• 「落ちこぼれ」のススメ-【朝日社説】君が代暗記調査 内心の自由を脅かすな


 朝日新聞と「落ちこぼれ」と言うと、忘じがたい因縁がある。

 朝日新聞が高校野球のスポンサーなのは、今も昔も変わらないが、その高校野球の地方予選で、東大進学校である麻布高校の生徒が「落ちこぼれ!」と相手チームをヤジったってんで、やれエリート意識」だの「差別意識」だのと大騒ぎしやぁがったのが、朝日新聞だった。
 麻布高校ってのは高校野球としては非情に弱小なので、地方予選でも一回戦こっきりの初戦の筈だ。そんな試合に態々記者を派遣していた公算大、って事だな。「やらせ」に匂いを感じるのは、私(Zero)だけではない、と思うぞ。

 それは兎も角、「落ちこぼれ!!」って進学校のヤジを大々的に報じたことのある朝日新聞だから、なのかな?こんな「落ちこぼれのススメ」を、素面で正気で平気で公言・公開してしまえるのは。

  • (1)【朝日社説】君が代暗記調査 内心の自由を脅かすな

  • https://dot.asahi.com/ent/publication/reviews/2014120400053.html

     

【朝日社説】君が代暗記調査 内心の自由を脅かすな

 

2023年7月3日 5時00分

 

君が代の暗記状況を各校に尋ねた吹田市教委の調査票

 

 子どもたちは「君が代」の歌詞を暗記しているか――。

 

 そんな調査を大阪府吹田市教育委員会が市内の小中学校に実施していた。市議会議員の求めに応じたというが、斉唱の強制につながりかねない危うさをはらむ。経緯を検証して公表・説明する責任がある。

 

 調査は卒業式が近づく今年3月、市立の全54校に対して行われた。各校の校歌とともに「国歌の歌詞を暗記している児童・生徒数」を学年ごとに集計して即日報告するよう文書で求め、全校から回答を得ていた。

 

 調査の目的や確認の方法は、特に示さなかった。音楽の先生への聞き取りで概数を把握した学校がある一方で、担任が子どもたちに教室で挙手を求めて確かめた学校もあった。

 

 子どもたちは、先生の質問をどう受け止めたか。複数の教職員組合が「国歌の強制につながりかねない」「思想・信条の自由を脅かす」などと抗議の声をあげたのも当然だろう。

 

 調査は2012年に始めて今回が5回目で、いずれも同じ自民党市議の質問に答えるためだった。この市議はブログで「闘う保守」を自称し、学校での君が代斉唱の徹底を求めている。市教委が調査結果を議会で答弁したのは一度だけで、それ以外は市議にだけ伝えていたという。こうした対応の是非も検証しなければならない。

 

 君が代斉唱をめぐっては、1999年の国旗・国歌法の制定に際し、政府が「国民に義務を課すものではない」と説明している。文部科学省は学習指導要領で「いずれの学年も歌えるよう指導する」とする一方、児童・生徒の内心に立ち入らないよう注意も促してきた。

 

 学校の政治的中立の確保をうたう教育基本法や関連法に照らせば、特定の主義主張を掲げる政治家の求めに応じて調査すること自体、踏みとどまるべきではなかったか。吹田市教委の判断は誤りだと言わざるをえず、今後はこのような調査をするべきではない。

 

 大阪府では2011年、大阪維新の会が府議会で過半数を占めた後、公立校の教職員に君が代の起立斉唱を義務づける条例が成立。思想・信条の自由を理由に従わない教員らへの処分が相次いだ。そうした施策と対応が学校現場を萎縮させ、内心の自由を守る意識を鈍らせてはいないか。

 

 子ども一人ひとりの尊厳を守り、多様な価値観を認め合う。それが教育の基本であり、教育の場である学校が繰り返し確認すべき原則だ。吹田市教委の今回の一件を「他山の石」として、すべての教育関係者は改めて肝に銘じてほしい。

 

  • (2)「授業で教えたことを覚えているか?」という試験に、内心の地涌は関係ない。

 「教えたことを、覚えているか、試す。」事と、「内心の自由」は無関係だ。元素記号や歴史年号を覚えたら「内心の自由が脅かされる」かよ?
 「教えたことを、覚えているか、試す。」事が、「内心の自由を脅かす」ならば、殆どの教育は成立しないだろう。そりゃ「落ちこぼしのススメ」って事にもなろうぞ。

 逆に内心の自由」を盾にとって、「教わったことを覚えていない」事を正当化するって・・・そりゃ出来の悪いガキの言い訳以外の、なんだよ。

 「落ちこぼれに阿る」のは、朝日の勝手であるが、な。それは「落ちこぼれには受ける主張」であり、ひいては「落ちこぼれにしか売れない新聞」への道だろうぜ。既にそうなっている、って可能性もあるがな。

  • 1.大体、「自国の国家を覚えていない/知らない」なんてのは、国際的には非常識だろう。

 恐らく朝日が言いたかったのは、国歌は政治的・イデオロギー的であるから、コレの記憶の強制は、内心の自由を侵害する!!!」ってロジックなんだろう。だが、これは、国歌は政治的・イデオロギー的だから、覚えさせるな!」って主張は、かなり非常識だ。

 自国の国歌を知らない。」と言うのは、非常識だ。それを「非常識だ」と教えるのも、教育の一環である。

 そりゃ、国歌の中には相当長いものもあり、その全ての歌詞を全国民が諳んじているなんて事は、期待しがたいだろう。だが、我が国の国歌は和歌で、五七五七七の三十一文字しかない。コレを「覚えていない/知らない」なんて「回答」は、常識どころか正気を疑われるレベルだろう。

 言い替えるならば、内心の自由」とやらを振りかざして「国歌を覚えさせるな」と主張する上掲朝日社説は、我が国の子供達を「国際的非常識人」として育て上げ、「国際的野蛮人扱いされる」様に仕向けている、「実に恐るべき社説」であり、主張なのである。

 自国の国旗国歌を知り、尊重するからこそ、外国の異国の他国の国旗国歌も尊重できる。

 真の国際人Internationalistとは、真の国民Nationalistでしか、あり得ない。


 自国の国旗国歌すら知らず、尊重もしない奴原が、外国の異国の他国の国旗国歌も尊重できる訳が無い。もし「出来る」としたら、其奴は「その国スパイ」だろうぜ。

 所で、今回検索をかけたら、こんな週刊朝日記事が引っかかってきた。

(a)【週刊朝日】「謎」の進学校麻布の教え

【週刊朝日】「謎」の進学校麻布の教え

 

「謎」の進学校麻布の教え

 

 

https://dot.asahi.com/ent/publication/reviews/2014120400053.html

 

新書の小径

2014/12/04 15:15

 

青木るえか

筆者:青木るえか

 

 麻布高校といえば、高校野球の東京大会で、相手チームに「落ちこぼれ」「悔しかったら東大入ってみろ」と野次ったことで有名である。麻布、開成、武蔵といえば「有名男子進学校御三家」で、中でも麻布は何しろ立地条件がいいし、あか抜けてるような印象もある。今さらなんの謎の解明なのか、と思って読んでみたところ、たいした謎はなかった。「麻布とはどういう学校か」ということを、在校生、教師、卒業生などにつっこんで聞いた、というものだった。有名人では与謝野馨、山下洋輔、橋本大二郎、中条省平らが登場している。

 文化祭が面白いらしい。そういえば開成は運動会がすごいとか言ってた気がする。そのへんが校風の差か。麻布の文化祭は、学校創設以来、大切にしてきている「自主・自立」の精神の象徴なのらしい。ノンフィクションライターの著者がインタビューした文化祭実行委員長のA君も、会計局長のB君も髪を染めている。服装も自由、髪の毛も染めてオッケーなのだ。運営は当日の仕切りのみならず、予算管理まで、生徒がする。Tシャツなど文化祭グッズを売って、毎年黒字なのだという。

 基本的に「デキる学校の余裕」がぷんぷんに感じられる。校則もない、大学進学にも拘らない、と言われても。そうまで言うなら大学進学禁止、とかまでやってくれよと言いたくなるが、きっと「いや、進学がいいとか悪いとかではなく、あくまでも生徒の自主性に任せ」とか答えるんだろうなあ。それでも、こういう層から良心的なリベラルな人も出てくるだろうからガマンしなくてはならないとも思うものです。

 でも、それと同時に、学校時代なんて、どんな教育を受けてようが「その時代を懐かしむ」ような人間はロクなもんじゃないと思う。学校なんて「思い出したくない時間」になるのだから、やっぱり注意深く学校を選んだほうがいい。この本はそのためにも読んでおくべきかもしれない。

 

※週刊朝日 2014年12月12日号

 

  • (①)1> 麻布高校といえば、高校野球の東京大会で、相手チームに「落ちこぼれ」「悔しかったら東大入ってみろ」と野次ったことで有名である。

1> 麻布高校といえば、高校野球の東京大会で、相手チームに「落ちこぼれ」「悔しかったら東大入ってみろ」と野次ったことで有名である。

 いや、それ、「有名にした」のは、朝日だろう。ナニ他人事ぶってるんだよ。
 ああ、従軍慰安婦と同じ構図か。放火魔が、火災の第一発見者を気取っているの図だ。

2> 学校時代なんて、どんな教育を受けていようが「その時代を懐かしむ」ような人間はロクなもんじゃないと思う。
3> 学校なんて「思い出したくもない時間」になるのだから、やっぱり注意深く学校を選んだ方が良い。


・・・ウーン、この人が余程不幸な「学校時代」を生きたらしいことは判ったが、己が体験を勝手に一般化普遍化するンじゃぁ無い。「学校時代」ってのは大抵「青春時代」でもあるし、「懐かしむ」のは普通にあることだろう。
 
 ああ、つまりは、この週刊朝日記事を書いた記者も「落ちこぼれだった」と自白・・・・自慢すらしている、って事かな?ヒョッとして朝日の入社条件は「落ちこぼれだったこと」ってのがあるのかね?

 「落ちこぼれだった」のも「学校時代なんか思い出したくない」のも、まあお気の毒で同情の余地はありそうだが、上記3>の一文が、前半と後半でモノの美事に矛盾している(*1)事は、看過しがたい。その事にも気づきもしない様なのだから、上掲記事を書いた記者も、それをこのまま掲載許可したデスクだか編集長だかも、相当に「頭が悪い」。

 正気を疑えるレベルで、ね。
 

  • <注記>
  • (*1) 学校なんて、"思い出したくない"時間になる」が真実ならば、「どんな学校を選ぼうとも、"思い出したくない" 時間になる。」筈だ。その様に、断言断定し、ナンの条件もつけていない。
  •  であると言うのに、その直後、同じパラグラフで、だからと順接に続いてやっぱり注意深く学校を選んだ方が良い。と続けている。
  • 学校なんて、"思い出したくない"時間になる」から「学校を慎重に選べ。」って、理屈が通らない。
  •  ナニかな。この記事は、「『謎』の進学校麻布の教え」って本の書評の様だから、「読者にこの本を読めと勧める」必要があり、それを残された字数で何とかするために「斯様なぶっ飛んだ矛盾した文書になった。」ってこと、かな。
  •  だとしたら、上掲記事は「相応に考えて書かれた記事」とも評せそうだが・・・・「考えて、この程度かよ。」と、思うぞ。 
  •  流石は「落ちこぼれ自慢」だな。