山あり谷あり備忘録 -4ページ目

山あり谷あり備忘録

2011年お正月。いきなり卵巣癌の告知を受け、日々、手作繰り状態で癌と闘うzeroの、のほほーん日記です。少しでも同じ病で悩む方のお力になれましたら幸いです。。。

順調な最後の治療を終え、無事退院したものの、中身の濃い日々を
過ごしたせいか、気持ちはどうしても病院方面に向いてしまいました。
今でもことあるごとに病院がある界隈で集会をしてしまう私たち(笑)。

最後の患者友達の治療が終わって、彼女の白血球の数値が安定した頃合を
見計らって、病院の近くのフレンチレストランで治療終了ランチをしたりもしました。
ランチの前後にはもちろん病棟にも行き、隅から隅まで歩き渡って
看護師さんたちや大好きなスタッフの方々、入院中の方々と語り合ってきました♪

こんな風に、つらいばかりだったはずの治療の日々を、笑いに満ちた日々に
変えてくれた病院に入院できて良かった。
厳しいことも言い合いつつ、ともに泣いたり笑ったり出来る友に出会えて良かった。
何より、自分自身が治療を乗り切ることが出来て良かった...


この病院やO先生を紹介してくれた幼馴染。

毎回の送り迎えを買って出てくれた上の兄。

育児に仕事に忙しいのに、会社帰りに立ち寄ってくれた下の兄のお嫁ちゃん。

多くの心配をかけてしまった身内のみなさん。

あえてお見舞いを遠慮してメールや電話で励まし続けてくれた友人たち。

いつもブログやチャットで背中を押してくれた友人たち。

縁あって入院中に知り合い、ご自身の退院後も毎回私のためにお見舞いに
きて下った方々。

明るく優しい笑顔で、かげに日向に、支え続けて下さった看護師さんや
病院スタッフのみなさま。

病気を見つけ、病気の正体から対処法などなど、多くの時間と労力を
さいて私に教えてくださり、最後まで誠心誠意治療をして下さったO先生。

同じ時期に同じ病気で、ともに闘ったみんな。


関わってくださった全ての方々に、心から感謝しています...☆
生かされた命をどう扱っていくか、私の真価が問われるのはこれからです。

相変わらず、体調も不良だったり悩みも尽きず、泣き言ばかり言っている
私ですが、少しずつ少しずつ、進歩していけたらいいなぁ...と。(*^-^*)


本退院をしてまもなく、私の主治医が他の病院に異動になるかもしれない
という情報が飛び込んできました。

以下、私がメインとして書いているブログでアメンバー限定記事として
書かせていただきましたものを抜粋、一部修正してアップさせていただきますね。
その頃の一番の気持ちがこもっていると思われますので。。。

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ことの始まりは、患者仲間からの電話。
私の主治医であるO先生に異動の噂があると。
つい前日まで入院していて、何も聞いていなかった私には寝耳に水
のことであり、ただただ気持ちが焦るばかりになってしまいました。


私がお世話になっている病院の婦人科には、常勤5名、非常勤3名ほどの
お医者さまがいらっしゃいます。
婦人科長は医学雑誌などにも時折登場され、予約を取るのに数ヶ月の名医
と言われる方なのです。
私の主治医は、常勤の中では一番若手。
若手と言いましても、38歳。色々な病院で経験を積まれて、こちらの
病院にいらした方です。
でも、若手だからか、担当患者の腫瘍が悪性だということになると、
たいてい自動的に婦人科長の患者さんになっていく、というケースが多いように
感じたのですが、そんな中で私は、数少ない、そのままその若手医師の
患者としてとどまった一人でした(笑)。

結果...これでよかったと思っています。
どの先生よりも慎重で、過保護で(笑)、熱心で、親しみやすい(これ大事)。
節目節目には、お忙しい科長のお時間を調整し、科長診察も入れてくださったり。
やはり、名医と呼ばれる方の診察は興味がありますものねぇ(笑)。

私の両親はすでに他界しておりますし、配偶者もおりませんので、
私は告知も、その後の説明も、一人で受けるしかありませんでした。
そのことを理解した先生は、私に、病気について勉強することを求められました。
敵を知らなければ、聞きたいこともわからないでしょ?、と。
それからは、外来診察のたびに、様々な質問に答えてくださいました。
抗がん剤治療が必須だという結果になったときには、約1時間半もかけて、
マンツーマンの抗がん剤講座を開いて下さいました(笑)。

入院前に、セカンドオピニオンはどうすべきか質問した際にも、
「少しでも受けたいという気持ちがあるなら、絶対に聞いてきた方がいい。
ぼくもそのほうがいいから」とおっしゃって、一緒に受ける病院を選んで
下さったりもしました。
後から、医療関係者である知人に言われたのですが、こんな時代に
なってもまだセカンドオピニオンを聞きにいくことを快く思わない医師は
とても多いのだと。。。


退院後診察の日、異動の件について、ずばっとお聞きしました。
そのときの先生は...誰から聞いたのか、と驚かれました。

なぜ異動するのか。どこへ異動するのか。
これらの質問に関しては、あまり答えていただけないことも多いと
聞いていたのですが、私が真剣にお聞きしたところ、答えて下さいました。

先生が異動する病院からは、何度も異動の打診を受けていたそうなのですが、
ずっとお断りをしていたと。
でも、そちらの病院で、立て続けに若手の医師が辞めてしまうという事態になり、
今回ばかりは、医局の指示もあり、お受けすることになったと。

異動される病院は、とても規模が大きい病院のようでですが、正直、今の病院の
方が、最先端の研究を続けられる環境であり、ステップアップにつながるのではと
思われるのですが、、、若手医師の宿命なのでしょうか。。。

このような経緯がありますので、当然ながら、患者さんを連れて行くということは
全くないようで、私の今後についても、私の希望を聞いたうえで、後任の担当医を
決めていくということになりそうです。


本当に信頼していました。
最初に行った病院がここで良かった。
友達にすすめていただいた先生がO先生で良かった。
O先生に執刀・治療をしていただけて良かった。

どれだけ感謝の言葉を重ねても足りないくらい感謝してます。
お医者さんにとっては、それは仕事であり当然のことなのでしょうが、
患者にとっては、一つの命を大切に扱って下さったことへの深い感謝の気持ち、
それしかないのです。

感謝の気持ちを言葉だけでなく行動であらわすためには、この先きちんと
検診を受け、目安といわれる5年を無事に迎え、もう病院には戻らない身体を
つくっていくしかないのですよね。
お医者さまとは、いったん、サヨナラしなくては、ね(笑)。

あと数回の診察を受けたら、O先生との、主治医と患者という関係は終わり。
新しい先生との関係を築いていかなければなりません。
手術も主だった治療も終わってしまった今、どれだけの関係を築けるか
わかりませんが、これからの5年を、その先生にしっかりとケアして
いただくためにも、マジメな患者にならなくちゃ

心機一転。がんばろー

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というような内容の記事だったのですが。。。

O先生にお世話になった人は患者仲間では私を含めて3人。
そのうちお二人は婦人科長の患者さんですが、病棟ではO先生がフォローを
されてました。
当初は私一人で何かお礼を...と思っていたのですが、お二方より、出来れば
一緒に...との申し出がありましたので、三人で頭を寄せ合ってお礼の品を
考えました。お世話になったお礼、そして、異動される先生にとって、この病院での
思い出になりそうなものを...と。
その結果、デジタルフォトフレームに決定。
直接の患者である私が秋葉原のヨドバシへ行き、店員さんに相談にのって
いただいて購入して来ました。
後日、外来で待ち合わせをし、O先生にお渡ししました。
そしてさらに後日、私は私で、TAKANOでお菓子やジャムを購入して、O先生に
お渡ししました。奥様とお子様に...と添えて(笑)。

あ、そうだ。
友人の一人は、O先生の異動騒ぎで私があまりにも混乱してしまったので、
もしや...と思っていたそうです。
私がO先生のことを好きになってしまったのか、と(笑)。
そういうことじゃあ、ないんです(大笑)。ぷぷぷ。
本当に主治医として信頼していたというだけなのです。
そもそも、それどころじゃありませんでしたし、ね。。。(-。-;)

そして、O先生が去られた後の主治医は...
私はO先生から後任の主治医について希望を聞かれましたときに、点滴の名手
(失礼!笑)であるベテランのM先生をとお願いをしたはずなのですが、、、
どうしたわけか、予約殺到の科長先生が主治医になってました...。
良かれと思ってして下さったことなのかもしれませんが、先が思いやられました。

一年たった今、このときの不安は的中。
3ヶ月ごとの予約をとるのに毎回必死です!
予約をとったにも関わらず、2~3時間待ちは当たり前。
多忙な先生だと思うとあまり突っ込んだ質問ははばかられ、、、
過保護でお話好きな(笑)O先生に慣れてしまっていたので、最初の頃はいつも
もやもや感が残っていました。
もう最近は、診察時間が短いのは順調な証拠と思うことにしています(笑)。

まだまだ経過は観察していかなくてはいけません。
少なくともあと4年は。。。
それまで婦人科長先生にはお元気でいていただかなくては!(笑)

今回の抗がん剤投与日は、8月9日。
白血球の正常値は、3400~9000
好中球の正常値は、1600~6400

         白血球   好中球
8月 8日    3990     2270
8月15日    2600     1030 ・・・投与7日後
8月23日    3360     1420 ・・・投与15日後(外来)

ちなみに前回は、
         白血球   好中球
7月19日    3680     2470
7月25日    2070      525 ・・・投与6日後
7月27日    5880     3840 ・・・投与8日後
8月 2日    4180     2020 ・・・投与14日後(外来)

でした。
治療中最低値を出した前回と違い今回はいたって順調な数値。
このあともなかなか正常値には入らなかったのですが、それでも
特に心配される数値ではなかったので優秀優秀。^^
いつもは退院前の三日間打っていただいていた白血球の数値を
あげる効果のある筋肉注射「グラン」も今回は2回だけ。
それさえも打たなくてもいいかもしれないと考えられたのですが
もう入院がないということを考慮して、念のための2回。

無事退院の予定も立ち、あとは、お世話になった先生方、看護師さん方、
そして、看護助手のKさんといつも綺麗に清掃をして下さったYさんに
ご挨拶...

私が病院に持ち込んだご挨拶の品は、小さいミルフィーユのお菓子。
小分けになっていて、日持ちがして、多くの人に好まれそうなもの、と
考えて、ナースステーションに30個入りを3箱、KさんとYさんには
それぞれ6個入りを個別に用意しました。

病院によっては、お菓子の差し入れさえも受け入れていただけない病院も
あるようですね。特に国立の病院はそうなのかな??
私が入院していた病院は中堅どころの私立でしたので、最初こそ遠慮を
されましたが、私がどうしてもと念を押しましたところ、ありがたく、と
受けとっていただけました。

担当の先生は毎週木曜日は他の病院で診療をされていましたので、後日。
(その後、一騒動あったのですが...^^;)


本退院の日をいつも通りの11日目の木曜日にするか、一日早い水曜日に
するか。少し考えて、いつも通りの木曜日にしました。
大荷物のために迎えに来てくれる兄の都合もあったのですが、二回目の
治療からずっと同じ入院日程だった患者友達のお一人が水曜日に5回目の
治療終わりで退院されるので、彼女を見送ってからにしようと。^^
見送られるのは、、、ちょっと淋しいでしょう?


2011年8月18日。木曜日。

ささっと退院していくつもりだったのですが、退院日当日の朝、すでに
治療を終えていた患者友達がわざわざ私の本退院を見届けに来てくれました。
たまたま同じ時期に同じ病院に入院し、同じ手術・治療を受け、ともに闘った。
優しくハグしてくれるあたたかい腕に、涙が出そうになりました。

私の兄は病院内までは来てくれないので、大荷物の一部を友達に持って
いただきながら、病棟を後にしました。。。

病院の入口に設置してある関東大震災をもくぐりぬけたケヤキの大看板に
そっと触れてお礼の気持ちを。。。