昭和の子供なのだ! -65ページ目

喫茶店 の続き・・・・・

 

会社が引っ越した神田神保町近辺には大学が多いからか

神田、駿河台、お茶の水、水道橋界隈には

今では信じられないほどの数の喫茶店

会社の一軒おいて左隣にはチャップリンが来店したというお店

会社から5分も歩けば6~7軒はあった

 

すずらん通りから古書店街を抜け

靖国通りを渡った路地のあちこちに

歴史のありそうな小さな喫茶店がポツポツ

李朝白磁のたっぷりとした壷がさりげなく置いてある店

素敵な油彩の小品が掛かってる店

あるお店では、雑誌で見る作家が

いっつも原稿用紙と格闘していた・・・・・

留学していた周恩来さんが下宿していた、っていう

石碑も見かけたような

 

水道橋では、なぜか馴染んだ喫茶店はなかった

水道橋への道を横切ると明大のテリトリーのせいか

安価で洒落た食べ物屋さんが結構あり

お金に余裕がある時は珈琲より食いに行く所

あの頃、昼食が食べれたのは

給料をもらって2~3日だけだったね

 

緩い坂を上って、

文化学園の生徒がたむろしてるっていう噂のお茶の水

文化の向かい辺り、高台の端にあった宇宙船のような店

シャンソン歌手から名をとったジロー

画材を買いに行ったついでに珈琲を呑む画粋レモン

 

有楽町、銀座、日本橋、新宿、池袋、渋谷

百貨店関係の仕事だったから、百貨店の近くの色んな喫茶店

新宿の歌舞伎町にはタンゴ喫茶があり

ステージ上で、バンドネオンの生演奏をやってた

当時で350円ぐらいしてたから年に数回しか行けない

ジャズ喫茶も流行りだったのか何軒か行ったなぁ

唄声喫茶も流行りだったけど、行ったこと無し

等々・・・・・・・・

 

喫茶店は文化だ、と言ってた人がいたけど

お金さえあれば喫茶店に入っていた

あーっ、お金が無いから喫茶店にしか入れなかったのか

 

 

およそ文化的では無いのか、これも文化なのか

キャバレー喫茶とか、ネグリジェ喫茶というのに

先輩に連れられていかれたことがあります

珈琲が普通の喫茶店の20倍だったとか

うす暗い店内で、化粧の濃いネグリジェ女性

<私も呑んでイイ?>

<うん、呑んでイイよ>

のやりとりが、やたら可笑しかった記憶があります

珈琲はドブのような味でした

と、

進学した高校の同級生二人が歌舞伎町の

喫茶店でアルバイトをしてて

時々、彼等の下宿へ遊びに行く前に

閉めてしまった喫茶店の3階で

仕事終わりを待っていました

3階は、背もたれの高~い二人掛けの椅子が

同じ方を向いてズラーッと並んだ、同伴喫茶

18歳未満はお断り の貼り紙がありました

若いボクは妄想、妄想、妄想

きっと、いずれ、必ず、彼女をここへ連れてくるんだ!

と、固く固く決意したのに

彼女がよーやくできた頃

世間から同伴喫茶は無くなっていました(泣)

 

 

またまた、どうでもイイ話を

拙文で申し訳ありません

会社の隣にあった喫茶店、名前他色々を思い出せず

不安を感じている今日此の頃です

四月、久し振りにこの辺りを歩いたんですが

サボールっていう変な喫茶店が健在だったのに

驚きました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あらえびす

珈琲を呑んでいたら

高田馬場の名曲喫茶 <あらえびす> が

突然、頭に浮かんだ

 

東京時代の18歳から20歳までの間は

西武新宿線 上井草の寮から上野黒門町の会社まで通勤してて

高田馬場が山手線への乗り換え駅

駅から早稲田方面へ5分も歩くと右に在り

変わった名前にひかれ、入ったのが最初だった

 

階段を何段か降りると、小さなテーブルに椅子一脚

それが通路を挟んで両サイドにあるだけの

うす暗くって、狭くって、縦に長いレイアウト

奥に大きなスピーカーがドンと鎮座してて

大音量でクラシック音楽を奏でている

客のほとんどが男で、音楽以外は何も聞こえない

 

黒ずくめで長い髪のウエートレスが

小声で注文を受けにくる

珈琲一杯百円、時間は無制限

ボクはすっかり気に入ってしまい

2年の間、足繁く通うようになる

 

当時、本採用になっての給料は 13000円

寮費を引かれ、社会人の必要経費を使うと

ほとんど手元には残らないっていう経済事情

 

寮は6畳に4人で、プライバシーがどうとかっていうレベルじゃなく

どこかで息抜きしてこないと・・・・・

といっても、遊びに使うお金なんて無い

< あらえびす > は朝から夕方まで居たって100円

会社の帰りの時々と

休日の、ほとんどはここで過ごしていたような気がする

 

高田馬場までは定期があるから交通費はタダ

それでも < あらえびす > の100円や、タバコが無い時は

寮の部屋を一通り回ってくれば (日曜休みはボクだけだった)

タバコの一本、硬貨の一枚が落ちてたりするんで

それを失敬し、本を一冊抱え

朝からいそいそと出かける (時効だよね)

それも無ければ、部屋で沈んでるしかない

 

お店に入ると、リクエスト曲を黒板に書く

高校時代に友人のMに無理やり聞かされた

クラシックの名曲を必死に思い出して書く

自分の曲が流されるまでは3~6時間は

待たなきゃいけない

本を読んだり、なけなしのタバコに火を点け

一服吸って丁寧に消し、吸っては消し・・・・

飽きたら、ウエートレスさんに

< ちょっと出てきます > と言って外へ出る

お金がある時は昼飯やパチンコに出たりもした

 

場所柄、深刻な顔でクラシックを聞いている暗い連中は

早稲田の学生が多かったんじゃないかと思う

インテリに憧れてた当時のボクは

無理して買った朝日ジャーナルなんかも時にはかかえ

加藤周一さんの羊の歌?だったかを読んで感動し

深刻で暗い顔をして仲間に入っているような

気分になっていた

 

20歳から会社は神田に移り、そこに寮も併設されて

以来、行っていない

 

大学紛争の直前の頃

彼女無く金無く居場所無くの、三無い男の

どーでもイイ話でした

 

そんなここんなを思い起こすと

昔は、金は無かったけど

余裕はあったような気がするなぁ、と

ゆるかったなぁ、と

 

 

因みに

あらえびす は銭形平次の作家・野村胡堂さんの

音楽評論の際の名前で、胡から戎、荒ぶるえびす

とした、というような事がメニュ-に書いてあった・・・・

ような気がします

アテルイみたいなもんでしょうか

 

追伸

PCで検索してみたら、出てました。1988年に閉店していました

映像がYOUTUBEでありましたが、ボクが行って頃のお店より

ずいぶん大きく広くなってまして・・・・面影がありませんでした

そりゃそーですね、50年も前の話ですから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恒例・秋のツーリング 10月16日

 

無事に朝を迎えまして

 

 

ガツガツ朝食を食い

 

 

同宿の方に集合写真を撮ってもらい

 

 

超人 K氏の案内で箸工房へ・・・・

全国の8割の箸は福井県で生産されていると

そーなんだ

サービスに徹してましたねぇ

 

 

男子用トイレの光景ではありません

真面目な顔をして、お箸の研ぎ出し中

各々、孫のお箸を購入していました

 

 

箸工房から数分先にある

東大寺・二月堂に送る お水取り鵜の瀬

 

 

 

 

 

 

河原の掃除をしている人たち

観光地じゃない・・・聖地っていうのか

こういう所は、こういう方々に守られてるんですねぇ

 

 

この後、R27で K氏とは左右に分かれ

富山組は敦賀で R8に入り

武生から北陸道に乗り無事帰還した・・・・はずです

 

わたしたちに来年はあるんでしょうか・・・・?