• 「市民の城」って、なんだよ?-【東京社説】名古屋城の復元 「市民の城」でなければ


 「市民の城」ってフレーズに、ナンの違和感も覚えないらしいのだから、恐れ入るしかないよなぁ。ある意味、「究極の軍事忌避」であり、「平和ボケの極致」とも言えそうだ。

  • (1)【東京社説】名古屋城の復元 「市民の城」でなければ

名古屋城の復元 「市民の城」でなければ

 

https://www.tokyo-np.co.jp/article/259344?rct=editorial

 

 

2023年6月28日 07時04分

 

 名古屋城の天守閣を復元する計画が混乱を深めている。名古屋市主催の市民討論会で、参加者から障害者を差別する発言があったのに、河村たかし市長ら市側が制止しなかったためだ。市は文化庁への基本計画提出を先送りし、この問題を検証、総括するというが、現代の復元がどうあるべきか、十分に市民間で共有するところから仕切り直すべきではないか。

 討論会では、長年の課題であるバリアフリー対策が取り上げられた。車いす利用者が、天守閣の上層階まで昇降機(エレベーター)の設置を求めたところ、参加者が「ずうずうしい」「おまえが我慢せい」と反論し、障害者をやゆする発言もあったが、市側は制止しなかった。後に謝罪したが、市長は「熱いトークもありよかった」と討論会をしめくくっていた。

 市長は当初、昇降機の設置を認めない意向だった。その後、計画案では「少なくとも一階までは設置する」と変更したが、上層階までの案は示されていない。

 市は以前に、障害者側の意見を丁寧に聞くことで「誰もが利用できる付加設備の開発を行う」との方針を示しており、「一階まで」案との齟齬(そご)を指摘する声が出るのは当然だろう。市が市民五千人を対象に行った世論調査でも最多の47・2%が「天守閣の最上階(五階)まで」を求めている。

 国宝・名古屋城は空襲で焼け、戦後、鉄骨鉄筋コンクリート造で再建=写真=された。焼失前の実測図などが残るため、市長は「史実に忠実」にこだわるが、現代に復元する以上、戦国・江戸期から残る姫路城などの国宝天守と同次元では語れない。仮に昇降機をつけずとも、スプリンクラーや煙感知器、非常灯などの防災設備は不可欠だ。天守閣自体、特別史跡の石垣を保全するため鉄骨や鉄筋コンクリートで支え、地震対策で制振装置も設ける計画である。

 すべての国民が障害の有無や年齢などで分け隔てられることがない-。それが障害者差別解消法やバリアフリー法の理念だ。その精神を欠いたままで、総工費五百億円の公共事業を進めても、決して「市民の城」にはなるまい。

 

  • (2)城とは、まず第一に要塞=軍事的防衛設備であり、次いで文化的遺産である。

 市民が利用し易く、親しまれる城ってのは、一見尤もらしく聞こえる/見えるかも知れないが、その実、下らなくもバカバカしい「言葉遊び」であり、戯言(たわごと)、戯れ言(ざれごと)、虚言、妄言。ま、そこまで「あからさまな表現」は、上掲東京社説にも出て来ないが


1> 市は以前に、障害者の意見を丁寧に聞くことで
2>「誰もが利用できる付加設備の開発を行う」との方針を示しており、


とは、上掲東京社説にある。この誰もが利用できる付加設備の開発を行う」との方針を拡大解釈し、「市民が利用し易く、親しまれる城」と同工異曲に仕立て上げている、のではないか?

3> 「一階まで」案との齟齬(そご)を指摘する声が出るのは当然だろう。

・・・そりゃ、文句つける馬鹿は、何があっても、ナニも無くても、文句をつける、ッてだけの話だろう。東京新聞自身が、その良い例だ。

 誰もが利用できる付加設備」とは、「一階まで新設することにしたエレベータの事である」と言うのは、一つのロジックであり、それを以て十分とするのも一つの考え方である。「障害者であろうと天守閣の天辺まで上がれる」というのも「一つの理想」ではあろうが、「唯一の理想像」でも無ければ、「必達の目標」でも無かろうが。

 コレだから、(一部の?)「差別反対論者」ってのは、度し難いんだ。己が主張が唯一にして無二の正義だと思い込んでやぁがる。コレで大抵同じ口から「多様性の尊重」とか抜かすんだから、御都合主義と言うよりは、二重思考と言うべきだろう。精神障害としては、より重篤だと思うが、な。

 頭ぁ冷やして考えるが良いや。城とは何物で、ナンのためにそこに在るのか、を。

 ディズニーランドの「シンデレラ城」ならいざ知らず(*1)、城とは先ず第一に要塞であり、防御/攻勢拠点であり、軍事施設である。名古屋城のような平城には「戦の城」としてよりも「統治の城」としての側面が強いこともありうるが、「戦の城」としての側面は、必ず「ある」。

 要塞=軍事施設である城の、特に天守閣最上階に「障害者でも上れるようにするべき」と言うのは、ある種の「理想像」かも知れないが、少なくとも「無理がある」。その事を、「図々しい」「お前が我慢せい」と評するのは、「表現として不適切」とは言い得るかも知れないが、十分な合理性が在る・・・と言うよりも、「常識的反応」と言うべきだろう。
 その「ある種の理想像」を実現するのには、金も手間もかかり、その金は、今回の場合は税金だ。納税者にしてみれば、障害者が名古屋城天守閣の天辺まで行けるようにする」事よりも優先して欲しい事は、幾らもあろうが。

4> 仮に昇降機をつけずとも、スプリンクラーや煙感知器、非常灯などの防災設備は不可欠だ。

として、上掲東京社説は「障害者が名古屋城天守閣の天辺まで行けるようにする」エレベーターの「必要性」を強調している・・・つまり、消防法上必要とされ、名古屋城自身を火災から守る「不可欠な設備」と、「障害者が名古屋城天守閣の天辺まで行けるようにする」(ある種の贅沢品たる)エレベーターとを、同列同格とし、同一視している、訳だ。

 そりゃ、「図々しい」とも言われ様さ。
 先ずは、左様な同列同格同一視は、非常識と言われるべきであり、屁理屈以外の何物でも無い。

 諄いようだが、繰り返そう。城とは、基本的に要塞であり、嘗ては大いに軍事施設であったモノ。それが、復元状態を含めて歴史的/文化的遺産となり、象徴的な意味/意義を持つことで、「市民の城」と表現されることは、あっても良かろうさ。

 だが、それは、「天守閣最上階に通じるエレベーター」を必須不可欠とするモノでは、無い。必要と考える考え方もあろうが、不要としたからとて、「市民の城では無くなる」訳では無い。

 

  • <注記>
  • (*1) そのモデルとなった、ドイツのノイシュヴァンシュタイン城は、「王様の趣味と見栄で作った」城であり、その意味では「城らしくない城」なのだが・・・そんな城は、多くは無い。