地獄の引越し物語り:旧宅→実家編 | シャア専用ZERO-CUBE戦記

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従軍5年の中堅となったシャア軍曹は曹長に昇進しました!
還暦夫婦が建てた企画住宅ゼロキューブのブログ。自らシャア専用と名付けた赤い外壁の住まいに関する出来事について(たま〜に)ガンダムテイストを交えながら書き記す、親族への報告と忘備録を兼ねた全記録。

 
テーマのカテゴリをどこに(後悔?トラブル?)入れようか迷うくらい大変だった引越し当日の事を忘れんうちに書いておく。
 
 
実家→新居への引越しの様子は↓
 
 
11月8日に建築請負契約が終わってスケジュールが決り、12月3日の解体開始となった。当然、前日までに退去せねばならない。12月2日は日曜日であった。お母さんは休み。平日休みの私は当然仕事であったので「引越しヨロピコ~」と丸投げしていた。
 
当家の近く数百メートルの所に私の実家があり、建て替え中の約半年は実家の厄介になる。一階の客間に転がり込み、荷物はベランダ下や裏庭の倉庫、近所で借りた車庫等に分散する予定であった。
 
もちろんスケジュールが決まってからはボチボチ自宅の片づけを始め不用品を処分していった。子供たちが残していった布団や家具や雑貨などが主で、自分ちに持って帰らないことから見て不用品であったのだ。じゃあ捨てとけや。
 
一人でも運べるものはどんどん運んでいる。
既にミニの助手席を外し、積載量を増やしていたのだ。工具箱などの重量物はここに入れて運んだ。そして純正のルーフラックがある。おしゃれで付けている人が多いがこれが中々に実用的で積載力はことのほか大きい。
車体くらいある金属ラックなどは背面に乗せて運んでいった。
 
 
私も今回は思い切って書籍をほぼ処分した。
元々読書家で国産SFを中心に軍事小説やUFOなどオカルト関係が多いが家には本がおよそ3000冊以上あった。しかし老眼になってからはほとんど本を読まなくなった。目が疲れるのだ。
反対によく見るようになったのがマンガだ。若いころは面白いと思えず読むことなかったマンガも最近の物は構成力に優れ壮大なSFや秀逸な物語が数多くある。マンガだけ持って行くことにして文字の書籍はほとんど全てを処分した。
唯一尊敬する人物である筒井康隆先生の書籍は捨てられなかったが、他の1000冊以上のハードブックは売るのも二束三文なので寄付。文庫本や汚れた本は全て廃品回収に出したのだ。
 
↓は11月最後の廃品回収日の朝。
 
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文庫本など破棄した本や雑誌。本は3列ほどある。袋は服。廃品回収業者はたまげたことだろう。実際の書籍はこの倍あった。
 
廃品回収だけではない。11月は週に一回の燃えるゴミの日ごとに、毎度毎度45L袋で10袋ほどの燃えるゴミを出していた。
荒ゴミ、燃えないゴミ等、市の回収には助けられたが、サイズが決まっているし、回収にない品目もある。
 
大型ごみ(家具など)や電化製品(ブラウン管TV×2台、エアコン)等。これは有料で引き取ってくれるが、困ったのが古タイヤ。
 
私は車とバイクが趣味で全ての整備を自分で行う。当然のように車やバイクのタイヤもタイヤレバーを使って自分で履き替える。すると古タイヤが溜まっていく。時々付き合いのある業者さんにたのんで処分してもらってたが、引越し前に数えると競 技をやっていた時の予備に置いていたものなど計10本の古タイヤがあった。
 
サイクルワールドなどタイヤを販売している店に持ち込むと1本数百円の手数料で引き取ってくれるらしいが、馬鹿らしい。今回も今務めている自動車学校で引き取ってもらった。これは助かった。
 
処分に時間がかかったのが電化製品。特にブラウン管テレビとエアコンであった。エアコンは外しておけば無料で引き取ってくれる所をネットで見つけたので外しておいたが、市のサイトをよく見ると悪質業者は不法投棄することがあるので正規の業者に任せようなどと呼びかけてる。
市のサイトから紹介された正規業者に問い合わせるとテレビ2台とエアコン合わせて2万円近くのお金がかかるらしい。どうしようどうしよう。
 
10数キロはなれた場所に市の回収地があり、持ち込めば少し安くなるらしい。引越し当日に手の空いた誰かに行かせようと思ってた。甘かった。そんな時間はなかった。
 
朝の早い時間に何故かうっちーが来訪。近所に工事のお知らせプリントを配ってくれてた。さすがである。少し話し、ついでに内部の処分に困っている物を見てもらった。TVやエアコン等は「置いておいてください。何とかします」と言ってくださった。ありがたし。TVとエアコンだけお言葉に甘えよう。後は自力で何とかせねばなるまい。
 
 
引越し当日までに入れ替わり立ち代わり子供たちが来て必要なものを持って行ってはいたが、まだまだ残ってる。何しろ家族5人が20数年住んでいた家なのだ。物だらけ。
もちろん引越し作業自体は業者に頼む予定であったが、今回は不用品は全て処分して、夫婦ふたり分の電化製品と押し入れ収納タンス程度が大型品。後は身の回りの物が中心でそんなに量はないはず。
おっと、そうそう工具も忘れてはならない。
既述の通り全ての整備を自分で行う私は、しょうもないバイク屋以上の工具を持ってる。おそらく売価で100万円にとどくほどの金額分である。なぜわかるかと言えば、今の仕事に就く前は工具商だったからだ。当然、プロが使う道具を中心にかなりの工具を持ってる。
重量あるのでこれが難敵で大きな工具箱、冷蔵庫、洗濯機は夫婦2人では難しかろうと思えた。
 
ネットなどで引越し業者の見積ができるサイトがあったので申し込んでみた。一番安い見積を出したベ〇ト引越し社というころに実際に来てもらい見積とるとネットの3倍以上。もちろんこれは箱詰めしたものを運ぶだけである。
安いネット見積を出して本見積で値を上げていくやり口。自分が商売人だったのでこのやり方は気に入らない。即断った。
 
引越しで大変なのは箱詰めまでで、運ぶのは車と人手があればなんとかなる。私も休みが取れたこともあり自分たちで何とかしようと考えた。外壁をあれこれ検討中の時期であり、メインに標準品以外(追加オプション:屋外編参照)のほうが欲しかったので引っ越し代金を浮かせて外壁のグレードUPを図った事もある。
 
 
ファミリーのLINEで有志を募った。
【有給使って引越し手伝いに来る人募集。日当¥10,000、ランチ+交通費でこき使われ放題】
さらに
【12月2日の「20数年ありがとうお家…なのに解体さようなら祭り」参加者には、いきなりステーキのワイルドステーキランチがもれなく付いてきます。都合付けて軽トラで参加してくれた者には金一封進呈】
 
ステーキに釣られ?て参加したのは…
 
長男→仕事のため夕方から参戦(前日から車供出)
次男→10時頃夕方まで海峡渡って参戦(おみやに551付きが条件)
長女→昼前から旦那とともに参戦
 
の計4人であった。
長男がステップワゴンを前日から貸してくれるし、これだけいれば冷蔵庫も運べるだろう。
 
 
当日は早朝から夫婦ですでに梱包済みの物を中心に運んだ。しかし物が出てくる出てくる。最初は出てきたものを取捨選択し、種類ごとに段ボールへ詰めたりしていた。
 
手伝いが集まりだし一気に作業が進んだ。梱包済みの物はほぼ運び終え、大型に取り掛かる。冷蔵庫、洗濯機とどんどん運んで行った。この頃から畳の上も何もかも土足で上がるようにしていた。釘やネジやときにガラスなど鋭利な物が散乱し素足では危険になっていたのだ。何より翌日には解体されるのだ。
業務スーパーなどで貰ってかなりの数用意していた箱が足りなくなっってきた。婿どんにホームセンターへ行ってもらい。段ボールや梱包テープなどを買ってきてもらった。
 
長男以外の全員が集まったところで約束のステーキタイム。小食の婿どん以外は全員ワイルドステーキ450g(笑)。私と次男は大盛りライスを付けてしこたま食う。
 
帰宅後さらに作業が進む。
1メートル近い水槽に南米淡水フグとドジョウを飼ってるのだが、これも難物だった。限界まで水を抜いて車の荷台に入れそーっと運んだ。すぐに実家玄関の下駄箱上に設置。水道水を入れただけでポンプや濾過機などは後回しになった。後で気づいたが、重みで下駄箱の戸が開かなくなってた。(一週間後に設置し、ジャッキで支えて戸も開くようにできた。フグ生きてた)
 
大型品は運んでいたが、商売時の売れ残り工具などがある倉庫に取り掛かる。どんどん運んでもらうが取捨選択する余地がなくなって何でもかんでも箱に入れて持って行く。
捨てる事が難しかったものも結局荷物として持って行かざるを得なくなってきた。
この頃には、夜までに引越し作業が終わらないことが分かってきていた。
 
何故か時間より早く3時半にJ:COMの工事人が来た。もちろん作業してもらう(工事の顛末はこちら)が相手していられない。機器類は自分で外してまとめてあるので必要な物は持って帰っていただいた。
 
夜になって遠方の次男が帰って行った。文系だが武闘派でもあるので非常に役に立った。感謝感謝。バタバタしてたので買い忘れた551の豚まんは後程送ることにする。
 
入れ替わりに長男参戦。仕事帰りだが最後まで頑張ってくれた。
長女たちは夜に実家でご飯を食べたらしいが、長男は食事抜きになってしまったようだ。すまぬ。
 
朝から動き詰めのオレは夜になってバッテリーが切れてきた。動きが鈍く思考も鈍い。なにやらどうでもよくなってきて、必要なものもかなり捨てたように思う。
やはり歳なのだなと思った。
残ったエネルギーでバイクを運ぶ(競技用車両のため転がして運んだ)ナンバー付きの3台はすでに運んでいる。
翌日が仕事の長女夫婦は11時くらいに帰って行った。華奢な婿殿もよく頑張ってくれた。娘もちったあダイエットできたであろう。ご苦労さん。
 
さらに作業を進める。それでもまだまだ物がある。なぜだ。
 
日付変わる辺りで立ったまま意識が飛ぶ。一瞬寝たようだ。もうひと頑張りしようと倉庫に入ると予備に置いてたミニのシートはじめ内装一式が残っている。何とか持って行きたかったが、もう…いいや。置かせてもらおう。
 
深夜2時近くまで頑張ったが、力尽きた。
翌日が休みとはいえ、仕事帰りで最後まで食事も抜きで頑張った長男には感謝しかない。(たまには役に立つな
 
ちょうど3日は燃えるゴミ、4日が荒ゴミ、5日が燃えないゴミと3連続で順番にゴミの日が来る。燃えるゴミは車庫スペースに半分。荒ゴミ、燃えないゴミなど別の日のゴミは玄関脇倉庫にいっぱい置いて、玄関の鍵はかけず下駄箱の上にに置いて家を出た。
 
永年住んだ家である。何らかのセレモニーがあるべきかと思うが、そんな余裕はない。ふらふらしながら実家までたどり着く。
実家の客間に入ってびっくり。畳2枚の寝るスペース以外は荷物で埋まってた。ベランダ下、裏の倉庫、車庫の奥など大きなものや濡れても良い物を除いてもこのありさまだった。
 
どんだけ~
思わず軽いことばが出ちまったくらい。
 
翌早朝2人で出勤前にゴミ出しに行った。4時間も寝てないが、よく起きれたものだ。じーさんも車で来てくれて3人がかりで20分ほどかかった。ゴミステーションの1/3が埋まってしまった。
翌日以降も引き続き朝にゴミ出しをした。
解体が始まった家屋に入ると色々残っている物がある。いくつか拾い集めて持ち帰った。
 
 
これが引越しの顛末。
 
収支報告しとくと、
日当4万円、交通費おみや等1万円弱。ステーキ1万円弱。長男の車供出代¥5000。
等々で6万円以上かかった。業者見積りのほぼ半分。
 
そんなに大変な思いするなら、倍の金額かかっても引越し業者に頼んだ方が良かったか?
 
そうは思わない。
子供たちは大変だったろうが、私個人は子供たちとわいわい作業するのが楽しくもあったのだ。こんなこと家族じゃないと頼めんし、子供たちが独り立ちしたあとはそうそう機会あるものではないもんな。
子供たちも親しんだ自分の実家が無くなる前の引越し作業を手伝うのは、ここでの生活の後始末として気持ちの区切りに良かったのではないかと思います。
 
 
皆の者、大儀であった。半年後はこの荷物を新居に運ばねばならぬ。
また頼むよ~ (もう誰も来るまいよ)
 
 
地獄の引越し物語り:旧宅→実家編、これにて終り。
 
 
後日譚。
この一週間後、近所で借りた空き車庫に保管していた冷蔵庫の掃除(長期保管に備えてアルコールで消毒)をしに行ったお母さんが、娘に持って帰らせたはずの冷凍食品が腐ってるのを見つけてぶったまげることになる。