喫茶店 の続き・・・・・
会社が引っ越した神田神保町近辺には大学が多いからか
神田、駿河台、お茶の水、水道橋界隈には
今では信じられないほどの数の喫茶店
会社の一軒おいて左隣にはチャップリンが来店したというお店
会社から5分も歩けば6~7軒はあった
すずらん通りから古書店街を抜け
靖国通りを渡った路地のあちこちに
歴史のありそうな小さな喫茶店がポツポツ
李朝白磁のたっぷりとした壷がさりげなく置いてある店
素敵な油彩の小品が掛かってる店
あるお店では、雑誌で見る作家が
いっつも原稿用紙と格闘していた・・・・・
留学していた周恩来さんが下宿していた、っていう
石碑も見かけたような
水道橋では、なぜか馴染んだ喫茶店はなかった
水道橋への道を横切ると明大のテリトリーのせいか
安価で洒落た食べ物屋さんが結構あり
お金に余裕がある時は珈琲より食いに行く所
あの頃、昼食が食べれたのは
給料をもらって2~3日だけだったね
緩い坂を上って、
文化学園の生徒がたむろしてるっていう噂のお茶の水
文化の向かい辺り、高台の端にあった宇宙船のような店
シャンソン歌手から名をとったジロー
画材を買いに行ったついでに珈琲を呑む画粋レモン
有楽町、銀座、日本橋、新宿、池袋、渋谷
百貨店関係の仕事だったから、百貨店の近くの色んな喫茶店
新宿の歌舞伎町にはタンゴ喫茶があり
ステージ上で、バンドネオンの生演奏をやってた
当時で350円ぐらいしてたから年に数回しか行けない
ジャズ喫茶も流行りだったのか何軒か行ったなぁ
唄声喫茶も流行りだったけど、行ったこと無し
等々・・・・・・・・
喫茶店は文化だ、と言ってた人がいたけど
お金さえあれば喫茶店に入っていた
あーっ、お金が無いから喫茶店にしか入れなかったのか
およそ文化的では無いのか、これも文化なのか
キャバレー喫茶とか、ネグリジェ喫茶というのに
先輩に連れられていかれたことがあります
珈琲が普通の喫茶店の20倍だったとか
うす暗い店内で、化粧の濃いネグリジェ女性
<私も呑んでイイ?>
<うん、呑んでイイよ>
のやりとりが、やたら可笑しかった記憶があります
珈琲はドブのような味でした
と、
進学した高校の同級生二人が歌舞伎町の
喫茶店でアルバイトをしてて
時々、彼等の下宿へ遊びに行く前に
閉めてしまった喫茶店の3階で
仕事終わりを待っていました
3階は、背もたれの高~い二人掛けの椅子が
同じ方を向いてズラーッと並んだ、同伴喫茶
18歳未満はお断り の貼り紙がありました
若いボクは妄想、妄想、妄想
きっと、いずれ、必ず、彼女をここへ連れてくるんだ!
と、固く固く決意したのに
彼女がよーやくできた頃
世間から同伴喫茶は無くなっていました(泣)
またまた、どうでもイイ話を
拙文で申し訳ありません
会社の隣にあった喫茶店、名前他色々を思い出せず
不安を感じている今日此の頃です
四月、久し振りにこの辺りを歩いたんですが
サボールっていう変な喫茶店が健在だったのに
驚きました
あらえびす
珈琲を呑んでいたら
高田馬場の名曲喫茶 <あらえびす> が
突然、頭に浮かんだ
東京時代の18歳から20歳までの間は
西武新宿線 上井草の寮から上野黒門町の会社まで通勤してて
高田馬場が山手線への乗り換え駅
駅から早稲田方面へ5分も歩くと右に在り
変わった名前にひかれ、入ったのが最初だった
階段を何段か降りると、小さなテーブルに椅子一脚
それが通路を挟んで両サイドにあるだけの
うす暗くって、狭くって、縦に長いレイアウト
奥に大きなスピーカーがドンと鎮座してて
大音量でクラシック音楽を奏でている
客のほとんどが男で、音楽以外は何も聞こえない
黒ずくめで長い髪のウエートレスが
小声で注文を受けにくる
珈琲一杯百円、時間は無制限
ボクはすっかり気に入ってしまい
2年の間、足繁く通うようになる
当時、本採用になっての給料は 13000円
寮費を引かれ、社会人の必要経費を使うと
ほとんど手元には残らないっていう経済事情
寮は6畳に4人で、プライバシーがどうとかっていうレベルじゃなく
どこかで息抜きしてこないと・・・・・
といっても、遊びに使うお金なんて無い
< あらえびす > は朝から夕方まで居たって100円
会社の帰りの時々と
休日の、ほとんどはここで過ごしていたような気がする
高田馬場までは定期があるから交通費はタダ
それでも < あらえびす > の100円や、タバコが無い時は
寮の部屋を一通り回ってくれば (日曜休みはボクだけだった)
タバコの一本、硬貨の一枚が落ちてたりするんで
それを失敬し、本を一冊抱え
朝からいそいそと出かける (時効だよね)
それも無ければ、部屋で沈んでるしかない
お店に入ると、リクエスト曲を黒板に書く
高校時代に友人のMに無理やり聞かされた
クラシックの名曲を必死に思い出して書く
自分の曲が流されるまでは3~6時間は
待たなきゃいけない
本を読んだり、なけなしのタバコに火を点け
一服吸って丁寧に消し、吸っては消し・・・・
飽きたら、ウエートレスさんに
< ちょっと出てきます > と言って外へ出る
お金がある時は昼飯やパチンコに出たりもした
場所柄、深刻な顔でクラシックを聞いている暗い連中は
早稲田の学生が多かったんじゃないかと思う
インテリに憧れてた当時のボクは
無理して買った朝日ジャーナルなんかも時にはかかえ
加藤周一さんの羊の歌?だったかを読んで感動し
深刻で暗い顔をして仲間に入っているような
気分になっていた
20歳から会社は神田に移り、そこに寮も併設されて
以来、行っていない
大学紛争の直前の頃
彼女無く金無く居場所無くの、三無い男の
どーでもイイ話でした
そんなここんなを思い起こすと
昔は、金は無かったけど
余裕はあったような気がするなぁ、と
ゆるかったなぁ、と
因みに
あらえびす は銭形平次の作家・野村胡堂さんの
音楽評論の際の名前で、胡から戎、荒ぶるえびす
とした、というような事がメニュ-に書いてあった・・・・
ような気がします
アテルイみたいなもんでしょうか
追伸
PCで検索してみたら、出てました。1988年に閉店していました
映像がYOUTUBEでありましたが、ボクが行って頃のお店より
ずいぶん大きく広くなってまして・・・・面影がありませんでした
そりゃそーですね、50年も前の話ですから
恒例・秋のツーリング 10月16日
無事に朝を迎えまして
ガツガツ朝食を食い
同宿の方に集合写真を撮ってもらい
超人 K氏の案内で箸工房へ・・・・
全国の8割の箸は福井県で生産されているとか
そーなんだ
サービスに徹してましたねぇ
男子用トイレの光景ではありません
真面目な顔をして、お箸の研ぎ出し中
各々、孫のお箸を購入していました
箸工房から数分先にある
東大寺・二月堂に送る お水取り の 鵜の瀬
河原の掃除をしている人たち
観光地じゃない・・・聖地っていうのか
こういう所は、こういう方々に守られてるんですねぇ
この後、R27で K氏とは左右に分かれ
富山組は敦賀で R8に入り
武生から北陸道に乗り無事帰還した・・・・はずです
わたしたちに来年はあるんでしょうか・・・・?







