• 「落ちこぼれ」のススメ-【朝日社説】君が代暗記調査 内心の自由を脅かすな


 朝日新聞と「落ちこぼれ」と言うと、忘じがたい因縁がある。

 朝日新聞が高校野球のスポンサーなのは、今も昔も変わらないが、その高校野球の地方予選で、東大進学校である麻布高校の生徒が「落ちこぼれ!」と相手チームをヤジったってんで、やれエリート意識」だの「差別意識」だのと大騒ぎしやぁがったのが、朝日新聞だった。
 麻布高校ってのは高校野球としては非情に弱小なので、地方予選でも一回戦こっきりの初戦の筈だ。そんな試合に態々記者を派遣していた公算大、って事だな。「やらせ」に匂いを感じるのは、私(Zero)だけではない、と思うぞ。

 それは兎も角、「落ちこぼれ!!」って進学校のヤジを大々的に報じたことのある朝日新聞だから、なのかな?こんな「落ちこぼれのススメ」を、素面で正気で平気で公言・公開してしまえるのは。

  • (1)【朝日社説】君が代暗記調査 内心の自由を脅かすな

  • https://dot.asahi.com/ent/publication/reviews/2014120400053.html

     

【朝日社説】君が代暗記調査 内心の自由を脅かすな

 

2023年7月3日 5時00分

 

君が代の暗記状況を各校に尋ねた吹田市教委の調査票

 

 子どもたちは「君が代」の歌詞を暗記しているか――。

 

 そんな調査を大阪府吹田市教育委員会が市内の小中学校に実施していた。市議会議員の求めに応じたというが、斉唱の強制につながりかねない危うさをはらむ。経緯を検証して公表・説明する責任がある。

 

 調査は卒業式が近づく今年3月、市立の全54校に対して行われた。各校の校歌とともに「国歌の歌詞を暗記している児童・生徒数」を学年ごとに集計して即日報告するよう文書で求め、全校から回答を得ていた。

 

 調査の目的や確認の方法は、特に示さなかった。音楽の先生への聞き取りで概数を把握した学校がある一方で、担任が子どもたちに教室で挙手を求めて確かめた学校もあった。

 

 子どもたちは、先生の質問をどう受け止めたか。複数の教職員組合が「国歌の強制につながりかねない」「思想・信条の自由を脅かす」などと抗議の声をあげたのも当然だろう。

 

 調査は2012年に始めて今回が5回目で、いずれも同じ自民党市議の質問に答えるためだった。この市議はブログで「闘う保守」を自称し、学校での君が代斉唱の徹底を求めている。市教委が調査結果を議会で答弁したのは一度だけで、それ以外は市議にだけ伝えていたという。こうした対応の是非も検証しなければならない。

 

 君が代斉唱をめぐっては、1999年の国旗・国歌法の制定に際し、政府が「国民に義務を課すものではない」と説明している。文部科学省は学習指導要領で「いずれの学年も歌えるよう指導する」とする一方、児童・生徒の内心に立ち入らないよう注意も促してきた。

 

 学校の政治的中立の確保をうたう教育基本法や関連法に照らせば、特定の主義主張を掲げる政治家の求めに応じて調査すること自体、踏みとどまるべきではなかったか。吹田市教委の判断は誤りだと言わざるをえず、今後はこのような調査をするべきではない。

 

 大阪府では2011年、大阪維新の会が府議会で過半数を占めた後、公立校の教職員に君が代の起立斉唱を義務づける条例が成立。思想・信条の自由を理由に従わない教員らへの処分が相次いだ。そうした施策と対応が学校現場を萎縮させ、内心の自由を守る意識を鈍らせてはいないか。

 

 子ども一人ひとりの尊厳を守り、多様な価値観を認め合う。それが教育の基本であり、教育の場である学校が繰り返し確認すべき原則だ。吹田市教委の今回の一件を「他山の石」として、すべての教育関係者は改めて肝に銘じてほしい。

 

  • (2)「授業で教えたことを覚えているか?」という試験に、内心の地涌は関係ない。

 「教えたことを、覚えているか、試す。」事と、「内心の自由」は無関係だ。元素記号や歴史年号を覚えたら「内心の自由が脅かされる」かよ?
 「教えたことを、覚えているか、試す。」事が、「内心の自由を脅かす」ならば、殆どの教育は成立しないだろう。そりゃ「落ちこぼしのススメ」って事にもなろうぞ。

 逆に内心の自由」を盾にとって、「教わったことを覚えていない」事を正当化するって・・・そりゃ出来の悪いガキの言い訳以外の、なんだよ。

 「落ちこぼれに阿る」のは、朝日の勝手であるが、な。それは「落ちこぼれには受ける主張」であり、ひいては「落ちこぼれにしか売れない新聞」への道だろうぜ。既にそうなっている、って可能性もあるがな。

  • 1.大体、「自国の国家を覚えていない/知らない」なんてのは、国際的には非常識だろう。

 恐らく朝日が言いたかったのは、国歌は政治的・イデオロギー的であるから、コレの記憶の強制は、内心の自由を侵害する!!!」ってロジックなんだろう。だが、これは、国歌は政治的・イデオロギー的だから、覚えさせるな!」って主張は、かなり非常識だ。

 自国の国歌を知らない。」と言うのは、非常識だ。それを「非常識だ」と教えるのも、教育の一環である。

 そりゃ、国歌の中には相当長いものもあり、その全ての歌詞を全国民が諳んじているなんて事は、期待しがたいだろう。だが、我が国の国歌は和歌で、五七五七七の三十一文字しかない。コレを「覚えていない/知らない」なんて「回答」は、常識どころか正気を疑われるレベルだろう。

 言い替えるならば、内心の自由」とやらを振りかざして「国歌を覚えさせるな」と主張する上掲朝日社説は、我が国の子供達を「国際的非常識人」として育て上げ、「国際的野蛮人扱いされる」様に仕向けている、「実に恐るべき社説」であり、主張なのである。

 自国の国旗国歌を知り、尊重するからこそ、外国の異国の他国の国旗国歌も尊重できる。

 真の国際人Internationalistとは、真の国民Nationalistでしか、あり得ない。


 自国の国旗国歌すら知らず、尊重もしない奴原が、外国の異国の他国の国旗国歌も尊重できる訳が無い。もし「出来る」としたら、其奴は「その国スパイ」だろうぜ。

 所で、今回検索をかけたら、こんな週刊朝日記事が引っかかってきた。

(a)【週刊朝日】「謎」の進学校麻布の教え

【週刊朝日】「謎」の進学校麻布の教え

 

「謎」の進学校麻布の教え

 

 

https://dot.asahi.com/ent/publication/reviews/2014120400053.html

 

新書の小径

2014/12/04 15:15

 

青木るえか

筆者:青木るえか

 

 麻布高校といえば、高校野球の東京大会で、相手チームに「落ちこぼれ」「悔しかったら東大入ってみろ」と野次ったことで有名である。麻布、開成、武蔵といえば「有名男子進学校御三家」で、中でも麻布は何しろ立地条件がいいし、あか抜けてるような印象もある。今さらなんの謎の解明なのか、と思って読んでみたところ、たいした謎はなかった。「麻布とはどういう学校か」ということを、在校生、教師、卒業生などにつっこんで聞いた、というものだった。有名人では与謝野馨、山下洋輔、橋本大二郎、中条省平らが登場している。

 文化祭が面白いらしい。そういえば開成は運動会がすごいとか言ってた気がする。そのへんが校風の差か。麻布の文化祭は、学校創設以来、大切にしてきている「自主・自立」の精神の象徴なのらしい。ノンフィクションライターの著者がインタビューした文化祭実行委員長のA君も、会計局長のB君も髪を染めている。服装も自由、髪の毛も染めてオッケーなのだ。運営は当日の仕切りのみならず、予算管理まで、生徒がする。Tシャツなど文化祭グッズを売って、毎年黒字なのだという。

 基本的に「デキる学校の余裕」がぷんぷんに感じられる。校則もない、大学進学にも拘らない、と言われても。そうまで言うなら大学進学禁止、とかまでやってくれよと言いたくなるが、きっと「いや、進学がいいとか悪いとかではなく、あくまでも生徒の自主性に任せ」とか答えるんだろうなあ。それでも、こういう層から良心的なリベラルな人も出てくるだろうからガマンしなくてはならないとも思うものです。

 でも、それと同時に、学校時代なんて、どんな教育を受けてようが「その時代を懐かしむ」ような人間はロクなもんじゃないと思う。学校なんて「思い出したくない時間」になるのだから、やっぱり注意深く学校を選んだほうがいい。この本はそのためにも読んでおくべきかもしれない。

 

※週刊朝日 2014年12月12日号

 

  • (①)1> 麻布高校といえば、高校野球の東京大会で、相手チームに「落ちこぼれ」「悔しかったら東大入ってみろ」と野次ったことで有名である。

1> 麻布高校といえば、高校野球の東京大会で、相手チームに「落ちこぼれ」「悔しかったら東大入ってみろ」と野次ったことで有名である。

 いや、それ、「有名にした」のは、朝日だろう。ナニ他人事ぶってるんだよ。
 ああ、従軍慰安婦と同じ構図か。放火魔が、火災の第一発見者を気取っているの図だ。

2> 学校時代なんて、どんな教育を受けていようが「その時代を懐かしむ」ような人間はロクなもんじゃないと思う。
3> 学校なんて「思い出したくもない時間」になるのだから、やっぱり注意深く学校を選んだ方が良い。


・・・ウーン、この人が余程不幸な「学校時代」を生きたらしいことは判ったが、己が体験を勝手に一般化普遍化するンじゃぁ無い。「学校時代」ってのは大抵「青春時代」でもあるし、「懐かしむ」のは普通にあることだろう。
 
 ああ、つまりは、この週刊朝日記事を書いた記者も「落ちこぼれだった」と自白・・・・自慢すらしている、って事かな?ヒョッとして朝日の入社条件は「落ちこぼれだったこと」ってのがあるのかね?

 「落ちこぼれだった」のも「学校時代なんか思い出したくない」のも、まあお気の毒で同情の余地はありそうだが、上記3>の一文が、前半と後半でモノの美事に矛盾している(*1)事は、看過しがたい。その事にも気づきもしない様なのだから、上掲記事を書いた記者も、それをこのまま掲載許可したデスクだか編集長だかも、相当に「頭が悪い」。

 正気を疑えるレベルで、ね。
 

  • <注記>
  • (*1) 学校なんて、"思い出したくない"時間になる」が真実ならば、「どんな学校を選ぼうとも、"思い出したくない" 時間になる。」筈だ。その様に、断言断定し、ナンの条件もつけていない。
  •  であると言うのに、その直後、同じパラグラフで、だからと順接に続いてやっぱり注意深く学校を選んだ方が良い。と続けている。
  • 学校なんて、"思い出したくない"時間になる」から「学校を慎重に選べ。」って、理屈が通らない。
  •  ナニかな。この記事は、「『謎』の進学校麻布の教え」って本の書評の様だから、「読者にこの本を読めと勧める」必要があり、それを残された字数で何とかするために「斯様なぶっ飛んだ矛盾した文書になった。」ってこと、かな。
  •  だとしたら、上掲記事は「相応に考えて書かれた記事」とも評せそうだが・・・・「考えて、この程度かよ。」と、思うぞ。 
  •  流石は「落ちこぼれ自慢」だな。 
     
  • 「市民の城」って、なんだよ?-【東京社説】名古屋城の復元 「市民の城」でなければ


 「市民の城」ってフレーズに、ナンの違和感も覚えないらしいのだから、恐れ入るしかないよなぁ。ある意味、「究極の軍事忌避」であり、「平和ボケの極致」とも言えそうだ。

  • (1)【東京社説】名古屋城の復元 「市民の城」でなければ

名古屋城の復元 「市民の城」でなければ

 

https://www.tokyo-np.co.jp/article/259344?rct=editorial

 

 

2023年6月28日 07時04分

 

 名古屋城の天守閣を復元する計画が混乱を深めている。名古屋市主催の市民討論会で、参加者から障害者を差別する発言があったのに、河村たかし市長ら市側が制止しなかったためだ。市は文化庁への基本計画提出を先送りし、この問題を検証、総括するというが、現代の復元がどうあるべきか、十分に市民間で共有するところから仕切り直すべきではないか。

 討論会では、長年の課題であるバリアフリー対策が取り上げられた。車いす利用者が、天守閣の上層階まで昇降機(エレベーター)の設置を求めたところ、参加者が「ずうずうしい」「おまえが我慢せい」と反論し、障害者をやゆする発言もあったが、市側は制止しなかった。後に謝罪したが、市長は「熱いトークもありよかった」と討論会をしめくくっていた。

 市長は当初、昇降機の設置を認めない意向だった。その後、計画案では「少なくとも一階までは設置する」と変更したが、上層階までの案は示されていない。

 市は以前に、障害者側の意見を丁寧に聞くことで「誰もが利用できる付加設備の開発を行う」との方針を示しており、「一階まで」案との齟齬(そご)を指摘する声が出るのは当然だろう。市が市民五千人を対象に行った世論調査でも最多の47・2%が「天守閣の最上階(五階)まで」を求めている。

 国宝・名古屋城は空襲で焼け、戦後、鉄骨鉄筋コンクリート造で再建=写真=された。焼失前の実測図などが残るため、市長は「史実に忠実」にこだわるが、現代に復元する以上、戦国・江戸期から残る姫路城などの国宝天守と同次元では語れない。仮に昇降機をつけずとも、スプリンクラーや煙感知器、非常灯などの防災設備は不可欠だ。天守閣自体、特別史跡の石垣を保全するため鉄骨や鉄筋コンクリートで支え、地震対策で制振装置も設ける計画である。

 すべての国民が障害の有無や年齢などで分け隔てられることがない-。それが障害者差別解消法やバリアフリー法の理念だ。その精神を欠いたままで、総工費五百億円の公共事業を進めても、決して「市民の城」にはなるまい。

 

  • (2)城とは、まず第一に要塞=軍事的防衛設備であり、次いで文化的遺産である。

 市民が利用し易く、親しまれる城ってのは、一見尤もらしく聞こえる/見えるかも知れないが、その実、下らなくもバカバカしい「言葉遊び」であり、戯言(たわごと)、戯れ言(ざれごと)、虚言、妄言。ま、そこまで「あからさまな表現」は、上掲東京社説にも出て来ないが


1> 市は以前に、障害者の意見を丁寧に聞くことで
2>「誰もが利用できる付加設備の開発を行う」との方針を示しており、


とは、上掲東京社説にある。この誰もが利用できる付加設備の開発を行う」との方針を拡大解釈し、「市民が利用し易く、親しまれる城」と同工異曲に仕立て上げている、のではないか?

3> 「一階まで」案との齟齬(そご)を指摘する声が出るのは当然だろう。

・・・そりゃ、文句つける馬鹿は、何があっても、ナニも無くても、文句をつける、ッてだけの話だろう。東京新聞自身が、その良い例だ。

 誰もが利用できる付加設備」とは、「一階まで新設することにしたエレベータの事である」と言うのは、一つのロジックであり、それを以て十分とするのも一つの考え方である。「障害者であろうと天守閣の天辺まで上がれる」というのも「一つの理想」ではあろうが、「唯一の理想像」でも無ければ、「必達の目標」でも無かろうが。

 コレだから、(一部の?)「差別反対論者」ってのは、度し難いんだ。己が主張が唯一にして無二の正義だと思い込んでやぁがる。コレで大抵同じ口から「多様性の尊重」とか抜かすんだから、御都合主義と言うよりは、二重思考と言うべきだろう。精神障害としては、より重篤だと思うが、な。

 頭ぁ冷やして考えるが良いや。城とは何物で、ナンのためにそこに在るのか、を。

 ディズニーランドの「シンデレラ城」ならいざ知らず(*1)、城とは先ず第一に要塞であり、防御/攻勢拠点であり、軍事施設である。名古屋城のような平城には「戦の城」としてよりも「統治の城」としての側面が強いこともありうるが、「戦の城」としての側面は、必ず「ある」。

 要塞=軍事施設である城の、特に天守閣最上階に「障害者でも上れるようにするべき」と言うのは、ある種の「理想像」かも知れないが、少なくとも「無理がある」。その事を、「図々しい」「お前が我慢せい」と評するのは、「表現として不適切」とは言い得るかも知れないが、十分な合理性が在る・・・と言うよりも、「常識的反応」と言うべきだろう。
 その「ある種の理想像」を実現するのには、金も手間もかかり、その金は、今回の場合は税金だ。納税者にしてみれば、障害者が名古屋城天守閣の天辺まで行けるようにする」事よりも優先して欲しい事は、幾らもあろうが。

4> 仮に昇降機をつけずとも、スプリンクラーや煙感知器、非常灯などの防災設備は不可欠だ。

として、上掲東京社説は「障害者が名古屋城天守閣の天辺まで行けるようにする」エレベーターの「必要性」を強調している・・・つまり、消防法上必要とされ、名古屋城自身を火災から守る「不可欠な設備」と、「障害者が名古屋城天守閣の天辺まで行けるようにする」(ある種の贅沢品たる)エレベーターとを、同列同格とし、同一視している、訳だ。

 そりゃ、「図々しい」とも言われ様さ。
 先ずは、左様な同列同格同一視は、非常識と言われるべきであり、屁理屈以外の何物でも無い。

 諄いようだが、繰り返そう。城とは、基本的に要塞であり、嘗ては大いに軍事施設であったモノ。それが、復元状態を含めて歴史的/文化的遺産となり、象徴的な意味/意義を持つことで、「市民の城」と表現されることは、あっても良かろうさ。

 だが、それは、「天守閣最上階に通じるエレベーター」を必須不可欠とするモノでは、無い。必要と考える考え方もあろうが、不要としたからとて、「市民の城では無くなる」訳では無い。

 

  • <注記>
  • (*1) そのモデルとなった、ドイツのノイシュヴァンシュタイン城は、「王様の趣味と見栄で作った」城であり、その意味では「城らしくない城」なのだが・・・そんな城は、多くは無い。 
     
  • そりゃつまり、「事故死者ゼロで64年」。-【沖縄タイムス社説】宮森小墜落事故64年 忘れまい冷戦下の悲劇

 「丸い卵も、切り様で四角。モノも言い様で角が立つ。」ってナぐらいなモノだ。下掲沖縄タイムス社説タイトル宮森小墜落事故64年 忘れまい冷戦下の悲劇から、「より一層、飛行安全に精進努力し、事故死者ゼロで百年を目指せ。」という主張だって、十分成立するのである。

 が、勿論、沖縄タイムス社説が「忘れまい」と言うのは、「飛行安全を讃え、推奨する」為では、無い。ある種の「ダブルミーニング」だな。

 

  • (1)【沖縄タイムス社説】宮森小墜落事故64年 忘れまい冷戦下の悲劇

  • 宮森小墜落事故64年 忘れまい冷戦下の悲劇

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  • https://nordot.app/1046880045563495166?c=62479058578587648
  • 2023/06/29
  •  沖縄には、悲しみの記憶が深く刻まれた日付が少なくない。
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  •  疎開学童を乗せた対馬丸が米潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没した1944年8月22日がそうである。
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  •  犠牲になった1484人のうち784人が学童だった。
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  •  石川市(現うるま市)の宮森小学校に米軍のジェット戦闘機が墜落、炎上した59年6月30日もそうだ。
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  •  児童11人、住民6人の命が奪われ、後に1人が後遺症で亡くなった。重軽傷者は210人に上る。
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  •  宮森小米軍機墜落事故からあす30日で64年になる。
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  •  事故はミルク給食の時間に起きた。喜納秀子さんは、2年生の男児を事故で失った。軍病院に駆け付け、「髪の毛も洋服も焼け、全身黒ずんでいた」わが子を見て激しいショックを受け、気を失った。
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  •  夫の福常さんは怒りを抑えることができず、遺体を引き取って家に戻り、仏壇をこぶしでたたいて号泣した。
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  •  「全身火傷で死んだ子を、二度と熱い火の中に入れられるか」。夫が反対して火葬をせず、野辺送りしたという(宮森六三〇会編「沖縄の空の下で(1)」)。
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  •  子どもの安否を確認するため親は教室を訪ね、校庭を走り、市内の病院や軍病院を探し回り、最後に探す場所が遺体安置所だった。
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  •  巡回教師の豊濱光輝さんは遺体安置所を担当した。「そこで我が子と対面した時の親兄弟の叫びと涙は、私はあの状況をどう証言していいかわかりません」(同「沖縄の空の下で(3)」)。
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  •  事故を起こした米空軍のF100ジェット戦闘機は、嘉手納基地を離陸した直後にエンジンの異常を感知し、午前10時40分ごろ、石川市の住宅地域に墜落した。その衝撃で機体が跳ね上がり、家々を引きずるように宮森小に激突、住宅と校舎3教室が大量のジェット燃料で炎上した。
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  •  事故の三つの特徴を指摘しておきたい。
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  •  第一に、多くの子どもたちが犠牲になったにもかかわらず、パイロットは墜落直前にパラシュートで脱出し助かったこと。
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  •  第二に、米軍側から提示された補償額があまりにも低く、完全賠償を求める運動が島ぐるみの取り組みに発展したこと。
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  •  第三に、米軍は当初、「エンジン故障による不可抗力」の事故と見なしていたが、米軍の内部文書で、整備不良による重大事故だったことが明らかになった。
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  •  対馬丸撃沈と宮森小墜落事故は、戦争中の子どもの犠牲と、戦後の米軍統治下の子どもの犠牲を象徴する最も痛ましい事例である。
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  •  それだけではない。復帰前の沖縄で、米軍の事件事故によって子どもが犠牲になったケースは数多い。
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  •  国家安全保障の名の下に戦後ずっと過重な基地負担を強いられ、住民の安全が損なわれてきたのである。
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  •  そして今もなお、私たちは「新たな戦争」の影に脅かされ続けている。冷戦下に起きた宮森小墜落事故は決して過ぎ去った過去の話ではない。
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  • c 株式会社沖縄タイムス社
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  • 2023年6月29日朝刊オピ5面

 

  • (2)事例として挙げられているのは、大東亜戦争中の対馬丸雷撃と、64年前の宮森小墜落事故のみである。

 何れの犠牲者に対しても、お気の毒と思う点では、私(ZERO)とて人後に落ちるモノでは無いが、上掲沖縄タイムス社説が64年前宮本小墜落事故を取り上げるのは、「それ以降に、斯くも大規模な民間人死亡事故が無い」事の裏返しであろう点は、指摘しない訳には行かない。対馬丸に至っては、80年以上前の大東亜戦争中の戦時下だ。

 それを、

1> それだけではない。復帰前の沖縄で、米軍の事件事故によって子どもが犠牲になったケースは数多い。

と、交通事故から犯罪まで十把一絡げに「米軍の事件事故」と一括りにして同一視した挙げ句、

2> そして今もなお、私たちは「新たな戦争」の影に脅かされ続けている。
3> 冷戦下に起きた宮森小墜落事故は決して過ぎ去った過去の話ではない。


と、上掲社説を「しめる」のだから、凄まじい。
 「新たな戦争」の脅威は、大抵常にあるモノだし、沖縄は大東亜戦争中に限らず、昔も今も、最前線だ。

 ああ、タイトルにした「事故死者ゼロで64年」というのが些か「書き過ぎ」であり、「誇大広告」であることは認めよう。だが、「航空機事故民間人死者数」という意味では、「64年」という数字は嘘ではない。冒頭に述べた通り、上掲沖縄タイムス社説タイトルで「飛行安全の努力を讃え、今後に期待する」社説だって「書ける」事にも、殆ど疑義の余地は無い。

 だが、御覧の通り上掲沖縄タイムス社説は、64年前の死亡事故と現在現状とを短絡直結させて、更には国防、安全保障とも結びつけて、死亡事故諸共、米軍基地も国家安全保障も、纏めて「葬り去ろう」と主張している。

 「新たな戦争の脅威」よりも、事故死の方が怖い、って主張でもあるな。いつもながら、凄まじいな。沖縄二紙の軍事忌避軍人差別の安保白痴ぶりは。
 

日本の憲法学者共も、アカ新聞共も、この後も日本国憲法が今のままで良いと主張しながら、その自衛隊の記載が全く無い日本国憲法で我が国の安全保障が成立すると言う論証は、相変わらず全くしていない。

 知的怠惰だとすれば実に恐るべきものだが、憲法信仰としては、そんなものだろう。

 だが、憲法信仰するもの相手に改憲論議は不毛だ。数で圧倒する他、無いな。

 

  • ベリル・ガーデナント氏の研究 オッサンに関する一考察-「片田舎のおっさん、剣聖になる。」に於ける主人公ベリル・ガーデナント氏について

片田舎のおっさん、剣聖になる~ただの田舎の剣術師範だったのに、大成した弟子たちが俺を放ってくれない件~ 1巻(ヤングチャンピオン・コミックス/どこでもヤングチャンピオン/秋田書店) | 乍藤和樹/佐賀崎しげる/鍋島テツヒロ | 無料試し読みなら漫画(マンガ)・電子書籍のコミックシーモア (cmoa.jp)
 最初に断っておくべきだろう。本稿は、漫画「片田舎のオッサン、剣聖になる。」の作品紹介、では無い。あくまでもタイトルにした通り、その漫画の主人公たる「片田舎の剣聖」ベリル・ガーデナント氏について考察するモノである。従って、盛大にネタバレがあることはほぼ確実であり、同漫画、ないしその原作たる小説を読んだことの無い方は、ここから先は読まないことをオススメする。

 同作品(まあ、漫画の方しか読んでいなかった(*1)のだが・・・)を私(ZERO)はヒドく気に入っており、一人でも多くの人に読んで戴きたいと希望する。その希望故に、この先の本稿の「ネタバレ」を同作品未読の読者が「読んで仕舞う」事は、読者諸兄が同作品を楽しむことを阻害するばかりでは無く、同作品並びに作者に対する「冒涜」とも言い得る、由々しき事態である、と考える。であるからして、私(ZERO)としては、それは避けたい。どうかこの先は、同作品を一度でも通読した読者だけが読むことを、お願いしたい。

 と、ここまで書いた以上、今この文書を読んで居る貴方は、「片田舎のオッサン、剣聖になる。」を、漫画ないし小説で既に読んでいる、筈である。

 それはつまり、「ネタバレ勝手」と言うことである。

 Now We START. 名無し@夕陽のガンマン

  • <注記>
  • (*1) その後、小説の方もある程度読む。大凡、小説の二巻の半ばぐらいまでが、漫画の三巻までに相当する。 


 

  • (1)オッサンの実力・恐るべきモノ


 オッサン、ことベリル・ガーデナント氏の主な「実績」を、時系列順(作品登場順ではない)に列挙すると、大凡下記のようになる。尚、漫画の三巻までの話であり、小説は(原則)含まれない。また、「行き倒れていたスレナを助けた」とか「発熱したスレナを抱えて大雪の中隣村の医者の所まで走った」とかは、剣とも剣技とも無関係なので、割愛した。(ああ、「目にも止まらぬ太刀筋で。道場破りを返り討ち」っってのもあったけど、な。時系列的には下掲①より以前、だ。)

① よく手入れはされているが、業物とは言えない普通の剣で、巻き藁を水平に綺麗に両断し(*1)、鍛冶屋バルテルを驚嘆させる。

② 騎士団御用達の鍛冶屋の店頭で、未だ仕上げ研ぎをされていないうちに店頭に並べてしまったなまくら剣で、巻き藁を水平に両断。切った上半分が落ちずに下半分の上に乗っている、「だるま落とし」状態にする(*2)。

③ 副騎士団長ヘンブリッツの「挑戦」を受けた模擬戦で、1発も被弾すること無く「返り討ち」にし、「合憲」もとい「豪剣」ヘンブリッツの必殺技「回転斬り」も難なく破る。

④ 魔法師団長(とは、名乗らないまま)ルーシー・ダイヤモンドの連続魔法攻撃を尽く(普通の)剣だけで凌いで見せ(*3)、遂にルーシーをして
「(魔法攻撃を)当てようが無い」と、諦めさせる。

⑤ 木剣を使った模擬試合で、ブラックランク(最上位)冒険者・「竜双剣」スレナの連続斬撃を尽く躱し、いなし、遂に双剣を弾き飛ばして、スレナを組み伏せ、完勝する。

⑥ 特別討伐指定個体(ネームド)のグリフォン「ゼノ・グレイブル」に遭遇。「高熱を発する身体」に所持していた帯剣を最初の一撃で溶かされるも、鞘を使って応戦継戦し、ゼノ・グレイブルの両眼を潰した上、救援に駆け付けたスレナの竜双剣の片割れで片前足を切断する。
 その後、スレナと共闘し、遂にゼノ・グレイブを仕止める。(*4)

 

  • <注記>
  • (*1) 且つ、「だるま落とし」宜しく固定された巻き藁下半分の上に、両断した上半分を載せたままにして、 
  •  
  • (*2) この「実はなまくら剣」ってのも、漫画オリジナルの「追加設定」だよなぁ。 

  •  
  • (*3) 「足元に張った氷を咄嗟に(!?)切り取って防壁にする」なんて、超人業も使って。 

  •  
  • (*4) そりゃ普通の剣の鞘だけのベリル氏相手に両目潰されている様なゼノ・グレイブル如きが、竜双剣のスレナとベリル氏の共同戦線に、敵う道理はないな。 


 

  • (2) オッサンの自己評価・剣に対する(実は&密かな)自信と、「剣聖」たる自覚の無さ。 人選び・人育ての名人

 さて、ベリル氏と言えば、そのタイトルや冒頭近くでも述べている通り「片田舎の剣聖」と呼ばれているが、当人は「片田舎の」であることしかかたくなに認めようとせず、その「片田舎の道場で、父の後を継いで剣を教えて一生を終える」事を「良しとしている」というか「身分相応と考えて居る」御仁で、自分の剣技を「弱いとは思えない」程度としか、思っていない・・・事になっている。

 実際の所は、上記③の通り「王国一の騎士団の副騎士団長に完勝」したり、上記⑤の通り「最高ランク冒険者であるスレナの攻撃をものともしなかった」り、小説の方で後の方では「魔法師団長ルーシーが破壊を諦めた」在るモノをモノの美事に一刀両断してしまったり、「剣聖」と呼ばれるに足るモノが数多あるのだが・・・当人あくまでも「唯のオッサン」と主張し、強調している。

 実際、上記⑥ネームド「ゼノ・グレイブル」戦では、最初の一撃で溶かされた剣の代わりに鞘を使って「ゼノ・グレイブ」の両眼を潰した時点で、「コレで、スレナ達を追えなくなった。」と判断。「俺にしては良くやった方だ。」と・・・オッサン、この時「死を覚悟した」筈である。
 
 しかしながら・・・・少なくとも、事剣技に関する限り、ベリル氏は「実は相当な自信がある」筈である。と言うのは上記②で、「店頭に並んだ剣が未だ仕上げ研ぎされていないなまくらである」事に気付いていながら、店員と、同行していたアリューシャ&スレナのリクエストに応えて「試し切り=巻き藁斬り」に臨んでいるのだから。「だるま落とし」状態に出来るかどうかは兎も角、「なまくら刀でも、相応に斬れる」自信が無ければ、こんな無理な試し斬りには応じまい。「この剣は、なまくらです。」と言えば、少なくとも「真面な剣で、試し斬りに望める」のだから。
 尤も、スレナ&アリューシャも、どの時点かは不明だが「実はなまくら剣である」ことに気づいているから、「ベリル先生の試し斬り」をリクエストした時点で、「ベリル先生の剣技」に対する信頼・信用は絶大なモノがあった公算大とすべきだろう。(*1)。

 さらには、上記⑥対ゼノ・グレイブル戦でも「最初の一撃で剣を溶解された」というのに、慌てず騒がず剣を鞘に持ち替えて応戦・継戦している。その沈着冷静さと、揺るがぬ「戦う意志」は、剣聖と呼ぶよりも「大戦術家」とでも呼ぶべきだろう。

 ルーシー師団長の言う通り、「人は、その力に応じて生きるべき。」であり、「片田舎の剣聖」で終わって良い、タマではないよな。
 アリューシャが、その売り込みを「生涯の目標」と定めるのも、判る気がしてきたぞ。

  • <注記>
  • (*1) なればこそ、ゼノ・グレイブル戦で「先生が負傷した。」というニュースに対するアリューシャの(騎士団長らしからぬ)狼狽ぶりが、際立つというか、可愛いというか・・・・ 


 

  • (3) オッサンを巡る群像・殆どが「うら若き女性(*1)」

 以下に列挙するのは、本作の登場人物であり、大半がベリル氏の「元剣の教え子達」であり、その殆どが(タイトルにした通り)「うら若き乙女」である・・・イヤ、華やかなことだ。尤もベリル氏が彼女たちに剣を教えたのはスレナの「20年以上前」を筆頭に昔の話であり、「剣の教え子」だった頃は未だ子供だった、訳だが。
 因みにベリル氏の「片田舎の道場」は、今でも「主として子供達に剣を教えて居る」様である。
 
①アリューシャ・シトラス レベリオ騎士団・団長
 推定年齢:20代前半(騎士団長としては、「史上最年少」とは言え、若過ぎる気はするが・・・②より年下、らしいので。) 
 容貌: お嬢様然としたスレンダー美女。ストレートな長い銀髪(プラチナブロンド?)の片方三つ編み。羽根状髪飾り
 修行期間:4年(12歳から16歳 その後、レベリオ騎士団に入団。入団テストで圧倒的な成績を収め、最年少で団長まで昇任する。) 
 ベリル評:兎に角優秀。見よう見まねで「俺の剣」をモノにし、4年で何も教えることが無くなった。  免許皆伝(*2)
 備考:「片田舎の剣聖」と噂だけの主人公を「本当の、誰もが認める剣聖」とするべく画策。コレを「生涯の目標」と定めている、らしい。一方で嫁の座も狙っている、らしい。

②スレナ・リサンデラ ブラックランク(最上級)冒険者「竜双剣」
 推定年齢: 20代半ば(「20年ほど前にモンスターに襲われて両親を失ったところを道場で保護した」事から。保護当時を推定年齢4,5歳と想定。①、③、④より年長。)
 容貌: 長身巨乳。長いツンツン髪の赤毛をリボンで一本に束ねる
 修行期間: 3年(3歳から6歳? その後、養子として保護される。)免許皆伝には至っていない模様
 ベリル評: オッパイの付いたイケメン
 備考: 体力無限の怪力。再生能力を持つ魔法の双剣「竜双剣」を持つ。 「免許皆伝」には至って無さそうなのだが、剣術とその教えがスレナの生涯を決定づけている(らしい。)。
 小説の方ではベリル氏を「兄であり、人生の師」としている、様であるが、漫画の方では①をライバル視しており、ベリル氏の宿泊先を巡っては①と斬り合いを始めかねない勢いだったりする。

③クルニ・クルーシェル
 推定年齢:10代後半
 容貌:小柄怪力。ショートヘアに巨大なうさ耳リボン
 修行期間;2年 「免許皆伝」に至らず
 ベリル評:レベリオ騎士団の癒やし系
 備考:

④フィッセル・ハーベラー 魔法師団エース。剣魔法の達人 愛称「フィス(ちゃん)」
 推定年齢:20歳未満
 容貌:小柄。ボブカット(と、言うのかなぁ)の黒短髪ストレートにシンプルな髪飾り
 修行期間;3年 免許皆伝 
 ベリル評:寡黙な剣の虫。努力家。
 備考:

⑤ ルーシー・ダイヤモンド 魔法師団・師団長(*3) 王国最強の魔術師
 推定年齢:年齢不詳 見た目ガキンチョ(10歳ぐらい。魔法の効果、らしい。)
 容貌:小柄。切りそろえた前髪と長い後ろ髪。ベレー帽に羽根飾り
 修行期間;なし(*4)
 ベリル評:
 備考:「師団」ッてぇと、普通、1万人なんだがなぁ。

⑥バルデル・ガスプ 刀鍛冶
 推定年齢:50代(③、④と同期入門)
 容貌:半白髪頭の後三つ編み。口ひげもみあげ。筋骨隆々
 修行期間;不明だが、短い模様。1,2年か。
 ベリル評:刀鍛冶ってのは筋骨隆々でないと務まらないのか。
 備考:握手しただけで剣士の器量が判る、らしい。そのバルデルがベリル氏との握手に見出したのは、海魔だかクトゥルフだか良く判らないが、兎も角「スゴいモノ」であった、らしい。
 「あの化け物に、見合う剣を打たねば。」とバルデル、大奮起。
 「ゼノ・グレイブル討伐」の報酬として受けとったゼノ・グレイブル素材で打つ剣を、かたくなに受けとろうとしないベリル氏に俺たちは、ゼノ・グレイブル素材で打った剣を振るう先生を、見たいんだ。」と泣いて嘆願するシーンは、かなり(個人的には)胸熱。

  • <注記>
  • (*1) で、剣を教えたのは少女時代。オッサンに「ロリコン疑惑」。 
  •  
  • (*2) 免許皆伝記念に送った剣を、未だに愛用 
  •  
  • (*3) 「団長」って表記も散見されるんだが・・・「師団の長」は「師団長」だろう。 
  •  
  • (*4) だが、フィッセルに「剣魔法を教えた」のだから、剣技も相応に使える、筈。 


 

  • (4)「小説の漫画化」対「漫画の小説化」

 以前にも何度か論じたが、「小説の漫画化」と「漫画の小説化」を比較した場合、一般的に難しいのは「小説の漫画化」である、と私(Zero)は確信し、主張し続けている。テキスト中心である(*1)小説は、心理描写や内面を描いたりするのには適するが、リアルな現実の動き緻密に描写する事は、普通しない。要点を絞って焦点を当てて記述するのを常とし、得意としている。


 対して漫画は、少なくとも「登場人物」を識別して描かないといけない(まあ、絶対に、では無いにしても)。実写映画よりは省略が効き、焦点も絞れるとは言え、例えば剣戟の攻防を描くにも、相応の手順もかかる。小説のテキストならば無視してしまえるような事象事物も、漫画では具体的に描かないとならない、事がある。

 無論「登場人物達を描き分けつつ、そのイメージを、読者のイメージと大きく異なること無く具体化しないといけない。」ってのも、相当な難事である。何しろ読者は千差万別十人十色だから、主人公に対するイメージだって一通りではない、のが普通だ。
 その点、本作「片田舎のおっさん、剣聖になる。」では「原作である小説に付された挿絵を活用する」事で、主人公をはじめとする登場人物を、モノの美事に「漫画の登場人物」としている・・・と言うか、最初私(ZERO)ナンざぁ「小説の挿絵画家が、漫画を描いているのではないか。」と思ったほど、「挿絵のイメージと漫画のイメージが、”間違い探し”レベルで合致し、統一統合されている。」。この点は、漫画作者の技量と努力の賜、と言えるだろう。

 その上で、「小説を漫画化」するにあたり、各登場人物がより深く掘り下げられ、新たなエピソードが追加されている事にも、注目&着目したい。

 例えば、主人公・ベリル氏に対して、初対面の町中でいきなり魔法攻撃を打っ付け始めるルーシー・ダイヤモンド魔法師団長は、戦端を開く前に「実は弟子である”フィス”ことフィッセル・ハーベラーから送られた腕輪」に主人公が気づいたのに対し、「剣を持った魔法使いから、先ほど奪った。」と嘘を吐き、主人公ベリル氏を「挑発」している。この「挑発」に(ウッカリ)乗った主人公ベリル氏は、珍しく怒りの表情を見せて居る。
 この、漫画に描かれた「ルーシー師団長の挑発=フィッセル・ハーベラー”殺害”容疑」は、原作にはない、漫画オリジナルのエピソードだ。これによって「ルーシー師団長の理不尽な魔法攻撃」に対し、主人公ベリル氏が「受けて立つ」理由に、説得力を加えて居る。

 また、「ベリル氏、初の大仕事」とも言えそうな対ゼノ・グレイブル戦では、小説では些かコミカルな主人公ベリル氏(而して、ゼノ・グレイブル自身もスレナの不意打ち一撃で絶命してしまうような情けなさ。)だが、漫画では、

 (1) スレナの負傷を察して殿(しんがり)を自ら引き受け(*2)、スレナと新人冒険者グループを撤収させ、

 (2) (先述の通り)最初の一撃で帯剣を高熱で溶解されても尚、鞘を武器に立ち向かって、
遂にはゼノ・グレイブルの両眼を(剣の残りと鞘で)潰し、

 (3) 新人冒険者の退避を見届けて戻ったスレナから「竜双剣の片方(*3)」を借りて、ゼノ・グレイブルの前鉤爪を切り落とし、

 (4) スレナと共闘して、ゼノ・グレイブルを倒す。(トドメを刺したのは、スレナの竜双剣、だが。)


と、実に「オッサンの見せ場てんこ盛り」なのである(*4)。

 言い替えるならば、「片田舎のおっさん、剣聖になる。」は、原作の小説も確かに面白いし、オススメなのだが、漫画化されたことにより、より一層登場人物、就中主人公・ベリル氏のキャラクターとしての造詣が深まり、厚みが増し、より魅力的になっている、と言える。

 これは、「小説の漫画化」に於ける、ある種の理想像、では無いだろうか。

 「片田舎のおっさん、剣聖になる。」は、現在三巻まで発売中。小説は既に6巻まででており、先述の通り「漫画の3巻は、小説の2巻半ばまで」であるから、大凡の「比率」は「2対1」。
 即ち「漫画の方は大凡12巻ぐらいは刊行される」と、期待できる。今後が楽しみであるな。

 「ルーシー師団長の特別講義”魔術師とは?”」も、な。

  • <注記>
  • (*1) 挿絵や図表があったりするから、必ずしも「テキストオンリー」ではない。 
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  • (*2) この辺り、小説では「殿をスレナに任せる」心算が意思疎通の齟齬で逆になってしまっている。 
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  • (*3) 魔法で再生能力がある、そうで、ゼノ・グレイブルの「高熱の鎧」に抗し得た、らしい。 
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  • (*4) あ、後スレナの「ベリル先生への憧憬の念」が「冒険者を目指す切っ掛けとなった」と言うのも、漫画では描かれる。
  •  本来、こう言う内面描写や回想シーンってのは、小説の方が適しているのだが、それ故に、今回「小説の漫画化」に於いて、追加され読者のベリル氏像&スレナ像に「新たな造詣を加えて」いる。