最低8000万。菅家さんの刑事補償と国家賠償請求 | 昭和56年生まれが株FXとか原油とかに投資するブログ

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気づけばもう40歳になろうとしている
20歳のころから大して変わっていないのに

刑事補償法では「1日当たり1,000円以上12,500円以下の範囲内で、裁判所が定める額 (1項)」とある。
菅家さんは17年半ぶりとあるので、事情を考えて最大で考えると年収456万円で、約8000万円。
刑務所に収監されるという精神的苦痛、そして親御さんも心労でお亡くなりになっていることを考えたら非常に安い。人の人生はやはりお金に変えられるものではないのだと改めて思う。

刑事補償は最低のこととして、これから菅家さんや弁護士の方々は国と戦わなければならない。
国家賠償がどこまで行われるのかも注目だけど、かなり時間がかかるんだろうなぁ。

なにより周りで支えてくれた人たちあってのこの結末。菅家さんの人柄が感じられる。
そもそも警察は1年間の尾行を行ったうえでの逮捕らしい。足利事件は幼児に対する性犯罪であることから、その生活を1年間追えば、もしくは周りに聞き込めば、正しいかどうかわからなかったのかなぁと思う。
結果、無罪(になるであろう)になったので今更いってもしょうがないけど、未だに当時の警察や検察が非を認めない意味がわからない。

DNAだけではなく、自白、状況証拠があるからということらしいけど、それがプライドなのかなぁ。
20年前と今では捜査手法もだいぶ違うだろう。おそらくひどかったはずだ。
自白してなければ有罪にはならなかったのか?まぁ自白も相当しめつけられてなので脅迫に近いものがあったと思いますが。。

失われた17年半、時効によって闇に消えた犯人、遺族にも菅家さんにもいやな思いしか残らない結末。
菅家さんにはこれからの人生をぜひ楽しんでほしい。
そして「当時の」警察・検察は謝罪と今の警察・検察は真犯人を見つけ出してほしい。




足利事件 「自分の人生を返してもらいたい」菅家さん会見
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090604-00000028-maip-soci

17年半ぶりの自由をかみしめた。足利事件で無期懲役が確定して服役していた菅家(すがや)利和さん(62)が釈放された。「本当にうれしい」。4日夕、支援者に見守られて会見に臨み笑顔を見せたが、警察と検察、そして裁判所には激しい怒りをぶつけた。「自分の人生を返してもらいたい」【森禎行、神足俊輔】

 「本当にうれしく思います。私は無実で犯人ではありません」。午後5時前、千葉市内のホテル。会見場に姿を見せた菅家さんは、カメラのフラッシュを浴びながら、緊張した面持ちで切り出した。

 グレーのチェック柄のジャケットに黒のズボン姿。短く刈り込んだ頭髪に、白いものが目立つ。警察に任意同行を求められたのは91年12月1日。勤務していたことのある保育園の同僚の結婚式に呼ばれていた日だった。

 17年半の思いを問われると、表情が険しくなった。「犯人にされて、ずっと我慢してきた。当時の刑事、検察官に謝ってほしい」。そう何度も繰り返して強調した。「『間違った』では済みません。絶対に許せません。自分の人生を返してもらいたい」。裁判官にも「謝ってもらいたい」という。

 支援者から花束を受け取ると、笑顔になった。千葉刑務所(千葉市)の刑務官から「今日釈放する」と伝えられた時は「もう少し先だと思っていたので、びっくりした」。午後、弁護団の佐藤博史弁護士と支援団体代表の西巻糸子さん(59)の2人が迎えに来た。握手を交わすと、3人とも涙で声にならなかった。

 「いっぱい店があるな」。外に出て街並みが目に入った時、そう感じた。ホテルに着いて飲んだコーヒーは「(刑務所内とは)一味も二味も違った」。所内でのど自慢大会に出場したこともある。「カラオケを歌い、すしを食べたい」とうれしそうに笑った。

 故郷の足利市に帰って兄弟に会い、事件で殺害された女児にも「おじさんは犯人ではないよ」と伝えたいという。逮捕後、父親はショックで亡くなり、2年前の4月には母も亡くした。「自分は犯人ではないので安心してほしい」。一日も早く墓前に報告するつもりだ。

 この日午後、千葉刑務所前には十数人の支援者が集まり「おめでとう」と書かれた横断幕を掲げた。菅家さんが乗ったワンボックスカーが出てくると歓声があがった。菅家さんは、後部座席の窓から右手を伸ばし、その手を大きく振りながら、笑顔で何度も「ありがとうございます」と繰り返した。