山あり谷あり備忘録 -18ページ目

山あり谷あり備忘録

2011年お正月。いきなり卵巣癌の告知を受け、日々、手作繰り状態で癌と闘うzeroの、のほほーん日記です。少しでも同じ病で悩む方のお力になれましたら幸いです。。。

手術翌日は、ひたすら一日中点滴な日となりました。


朝おきて、看護師さんが吸飲みにお水をいれて持ってきて

飲ませて下さいました。

熱が出ていたせいか、のどが痛いほどにカラカラに乾いて

いて、手術後に始めて口にしたお水がとても美味しかった。


その後、ベッドの上でハミガキ!

どうするんだろうと思っていたら、ちゃんと、口の中でぶくぶく

したお水を受けとめるグッズがあったのですね(笑)。


自力では全く起き上がれないので、ベッドの上半分を起き

上がらせてハミガキし、その後、看護師さんに介助していただき

ながら蒸しタオルで清拭。

ホッとひとごこちついてから、、、点滴タイムスタート。


1本2時間近くかかる点滴を4、5本。抗生剤を2本。。。

寝てても起きてても点滴されている状態でした。


痛みは...相変わらず強く、この後しばらくは、約8時間おきに

座薬をいただいてました。


午前中が終わろうとしていた頃、同じ部屋にいらっしゃった

お二方の荷物がまとめられ始めて、そのまま、一般の病室へ

お引っ越しされてしまいました。

お二方ともしっかり歩かれて...


私と同じ日に手術を受けられた方々は、

2泊3日で子宮頸がんの円錐切除術を受けられた30歳くらいの方、

卵巣のう腫で片方の卵巣を摘出された私と同世代の方、

子宮頸がん0期にも関わらず将来的なことを考え、子宮と両卵巣を

摘出された70歳の奥様、でした。


円錐切除術を受けられた方は、お部屋移動もせずに、そのまま

リカバリ室で過ごされ手術翌日に退院されました。

食事制限も私ほどはなく、手術自体も30分~1時間くらいで終わり

術後の回復もとても良くお元気でした。


卵巣のう腫で卵巣を摘出された方は、開腹手術ということもあり、

私と同様の色々な制限がありました。

卵巣のう腫は、腫瘍が小さいうちに発見されれば、開腹手術では

なく、お腹に数ヶ所穴をあける腹腔鏡手術という方法での手術も

あるようですね。


子宮頸がんで子宮と卵巣を摘出された奥様は...担当の先生との

面白いやりとりがあったのですが、、、取り様によっては乱暴に

思えてしまうかも、なので割愛します(笑)。

ただ、この病気だから術式はこう、というものは当てはまらないのだ

ということ。同じ病気であっても、人それぞれ状態も違えば、将来的

なことも違う。その人にあった術式があり、それを提案していくのが

お医者様なのだなぁと、一つお勉強になりました(笑)。


お一人は退院され、お二人はお部屋移動。

私はどうなる??と不安に思っていたところ、「○○さんは、まだ

動けないから無理。今日明日様子をみましょうね」と、おっしゃった

はずなのに......


夕方頃、看護師さんの何気ない一言「試しに立ってみますか?」に

素直に頷いた自分が。。。(笑)

ベッドのリモコンで上半身を起こし、身体をひねって足を床におろし、

お腹を押さえながら...何とか立つことが出来ました。

「じゃあ歩いてみますか?」と言われてまた素直に一歩二歩歩いて

みたところ、「歩けますね!じゃあお部屋移動しましょう!」と。。。

ぼーっと立ってる私の横で、次々に私の荷物がまとめられていき、

あっという間にお引っ越し。


点滴を下げているポールにしがみつくように、フラッフラになりながら

歩いてついた先は、ナースステーションから一番遠いお部屋。

しかも、手動じゃないとベッドが起き上がらない!

自力で起き上がることが出来ない私にはあまりにも酷な環境でした。


その日の夜は、すぐそこにお水があるのに飲めず、熱のせいで

浮かぶ汗をぬぐいたくてもタオルに手が届かず。

熱と乾燥から唇がガサガサになって痛くてもリップも濡れず。。。

そんなことでナースコールしちゃダメだろうと思って我慢していた

のですが、後から看護師さんに「ナースコールして下さい~!」と

言われてしまいました。。。


もう、、、何も出来ない自分が情けなくて、流れる涙をとめることも

できずに、ただ、真っ暗な天井をながめた夜でした。



夕方頃に手術が終わり、一度は目覚めたものの、また眠って

しまい、再び気づいたときには、リカバリ室のベッドの上でした。


これからしばらくは、時間の感覚などが飛んでしまい、この時が

果たして夜なのか朝なのか、、、全くわかっていませんでした。

覚えていることは、ぼーっとした中で点滴や採血をされ、その結果が

あまり良くなったようで、その後数度、採血、輸血、採血、輸血を

繰り返していたなぁということくらい、かな?

そのうち、病室の電気が消えたので、「あぁ、消灯か」という程度の

ぼんやりとした感覚。。。


それから、暗い病室の中で、痛いのか熱いのかわからない

感覚が徐々に強くなっていきました。

あまりの痛さに座薬を入れていただいて、しばらくしてようやく眠れたかと

思ったら、看護師さんがいらして「お熱と血圧計りますね」と起こされて...

この夜は、一時間おきくらいにこの作業が繰り返されました。

そのうち、「お熱が高いので」と氷枕が用意されました。


朝になるまでの間に繰り返し行われる、熱や血圧、酸素の量、キズや

尿管、リンパのドレーンのチェック...うつらうつらとした意識の中でも、

手術は先生が行ってくれるけど、この世に繋ぎとめられた生命を支えて

くれているのは「看護師」という素晴しい職業の方々なのだと実感しました。



手術当日。

この日、手術を受けるのは四名。

私の手術は、三番目で11時頃開始予定。


10時頃には立ち会ってもらう兄二人も到着。

平日なので、お休みをとってもらってしまいました。

...兄の顔を直視できませんでした。


以前、下の兄に言われた言葉が頭の中でリフレイン。。。


私はどうしてこう心配や迷惑ばかりかけるのだろう。

面倒な妹を持ってしまったと思っているんだろうな。

いっそ、麻酔で寝たなら、ずっとそのまま起きなきゃいい。


手術直前だと言うのに、マイナスな考えばかりが

浮かんでは消え浮かんでは消え。

こんな思いにとりつかれるとは、自分でもビックリです。

自分はこんなに弱かったのかと。。。

そんなことを考えているとき、直視できなかった兄が

「とりあえず行って来い。待ってるから」

と声をかけてくれました。

身体から力が抜けていくようでしたが、手術室までは

自分で歩いていかなきゃいけない。

涙が出ないように、膝かっくんしないように、いろいろと

引き締めながら、看護師さんと歩いていきました。


手術室に入ると、術着を着た先生方や手術室の看護師

さんたちが待っていました。


「来たね。何も心配しないで」とO先生。


診察台に乗り、心電図のシールなどをはってもらい、

硬膜外麻酔をかけるために横向きに。


「寒くないですか?体勢は辛くないですか?」と、耳元に

私を気づかって下さる看護師さんの優しい声。


全く痛くはないけど、強く背中を押される感じ。

そういえば、硬膜外麻酔のチューブを入れる前に

痛み止めの注射をするっておっしゃってたっけ、などと

考える余裕がこの時点ではあったようでした(笑)。


......それ以降あたりからの記憶はほとんどありません。



目が覚めて最初に目に入ったものは、兄達の顔でした。

ガラガラと動く感じ。

「お部屋に戻ってきましたよ」という声。

そして兄達の顔。

二人が笑ってる...と思ったと思うのですが、そのあと

寝ちゃったみたいで、また記憶がないんです。。。


本格的に目が覚めた頃には兄達は帰宅してました(笑)。

後日、手術は何時間かかったのかを兄に聞いてみたところ、

5時間半以上だよ、と。

3時間半程度だろうと言われていたのに。。。


目が覚めた私の身体からは、たくさんの管が出てました。

リンパも取ったので、お腹の両側からリンパのドレーン。

尿管、背中からは硬膜外麻酔の管、鼻からは酸素の管?、

腕からは点滴...酸素マスクもしてたはずなのですが、

無意識にとってしまっていたようで、、、鼻になったのかな?


このとき、術後の痛みがあったのかなかったのか、今と

なっては、それすらも覚えていないのです。

硬膜外麻酔が効いていたと思うので、それほどの痛みは

感じてなかったのかもしれません。

確実に言えるのは、この後からは、痛みと熱との闘いで

あったと...。