“香る”程度の前世で | いまここで

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スクールを通した変化や自分の道を歩む今の話、感じることや学ぶこと。

「わたしの前世は紫式部だったんです」

「僕の前世はルイ16世なんだよ」

「自分の過去はアレクサンダー大王で、一度は世界を手にしたのだ」

 

などと人前で言おうものなら、すぐに「中二病」認定されるのがオチだ。今は。残念ながら。

 

※中二病…中学2年生頃の思春期に見られる、背伸びしがちな言動。転じて、思春期にありがちな、自己顕示欲と劣等感を交錯させ、自己愛に満ちた空想や嗜好、非現実的な設定や世界観などを揶揄したネットスラング。

 

それが、今の一般的な反応だと思っているんだけれど、「なぜ、前世を信じられないのか、信じてもらえないのか」を大真面目に考察してみた。

 

きっかけは、世界的に活躍するピアニスト・〇〇さんの動画を、YouTubeで見まくっていた時のことだ。

 

 

動画のコメント欄には「〇〇さんは、モーツァルトの生まれ変わりだ」「リストの生まれ変わりだ」と、しょっちゅう書かれていた。

 

ということは、ピアニストの〇〇さんに限っては、「〇〇さんの前世はモーツァルトでした」「リストでした」と、超有名人の生まれ変わりだと言われても、みんな納得できるらしい。

 

中には「ピアニストとしてより高みを目指すために、困難を背負って今に生まれているのかもしれない」とまで書いている人もいた。

 

ピアニストの〇〇さんにおいては、輪廻転生も魂磨きも、周囲の人々に「あるのでは」と思わせる世界観ができていた。

 

なぜだろう。

 

と考えるまでもなく、たぶん、〇〇さんが世界的に活躍しているから、が、大きな根拠だと思う。

 

「あれだけの才能のある人は、きっと天才の生まれ変わりだ」

 

「幾多の困難を乗り越えても、さらに前進し続けているのは、何か使命を持っているのだ」

 

と、○○さんが生きているだけで、周りがそういった共通認識を持つ。

 

生き方そのものに説得力があるのだ。

 

一方で、「自分の前世が~」と自分から発信して言った場合、なぜ信用してもらえないのか。

 

たとえば、会社の上司が「俺は八代将軍・吉宗だ」と言ったとしても、部下に全く信用されていなかったり、仕事で手を抜いていたりしたら「嘘でしょ」となってしまう。

 

たとえ上司が本当に「吉宗」であっても。

 

これが「俺の前世はイタリアの農民だったのだ」「アメリカの移民で新聞社で働いていたのだ」などと言ったら、「そうかもね~」と信じてもらえるかもしれない。

 

そんなイチ労働者のことは知らないから、「そうかもしれない」としか言えないし、なんとなく、イチ労働者である今とリンクする部分があるから。

 

ということは、

  1. その人の生き方と前世がリンクしないと、周囲が思っているとき
  2. 前世が有名人であればあるほど、その「すごさ」を皆が知っている一方で、「すごさ」をその人に感じないとき

に、前世を信じてもらえない事案が発生するのではないだろうか。

 

つまりは、前世やらなんやらのスピリチュアルなことが、説得力を持つかどうかは、今のところ他者の判断や評価に委ねられている。

 

たぶん、「魂を持っている」というスピリチュアルでの考え方と、世間一般でいう前世への考え方が乖離していることも、原因なのかもしれないけれど。

 

まぁとにかく、他者からの承認がないと、すごい肩書きの前世であればあるほど、信じてもらえないようだ。

 

もう一つ、最近よく、コメントやTwitterで見る「言い方」。

 

誰か有名な人が結婚すると、「前世でどれだけの徳を積んだら、××さん(のような素敵な人)と結婚できるの」という言い方が散見される。

 

(結婚に限らず、奇跡的な遭遇や、奇跡としか思えない出来事にも使われている)

 

これは、無意識下で「過去の行いが現世につながる」という観念が広がっているように思える。

 

そんで、この場合も、「前世で良い行いをした人は、今もとても良い(羨ましい)生き方をしている」と見なしている。

 

この二つから共通するのは、前世を信じない理由には

 

前世=今世

 

と、等しくイコールと捉えるからだろう。

 

わたしは前世が今に及ぼす影響とか、前世と今世の関わりとか、魂を持つこととか、そもそも自分のことだってよくわかっていないけれども、一つだけ、わかる。

 

前世と今の自分は違う。そして、前世があるかもしれない(自分では認識できないけど)、ということ。

 

 

アメリカ・ヴァージニア大学でも研究されていたけれども、この研究は前世があったかもしれない、という前提に立っているだけだ。前世が今の自分と等しくイコールではない。

 

だからもし仮に、自分には何らかの前世があると認識し、使命をおびていているとしても、


今のところ「前世があるかも」「魂を磨きながら前に進むのが人生らしい」というものの見方が世間一般に最も伝わりやすいのは、


ピアニストの○○さんのように「今の生き方から匂わせる」ことかもしれない。香る程度でないと、臭く感じられるから。