味わっているのですから、
きっとまだ途中の人でも、
同じように自分なりの幸せを、
掴むことができるのだと思います。
だから、どんな形であれ、
不安になってもグッと我慢をして、
地道に前向きに取り組んでいけば、
答えを手にするのではないでしょうか。
まぁ目新しいものではなく、
誰もが知っているような話でしたが、
これが最後の締めになります。
それでは私のつたない文章を、
今まで読んでいただき、
本当に有り難うございました(^^)/