未来の自分が読む事を信じて記憶を残す① | 肺癌ステージ3A→1B→脳転移でステージ4に

肺癌ステージ3A→1B→脳転移でステージ4に

2019年肺腺癌でステージ3A抗がん剤→左肺上葉切除後ステージ1Bのダウンステージその後経過観察→1年半後脳転移でステージ4になり定位放射線治療→前立腺がんの疑い有り。→脳腫瘍の再発で2022年3月2回目定位放射線治療2022年9月脳腫瘍増大により開頭による脳腫瘍摘出。

このブログは闘病ジャンルで記事にしようとするとやっぱり暗い話題になってしまいます。

あるブロ友さんは楽しい話題を探して記事にしようとされてる事を知りました。

私のブログはほとんど暗い話題が多いと自分でも思います。

そこで何か楽しくなる様な話題はないかと考えました。・・・が思いつきません。よっぽど病気に支配されてしまっているなぁと思ってしまいます。時々星の話題もありましたが、最近では星見の気分にはなれません。


思いついた事は、最近昔の記憶が時々思い出されているのでその記憶の事を書いてみようと思います。少しでも昔の記憶を残しておきたいとも思います。

最近思い出したのは今年3月に亡くなった母との思い出です。



まだ私は幼稚園の頃だったと思います。

母に連れられお弁当を持って広い草原の様な所に行きました。場所はいまも不明です。母に教えてもらっておけば良かったのですがもう永遠に不明です。私の脳の中には記憶として残っているのですが。

母の作るお弁当は見た目に美味しそうには見えませんでした。おにぎりは三角ではなく俵型でした、また、ごはんが白くなく 少し黄色っぽかった事が記憶に残っています。

ウチのご飯は多分炊きたてじゃなく何日か保温したご飯だったのかと思います。よく友達のお弁当を見るとご飯が白くておにぎりも三角で美味しそうに見えました。またおかずなども美味しそうで彩りもあって羨ましいと思っていました。母は全盲だったので彩りを綺麗にする事が出来なかったのです。お弁当の話題は他にも記憶があるのでまた次回に。

その帰り道に神社があってそこにお参りをしますがその神社には階段が結構いっぱいあったと思います。その階段を登って本殿の様な場所で私は手を合わせてお願い事をするのです。

「父ちゃんと母ちゃんの目が良くなる様にお願いします。」と

その頃私は神社やお寺に手を合わせてお願いする事はいつもこればっかりでした。まだ神様や仏様を信じていたのでしょうか。5歳くらいだったらまだまだ無垢な綺麗な心の時だったのでしょうね。

こんな記憶が思い出されて来たのでGoogleマップで探してその神社は分かりました。

その神社の名前は還り熊八幡神社と言う名前の神社でした。八幡様は戦の神様だと思いますが何も知らない5歳の子供には神様は皆んな同じです。

しかしある程度大きくなった頃気がつくのです。いくら神様仏様にお願いしても父や母の目が良くなる事はありませんでした。

今思うと母の目はまだ太陽の光の存在はわかる様な次期はあった様でしたがその後完全に見えなくなっていました。

私はいつの頃からは分かりませんが神様仏様に御願いする事はなくなりました。あきらめたのです。少しずつ現実が分かって来たのでしょうか。あきらめたのでしょうか。

父はそもそも目玉が無いので見える様になる事は出来なかったと思います。毎朝義眼を洗ってその義眼を入れていました。その義眼は皇后陛下から頂いた物だそうです。菊の御紋がありました。

子供心にはその義眼や出し入れしている様子は恐怖でした。

父は先の大戦で船に乗っていて敵の魚雷で沈められその時の魚雷の爆発の時の破片が目に刺さり麻酔無しで目玉を取ったそうです。

戦争とは恐ろしく酷い物です。


やっぱり暗い話題でした。

記憶を文字にして残しておくのもアリですね。いつか読み返しながらその記憶を辿ればまた新たな記憶が思い出されるかも。と思います。

もう少し表現力があれば良いのですが私の拙い文章力ではどうしようもありませんが私の記憶としてこれからも残して行きたいと思っています。


未来の自分が読むと信じて!